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こどもを撮るということ

なんとなく、カメラマンとしてのキャリアと、自分の子供たちの誕生が時期的に重なってるせいで「子供を撮ってたら仕事になってた」みたいな感じがしないでもありません。

人の社会の中で生きてると、私たちは時々、というかほとんど自分が自然物であることを忘れてるような気がします。人工物に囲まれて、それが当たり前になって、つい自分の体や他人が自分の思い通りにならないことを忘れる。つい頭の中だけで考えたことや見聞きしたものを、そのまま目の前の世界に適用しようとしてしまう。

そんなことにならないように、時には自然の中に身を置いて「ぼー」っとしたり、キャンプをしたり、釣りをしたりするわけですが、僕の考える一番の自然物が「こども」です。
そもそも大人と子供を分けて考えるのもナンセンスな気はするんですが、天真爛漫のお子様を見ていると、それだけでこちらが元気になります。

こどもの姿を自分に重ねる

当然ながら、お子様の撮影をするときは学校だったりイベントだったりと非日常の時間なので、美味しいとこどりしてるのは分かってます。

大切にしてるのは子供の目線になること、笑顔でいること、たまにアホなキャラでいること、自分に素直でいること、ぐらい。できれば笑顔になってほしいので被り物などの小細工することもありますが、ただ目の前の、様々な問題を抱えつつも元気いっぱいでいる、誤解を恐れずに言えば「純真で崇高な生き物」を写真に収めているつもりでいます。

もちろん、いろんなお子さんがいます。ニコニコ笑顔で明るい子もいれば、ずっと真顔の子、変顔する子、罵声をかけてくる子、叩いてくる子。
子供の状態がそのままその子の家庭の状態に当てはまるなんて考えてはいませんが、僕自身、たぶんちょっと難しい子だった。今でも素直に故郷を愛せない。
そんな自分がせっかく手にした愛すべき職業なので、子供たちに出会うときだけでも楽しみたいんだと思います。で、ときどき本当にカメラを置いて鬼ごっことかしちゃいます。プロ失格ですねw

親御さんの愛情でお金を頂くということ

黙っていても勝手にいろんな表情やポーズをとってくれるモデルさんと違って、子供を撮影するときは難しさを感じることのほうが多いんですが、その一枚がその子や親御さんにとって大事な思い出になると思うと、カメラマンとしてのやりがいを感じます。

ただ同時に、子供の写真を残そうと思うのは親御さんの愛情に他ならないと思ってるので、それでお金を頂いてること自体、有難いというか、ちょっと後ろめたさを感じてる自分もいたりします。

そんなジレンマを抱えつつ、もっといい写真撮りたいな~と今日もまた汗をかく日々。いつも暑苦しくてすいません💦

皆様にお会いできるのを楽しみにしております。


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