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オムライスと創作料理#02「教科書として使える本を」

学芸出版社から執筆の打診メールを受け取ったのは、昨年(2021)年の7月13日のことだった。それから1年以上もこの本を作るのに費やした。

「1年以上先出版なんて随分気が長いな」などとその時は思ったものだが、何を隠そう最後の最後まで脱稿せず、しかもしぶとく校正で文章を直し続けたのはこの私だ。

教科書って使うかな?

大学の教科書の執筆依頼に対して最初に思ったのは、授業で教科書を使ったことがないんだよなー、ということである。

授業で教科書を使用しない先生は結構いるように思う。

昔ながらのスライド(と同じ内容のプリント配布)派の先生が令和のこの時代にまだ残っているかはわからないが、パワポで全部作ってある先生は少なくないのではないか。

私はこれまでプロダクトデザイン、商品企画、あるいは設計やCAD、機構学に材料学、さらにはHCDにインタラクション、果てはwebデザインまで、器用貧乏というのか便利屋というのか、多種多様な授業を担当してきたが、講義系の授業で教科書を指定したことがない(PC演習系の授業で教則本を丸々一冊やる、という授業設計はしたことがある)。

上の授業の中で強いて挙げるとするならば、機構学と材料学は教科書を選んで指定することも可能かもしれないが、工学部向けの機構学の教科書はデザイン系の学生には難しすぎるし、デザインで扱う材料は物性だけでなくCMF(Color 色、Material 素材、Finish 仕上げ)も重要なので、工学部向けの材料学の教科書では足りないのである。

この本を買え、と言えるか

デザインの歴史cover

そもそも教科書に指定するということは学生に「この本買いなよ?」と言うのに等しい

学生からすると3千円くらいからの本を各教科ごとに買わされるのは痛い

教科書に指定された本は生協や書籍部が大量に発注するだろうから、「授業中あんまり教科書使わないじゃん」と思われ売れ残ってしまうと書店にも取次にも版元にも迷惑がかかりそうだ(本の流通には詳しくないので想像で書いている)。

本当に授業中フルに使う本でなければ「参考書」指定にしておき、「教科書:特になし、適宜授業中に指示する」とするのが無難だ。

しかし、授業の教科書を指定しない一番の理由としては、教科書とされる本があったとしても90分×15コマに対してどう使えば良いのかわからない、というのが大きい。

大体の教科書は「学ぶべき内容が網羅的に書かれた本」ではあるが、「これさえあれば半年の授業ができる本」にはなっていないのだ。

教科書指定している場合は担当教員が自分で執筆した本であることが多い。そりゃ使いこなせる筈である。

大学教員の付け焼き刃

意外に思われるかもしれないが、大学教員が教えている授業の大半の内容は自分の専門ではない

専門分野というのは研究者として論文を書いている分野という意味である。正確に言うと論文を「書いている」だけではなく他の研究者によって査読されて雑誌に掲載されている必要があるが、そのためには、世界中の誰も知らないことを明らかにする必要がある。どんなに些細なことであっても(些細じゃない方が良いのだが)、人類にとって新たな知を生産しなければならない。それが研究者にとっての専門分野という意味だ。

そもそも15回も授業をすれば、自分の専門分野の周辺まで話は広がるし、複数の授業を担当する場合、どうしたって自分の専門分野とちょっと違う分野も含まれてしまう。

内科医に「眼科と皮膚科も診てね、医者なんだからできるでしょ?」という感じである。コンクリートの強度を専門に研究している人が建築材料の授業を受け持ったら、鉄のこともガラスのことも木のことも、コンクリートについて語る時と同じ顔をして教えるのだ。

そういった授業では、特に授業設計をしてシラバスを事前に書きあげなければならない新規担当1年目は、教科書として使える本があれば超絶ありがたい筈だ。

見開き完結スタイル

というわけで、本書は教科書として使いやすいように、1章が見開き完結の44章構成となっている。

本当は45章としたかったが、諸事情で44となってしまった。だが基本的に毎回の授業は見開き3つ、1章に30分使えばそれだけで90分15コマの授業が出来るようになっている。初回の授業の説明や自己紹介、あるいは最終回の試験やレポートの説明などで時間を喰うだろうから、その辺で調整すれば、100分や105分で14回、という開講形態でも対応可能だろう。

さてここまで使い手の教員側のメリットばかり語ってきたが、教科書の本来のユーザーは読者だ。見開き完結スタイルは基本的にはどこからでも読み始められるという利点がある。初学者にとっても使いやすい本になっている筈なのだ。

一方、『カラー版 図説』シリーズの見開き完結のスタイルは書く側にとっては思っていた以上に難儀なものだった。(つづく)

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