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note随想 | 記事をたくさん書くことについて。

(1)

noteは1年つづきそう。

 もうすぐnoteをはじめてから1周年になります。個人的には、ひとつのことを新しくはじめて1年つづくというのは稀なこと。
 たいていのことは興味をもっても、2、3日、長くてもせいぜい3ヶ月くらいで興味が失せていく私にしては珍しいことです。自分でも、noteが続いている理由はよくわかりません。コメント欄で頂いた質問に応える気持ちをもちながら、書きながら少し考えてみようと思います。

(2)

「どうしたらそんなにたくさんの記事が書けるのですか?」


 今までに何度か尋ねられた質問です。

「そんなにひとりで投稿されたら、タイムラインが見にくくなるではないか👊」という非難の意味なのか、それとも「よくそんなに色々な話題でたくさん書けますね💗」という称賛の意味なのか。
 たぶん賛否両方の意味が含まれた質問だと思うのですが、好意的に解釈して😄「noteにたくさん記事を書く秘訣」について書いてみます。

①書く場所について。

 noteを始めた当初は、家の中で書くことが多かったのです。引用したい書籍や辞書、その日の新聞など、必要な資料を手元において正確に書きたい気持ちが大きかったからです。今でも、机に向かって書くこともありますが、だいぶ少なくなりました。今は屋内で記事を書くよりも、屋外(自宅の外)で記事を書くことが圧倒的に多くなりました。

 習慣づけるという意味では、同じ場所で同じ時間に執筆することは悪いことではありません。私もそうでした。しかし、長く続けるという意味では、いずれ行き詰まってしまいます。
 室内にいると、書くテーマが同じ発想になりがちなのです。同じ部屋、同じ人、同じ物に囲まれていたら、出てくる発想も同じになりやすい。
 外に出て書いていると、特にテーマを決めていなくても、思わぬテーマが見つかることが多いです。
 通りすがりに聞いた会話、車のクラクションの音、犬の散歩をしている人、井戸端会議しているお年寄り、急に降りだす雨の音、上空を飛んで行く飛行機。
 そういう刻々と変わりゆく時間の中で過ごしていると、「不思議だな」「何を話しているんだろう」と色々な考えが浮かんできます。
 考えることなく、ただボーッとしているときもありますが、言葉にできなくても写真を撮ることはできます。家の中の写真よりずっと面白い。
 何でも「書かなければ」と言語化することばかり考えるのではなく、写真1枚を撮って思いを伝えるということも表現の幅を広げる意味で大切かもしれません。

② noteでの出会い・テーマの探しかた

 noteを始めた頃は、語学に関心がある人と繋がりたいという思いが強かったです。だから、フォローする方も、英語などの言語に関する記事を書いているクリエーターばかりでした。
 自分が関心をもっているテーマについて、蘊蓄を傾けて書いて、理解してくれそうな人と繋がりたい。悪いことではありませんが、その一方で、出会う人がかなり限定されてしまいます。
 しばらくして気が付いたのですが、自分がすごい思い入れを持って書いた記事よりも、ただつぶやいたような記事や、ササッと大した時間をかけずに書いた記事のほうが読まれることが多いです。
 「うまく書こう」とか「きれいにまとめよう」とか「間違いのないように書こう」とか、そういったことを考えると気持ちが伝わりにくくなるのかもしれません。今では、1度書いて、2、3度読み返して、7、8割の出来で投稿という感じです。

 「専門的なことを書こう」「レベルの高いことを書こう」とすると、人は寄り添いにくくなりますね。専門的なことを書き続けることは立派なことですし、憧れる面もありますが、普通の人が普通に読んで普通に分かる記事を書かないと、虚しい気持ちになってしまいます。

 件のようなことに気が付いてから、書く記事や読む記事も、なるべく1つの分野に偏らないように、心掛けています。

 同じ分野に興味をもつ人は、共感だけでなく、間違いを指摘して下さる。
 私の興味のある分野に興味をもたない人は、初歩的な疑問や素朴な疑問を投げ掛けて下さる。
 両者とも、とても貴重な存在です。
 テーマの間口は広めにしておいたほうが、たくさんの記事を書くことができます。
 いろいろな考えに接していると、自分の興味のある分野の知識を、それ以外での分野ではどのようにしたら「転用」できるだろう?、なんていうことも新たなテーマとして浮上してくることもあります。


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