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言語学を学ぶ② | ブルームフィールド「言語」

(1)ブルームフィールド

 シリーズ「言語学を学ぶ」。今回は2回目。
 第一回目は、ソシュールを取り上げた。


 今回はアメリカの言語学者ブルームフィールドを取り上げる。

 新書や入門書を読みながら、独学で言語学の勉強をはじめた頃、ブルームフィールドという言語学者の名前を知らなかった。しかし、言語学の論文や専門書を読んでいると、参考文献に必ずと言っていいほど、ブルームフィールドの名前が出てくるので、主著「言語」を購入して読んでみた。


(2) ブルームフィールド「言語」、大修館書店

 この本は、言語学の方法論を網羅的に扱っている。第1章 言語の研究から始まって、第28章 応用と前途まで全28章から成っている。すべてを取り上げる紙幅はないので、面白そうなところを拾い読みしてみる。


●言語についての唯一の有効な総括は、帰結的総括のみである。普遍的であるはずだと我々の考える特徴が、手に入ったすぐお隣りの言語に欠けているかもしれない。(中略)
ある特徴がともかく広く広がっているという事実は注目に値するものであり説明を必要とするものである。我々がたくさんの言語について適切なデータを得た暁には、我々は一般文法の問題に立ち帰り、これらの類似点や相違点を説明すべきであろう。だがその時にもこの研究は思弁的ではなく帰納的となるであろう。
(第1章言語の研究より。前掲書pp22-23)

→💬ブルームフィールドは、言語の研究は「帰納的」であるべきと考えている。言語の「普遍性」を思弁的に考えるのではなく帰納的に考えることが大切。
 あとで触れると思うが、いわゆるチョムスキーの「生成文法」は、「演繹」的である。
 現在の英文法の教科書は、生成文法的に説明されることが多い。チョムスキーは偉大な言語学者であり信奉者も多いが、私はあまり好きではない。というのは、生成文法の研究は英語が中心であり、他の言語に当てはまるのかどうか懐疑的だからである。
 言語の本質をつかむには、抽象的な議論ではなく、英語以外の個別言語の研究から「帰納」的に考えるべきではないか、と思う。


(3) 方言地理学(第19章)

 方言地理学( dialect geography)という言語学の一分野がある。
  この章は具体的な地図が多く掲載されていて面白い。
 「等言線」(あるいは「等語線」)という専門用語がある。
 天気図に出てくる「等圧線」や、地図に出てくる「等高線」のように、ある言葉の方言が使われる地域を区分する線のことである。

 ブルームフィールドから少し話がそれるが、
 徳川宗賢(編)「日本の方言地図」(中公新書)という本がある。
 たとえば、目がはれてしまうことを、私の住む地域では「ものもらい」というが、地域によって言い方に差違があるようだ。
 気になる方言があったら、調べて見ると面白いかもしれない。ただ、昔と違って、ネットやテレビなどの影響もあり言語の面で地域間格差が小さくなっているし、移動の激しい時代では「等語線」は描きにくいかもしれない。
 「言語」というと、「○○語」のように外国語を思い浮かべるが「方言」も言語である。
 厳密に言うと、「言語」と「方言」の区別は意外と難しい。
 言葉が通じることを基準にして「言語」を区別しようとすると、同じ日本語でも、青森の方言と沖縄の方言とでは、意志疎通が難しいから、別の言語とすべきではないか?、あるいはドイツ語とオランダ語は通じやすいから、同じ言語と考えるべきではないか?、というような疑問が浮かんでくる。
 資料によって、世界の言語の数が一定しないのは、そういう事情がある。


(4) まとめ

 現在、言語学者の中には、演繹法的なアプローチをする生成文法を信じる学者と、懐疑的な学者がいる。
 生成文法を否定するつもりはないが、言語運用面から言って役立つのは、帰納的なアプローチだと思う。公平に、生成文法も伝統的言語学も両方学べばバランスが良いのかもしれないが、私は個別言語を研究対象とする伝統的な言語学のほうが好きだ。ブルームフィールド的なアプローチ法は、やはり魅力的である。

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