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🇷🇺私的ロシア論②🇷🇺 | 🎹ラフマニノフピアノ協奏曲第2番

 幼稚園の頃はエレクトーン、小学生になってからは、ピアノ🎹を習っていたことがある。
 姉がピアノを弾くのが好きで、ピアノが自宅にあったから、私は付き合わされた感じだった。親からしたら、せっかくピアノを買ったのだから、一人で使わせるのは勿体ない、と思ったんだと思う。
 私は姉とは違って、スイミングスクールに毎日行って泳いでいたから、日曜日くらい、まる1日休みたかった。ピアノで日曜日がつぶれるのが嫌だった。
 何度も母に「ピアノやめたいんだけど」と言った。なかなか辞めさせてくれなかったが、当時練習用に使っていた「バイエル🎹(下巻)」が終わったら辞めてもいいよ、と言われた。とても嬉しかった。
 私がピアノを辞めたのは、小学4年生のときだった。そのときのレベルは「エリーゼのために」が弾けるくらいだった。
 今では、たぶん楽譜🎼を読むことができない。いやいややったことは身に付かないもの。
 ピアノの鍵盤を叩いたら、「ド」なのか「レ」なのか「ファのシャープ#️⃣」なのか、ということくらいが分かる程度である。

 というわけで、私にとって音楽とは嫌々学ぶものであって、楽しいと思える対象ではなかった。中学生・高校生の間を通して、音楽の授業はとてもつまらない思い出しかない。歌謡曲にもほとんど興味をもつことがなかった。勉強するときも、無音じゃないと集中できないので、家でも音楽は全く聞かなかった。

 高校生卒業まで、CDを一枚も買ったことがなかった。しかし、大学1年生になって、誰も知る人のいない土地で、一人部屋にいると、少し音楽を聞いてみたくなった。初めて買ったCDは、中島みゆきだった。「音楽を聞く」というより、「歌詞を聞く」という言い方のほうが近かったかな?、と思う。

 だいぶ前置きが長くなったが、音楽嫌いの私にも、音楽に興味をもつ瞬間があった。
 私の進学した大学は、某国立大学で、ほぼ全ての学部が揃っていた。私は経済学部だったが、他の学部の講義も比較的自由に受講することができた。
 何の講義だか忘れたが、教育学部で音楽を専攻している女の子と知り合った。

「あの~、コンサートに一緒に行きませんか?」と女の子から誘われた。とても可愛い女の子だったから、断る理由はない。
「行く。絶対行きます」私は即答した。
「ホントですか😄?良かった。嬉しいです。じゃあ、今度チケット🎟️をお渡ししますね」

 後日、チケットを手渡された。その女の子が教わっている担当教官の先生が演奏する「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番」のチケット🎟️だった。

 ようやくコンサートの日になった。なぜか女の子とは別々に行くことになってしまったが😱。詳細は語らない。

 それはともかく、先生の弾くラフマニノフは、とても迫力があって、素晴らしい演奏だった。ほとんど予備知識なしで鑑賞したが、そのすごさは十分に伝わるコンサートだった。

 学校の生協ではCDを売っていたから、ラフマニノフを探してみた。何枚かCDが置いてあったが、どのCDを選べばよいかわからない。
 私は、講義のとき、女の子に尋ねた。
「どのCDを選べばよいかなぁ?」
「アシュケナージというピアニストが良いと思います。あまり、クセのないピアニストですから」

 とその時に買ったCDがこちら(↓)

ラフマニノフ🎹ピアノ協奏曲2番

 このCDには、ラフマニノフ🎹ピアノ協奏曲2番とともに、誰もが一度は聞いたことがあるチャイコフスキーのピアノ協奏曲が収められている。今でもたまに聞くことがある。当時、ラフマニノフにハマって、ピアノ協奏曲1番から4番までのCDを買いそろえた。2番の次に有名なのは、「3番」だそうである。

 「ちなみに」だが、あとで知ったことだが、私にチケット🎟️を手渡してくれた女の子には、「ノルマ」があったようだ。うまく口車に乗せられてしまったわけだが、後悔はしていない。
 その後、フィギュアスケートで、浅田真央選手や高橋大輔選手のラフマニノフの曲を使った演技を見ると、なんかとても嬉しい気持ちになることができたから。少しの寂しさを覚えつつも。。。



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