2/9 徹マン

突然、麻雀のルールを全く覚えていない自分のことが猛烈に恥ずかしくなり、猫なで声の萌えキャラがにゃんにゃん言いながら牌を打っている流行りの麻雀アプリを慌ててインストールした。

大学に入学してまもない頃の4年前ぐらいは、先輩の影響もあって麻雀に誘われる機会がものすごく多かった。そこまで仲も良くない先輩に肩をポンポン叩かれながら当たり前のように「打とうぜ」と誘われるたびに「何をですか?」と毎回新鮮に素知らぬフリを決めていたが、内心では連日やれ徹マンだ徹マンだと言って夜な夜な夢中になってる彼らを見る度に麻雀がなんぼのもんじゃいと思いつつもひそかな憧れを静かに燃やしていた。

それでも先輩の誘いに乗らなかったのは、そこまで仲良くもない先輩に『ロン!』だの『ポン!』だの『チー!』だのとご機嫌に指さしできるような度胸がなかったのもあるが、それ以前にそもそも『ロン』だの『ポン』だの『チー』だのが正直なんの効果を持ってるか全くわかっていないのもあるし、さらに言えばもし先輩の前でそのへんの塩梅を間違えたら「今のはロンじゃない」だの「これだとフリテンになっちまう」だのと口々に言われてしまう事が容易に想像でき、そうなった日にはもう頭をかきむしりながらうっせえうっせえうっせえわと荒れ狂って卓上の牌を全部ひっくり返してしまう気がしてしまい、それだと先輩がちょっと可哀想な気がしてならないのでそれだけは阻止してあげようと少しの優しさが働いたのが大きな理由の1つである。

結局、麻雀は1人で覚える事にした。1人で麻雀のルールを覚える分には、特にうっさくなる事もない。

その時も今と同じく麻雀のアプリでルールを覚えようとした記憶があるが、結局つい最近になってもルールが覚えられてなかったわけだからその時の勉強は全く何の効果もなかったという事だ。

習得するためにはとにかく実践!と意気込みながら無鉄砲に対局だけしていたが、本当に何の意味も無い無駄なあがきでしかなかった。

何の下調べもせずにノープランでやり始めると結局何が『刻子』で何が『対子』なんだか分からなくなってきたり、そもそも『刻子』と『対子』がなんて読むのか思い出せなくなってそれが無性に気になったりと、細かい部分に疲弊してるうちに全体のルールまで頭が回らなくなった。ストレスだけが溜まり、ちょうどその時期発売された新作のパワプロでその憂さを晴らすかのようなパワーSのホームランバッターばかりを育成していたら結局そっちの方が楽しくなってしまい、そいつが高卒から引退するまで通算何ホームランぐらい打つのかに興味の的が絞られたところで、麻雀に対する僕の記憶は止まってしまっている。(結局そいつはプロ通算2000本塁打を達成し、本塁打だけで名球会入りを果たした。)

ともかく、前回は基本的なルールを疎かにしていたわけだからその反省を踏まえて、今回は実践重視だったカリキュラムを見直して座学で基礎の基礎を学びなおす事から始めた。どういうものが『役』にあたりどういうものが『フリテン』に当たるのか、改めてルールブックをじっくり読み込んだら自分が思っていたより複雑なものじゃないことが分かった。

その結果、今では基本的なルールを抑えたことでようやく麻雀本来の楽しみ方ができるようになってきた。ルールも知らずに手探りで勝ち筋を探ってた頃に比べると、対局のモチベーションも段違いな気がする。

何か新しい技術を覚えるのは難しい事だが、その技術を習得し自分のものとして使いこなすのはもっと難しく、さらにはその習得した技術を磨いて磨いて最上のものに極め上げる事はもっともっと難しいと鬼滅の刃のおまけページにも書いてあった。つまりは水の呼吸だろうがポンチーカンだろうがおんなじことが言えるわけで、今ようやくスタートラインに立てたわけだからここから相手の手を考えたり読んだりしながら頭を使ったうえで実際に勝つところまでたどり着ければ本当に麻雀が楽しくなる気がする。

ある程度のところまで覚えたら友達と一緒に打ったり近所の雀荘に行って打ったり雀荘のカレーだけ食ってそのまま何も打たずに帰ったりして、またひとつずつ大人の階段を登っていきたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?