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その人は偽物かもしれない

目の前にいる母親は「本物」ではないかもしれない。
目の前にいる母親が「偽物」でないことを証明できるか。

これは私が小学生の頃に本気で悩み、恐怖していたこと。最近、この現象に「カプグラ症候群」と名前が付いていることを知った。

『脳のなかの幽霊』という本で「カプグラ症候群」という症例が紹介されている。その患者は、知っている人間が為者に見えるという。たとえば母親との面会において彼は言う。

「この人は母にそっくりですが、本物の母ではありません。母のふりをした偽者です」

上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

カプグラ症候群(カプグラしょうこうぐん、Capgras delusion、カプグラシンドローム)とは、家族・恋人・親友などが瓜二つの替え玉に入れ替わっているという妄想を抱いてしまう精神疾患の一種。

Wikipedia『カプグラ症候群』

「偽物」の母親

私は小学生の頃、突如にして母親が「本物」ではないと思い込み恐怖した。まさにカプグラ症候群と同じ現象である。

  • 「本物」の母親はどこにいるのか

  • なぜ「偽物」の母親は「本物」の母親を装っているのか

  • 「偽物」の母親と暮らしていて大丈夫なのか

と、本気で考えていた。「偽物の母親だ!」と泣き叫びながら訴えていた記憶がある。母は困惑しただろうが、当時は心の底から怖かったのだ。

「母親は偽物だ」との思念はいつの間にか消えていた。少なくとも小学3年生の時点では「偽物」かどうかを気にしていなかった記憶がある。

なぜ「偽物かもしれない」との可能性に対する興味を失い、恐怖感も消え失せたのか。学校生活に馴染めなかったが故の急性ストレス反応だったのだろうが、正常に戻った経緯は思い出せない。

その人は「偽物」かもしれない

今となっては「母親が偽物かどうか」は大した問題ではない。むしろ「本物」と「偽物」を区別する思念への哲学的な興味が湧いてくる。

よくよく考えてみると「本物」だと確信していることも不気味ではないか。我々は目の前の知人を勝手に「本物」だと決めつけて交流している。しかし、いついかなる時も、あらゆる人物は「偽物」である可能性を孕む。

いわゆる悪魔の証明に近く「偽物でないこと」を証明するのは不可能に思える。

「本物」と「偽物」の違いは?

そもそも「本物」とは何なのか。

人格が完全にコピーされた別個体は「偽物」と呼べるのか。外見、性格、感性、記憶などあらゆるものが「本物」と同じならば「偽物」でも構わないのではないだろうか。なぜ「本物」であることに価値を置いているのか。疑問は尽きない。

「その人」を「その人」だと思い込むには、なにが必要なのか。

私の脳ミソでは答えに辿り着けない(意見などあればコメントください)。ひとつ思ったのは「その人であること」の客観的な証拠は必ずしも必要ではないこと。現に我々は、いちいちDNA鑑定をせずとも「本物」だと思い込めるのだから。

「本物」の価値を揺るがすバーチャル技術

答えはさておき、この問題は「バーチャル不死」を考える際にも出てくる。バーチャル不死とは、死後も故人のデジタルレプリカが存在し続けること。故・美空ひばり氏をAIで再現し、新曲を披露した実績もあるようだ。

故人の記憶や感性をAIに学習させ、バーチャル空間で外見や声、表情の作り方までも再現できれば、それは「不死」と呼んで差し支えないのか。

仮にバーチャル不死を実現させる技術が進歩したら、バーチャル空間で再現された故人を「偽物」だと区別し続けられるだろうか。そもそも「偽物」だと区別する必要があるのか。

少なくとも「遺影」「遺骨」「墓石」よりは感情移入ができそうだ。それでも、生前と同じ感覚でデジタルレプリカと交流できるのかは未知。

本物と偽物、生と死

では、生前にデジタル空間でしか交流したことのない人物ならば、生前と同じ感覚でデジタルレプリカと交流できるのか。なんだが、できそうな気がする。

チャット友達が自身を模倣したチャットボットを作成し、死後も私とのチャットを続けたとする。この場合、その友達が「本物か偽物か」あるいは「生物学的に生きているか、死んでいるか」を区別する必要があるのだろうか。

チャットよりも高次のデジタルレプリカならば、なおさら「本物(生)」と「偽物(死)」の境が曖昧になりそうだ。

あとがき

本を読んで湧き出てきた思考を、取り留めもなく書き出してみた。「コレだ」という答えは見つからないが、考えるとワクワクしてくる。

目の前の人物が「本物か、偽物か」を考え出すと、その人物が生物学的に「生きているか、死んでいるか」は大した問題ではないように思えてくる。実際は大した問題なのだが、そう錯覚してしまう。

今回紹介した上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』は大変に興味深い本だった。

著者の上田啓太さんはnoteで日記を書いておられるようだ。

引用部で紹介されいた『脳のなかの幽霊』も読んでみたい。

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