承久の乱が楽しみだったのだが、鎌倉殿でも一気にダイジェストだったのでもう一度おさらいすると、そもそもこの乱は朝廷と武家の対立、何れが政の主導権を得るかというものであり、ラディカルな権力闘争であったのは間違いない。そして、その後六百数十年後、とうとう武家は朝廷に屈するのである訳だ。

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