3/20 家事マニア

3か月ぶりに実家から帰京して以来、意地でも自炊してやるという謎の使命感に駆られて日夜近所の大型スーパーに出向いては葉の付いた大根や泥の付いたジャガイモを買って悦に入っている。

実家暮らしで得られる一番の恩恵はやはり火の通った手料理を毎日食べられるところにある。二人とも40年近く公務員を全うしている堅実な両親のもとに生まれたおかげで、天ぷらだの唐揚げだのと日替わりで色んなメニューを食べさせてもらった。おまけに毎日朝7時には家を出て出勤しているのだから頭が上がらない。バイトすらせず、毎食サッポロ一番のヘビーローテーションを繰り返してるおかげで親の背中が全く見えてこない。大学卒業までにどちらか一つは出来るようになるだろうか。

要するに実家でのインスパイアを存分に受けたから というのが自炊を始めた最大の理由である。自炊はもしかしたら最もやりがいと実益のバランスが取れた究極の家事かもしれない。食費も抑えられる上に自分の好きなものだけを食べられ、しかも作っている間ちょっとだけクリエイティブな脳汁が出ている。作った料理に誰もとやかく言ってこないのも良い。上手く仕上がれば将来シェフの道を志せば良いし、失敗すれば料理なんて”まごころ”だ と割り切ってしまえばいい。食べるのもどうせ自分だけなのだから、採点はいつも独自のものさしでやらせてもらっている。今のところ失敗は1度も無い。

自分の頭でも簡単に想像が出来そうな、切って炒めるだけの安直な料理はなるべく避けるようにしている。前述した脳汁をなるべく大量に出すためには、聞いた事も無い調味料をなるべく不気味なタイミングで鍋に入れたり、切った野菜を形が見えなくなるまで煮込み殺したりするのが至上命令になってくる。以前まではただ豚キムチを作り上げただけで一丁前の自炊人(じすいじん)だと鼻を高くしていたが、今考えればあんなのはただのインスタント食品である。キッチンなんか合法的に包丁を振り回せる唯一の場所なのだから、もっと自分の狂気に従って大暴れした方がコスパが良い。

野菜を切ったり、切った具材をいっぺんに鍋に入れたりすると、キッチン全体をその行程特有のサウンドが包む。思春期の頃に聞き漁った音楽を今聴けば当時の思い出が鮮明に思い出されるように、調理音を聞けば幼少期からの母親の姿がかなり高い解像度で再現される。あの時母はニンニクを切っていたのではないか?と思い返すだけで、ぼくらの料理に深い香りを持たせようとしてくれてありがとう と頭が上がらなくなる。五感すべて使って自炊を楽しんでいると考えれば、脳汁が止まらなくなるのもうなずける。


長期帰省していた間は、家族で最も時間に余裕のある男として洗濯や掃除といったベーシックな家事も担当していた。この辺の家事も、今一度向き合ってみると一つ一つの行程に意味を感じるようになり、最後の方は半分仕事で半分趣味みたいな、労働スタイルとしてはかなり理想的な形で働いていた。アドリブでお風呂の排水溝まで掃除した日には、普段全く口を利かない姉がわざわざ謝辞を述べたりと涙不可避のやりとりも見られた。

その結果、帰京して以降も家事マニアとしての自意識そのままにお風呂のカビを落としたり排水溝を磨いたり便座をぞうきんでさっと拭きあげたりして健気な自分に酔いしれた。普段は絶対やらないようなエリアにあえて手を伸ばすのが楽しく、お風呂に入っては排水溝が窒息死するまで歯ブラシを奥底に突っ込み、無限に湧き出す汚れやヘドロを永遠に歓迎した。

家事の良い所は終わりがないところかもしれない。どんなに雑巾がけをしても部屋のホコリが一つ残らず落ちることは無いし、どんなに美味しいチャーハンが完成してもそこからそのチャーハンを1000日連続で作ったら1000日後のチャーハンの方が絶対美味しくなってるに違いない。やればやるほど裏切らないのが家事だ。英語の勉強とか筋トレとかと同じカテゴリに入るのかもしれない。継続を積み重ねるだけで手軽にいい思いが出来るのだから、もっと若い世代を中心に家事に努めるムーブメントが起こっても良いと思う。具体的に言えば、各家事ごとの出来を点数化して、その総合点の高さをライバルと競い合うような家事バトル漫画を週刊少年ジャンプに連載してほしい。呪術廻戦と違って、お母さん世代にも刺さると思う。


おしまい。



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