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気持ちよくお金を使えない

ここで1000円を使ったら、もう1時間働かなければならない

学生時代、バイト帰りにラーメン屋の前で考えていたことだ。60分働いて手にした1000円を、たった15分で食べ終えるラーメンに費やすのか。ラーメンを食べるのは時給マイナス4000円の贅沢だ(15分でマイナス1000円なら60分に換算するとマイナス4000円)。こんなことをよく考えていた。

お金を使ったら、将来的にその分だけ働く必要が出てくる。この考えがいまだに抜けず、気持ちよくお金を使えない。


病的な節約

「強迫的節約」なる病態があるらしい。不安ゆえ節約にこだわりすぎて、生活に支障をきたしている状態を指すようだ。より正確な情報はコチラの動画で解説されている。

具体的には、こんな状態↓だろうか。

  • 生活が「節約」に支配される

  • 節約をしすぎて不健康になる

  • お金を使うことが苦痛になる

  • 家族など周囲の人にも節約を強要する

一般に強迫的節約は「将来への不安」がトリガーとなるようだ。将来が不安だから、節約をして蓄えを築こうとする。誰しもがとり得る行動だが、将来への不安が強すぎて過度な節約に走ると病的になってくる。

気持ちよくお金を使えない

私は自他共に認める「節約家」「倹約家」「ケチ」だ。呼び方はなんであれ、節約を強く志向し、日常的に実行している。私の場合、生活に支障をきたしてはいないので「病的」ではないだろう。しかし、節約に強いこだわりがあるのは事実だ。

そもそも、私は根本的にケチな性分。お金だけでなく、時間やゲームのアイテムまでケチる。移動時に最短ルートから外れたり、電車が遅延すると強いストレスを感じる。ゲームでも高ランクの消費アイテムを温存し、結局使わないままクリアすることが多い。モンハンで言うと、薬草→回復薬→回復薬グレートの順に使っていく。

私にとって節約は「辞めらない癖」とも言える。特に、気持ちよくお金を使えないのは悩みだ。1万円の高級焼肉を食べても「1万円を使ったモヤモヤ」が割り引かれた幸福感しか得られない。ゆえに、奢ってもらうは大好きだ。奢ってもらったときには純度100%の幸福感を得られる。

(余談)自腹で高級焼肉よりも、奢られマックか?

お金と引き換えに発生する幸福感を「名目幸福感」とすると、そこから消費金額に応じたモヤモヤが割り引かれて実際に得られる「実質幸福感」は次式で表される。

$$
\text{}\\
実質幸福感=\dfrac{名目幸福感}{消費金額}
\\ 
$$

消費金額を限りなくゼロに近づけると(すなわち、奢ってもらった状態に近づけると)実質幸福感は無限大になる。

$$
\text{}\\
\displaystyle \lim_{消費金額 \to 0}\dfrac{名目幸福感}{消費金額}=\infty
\\ 
$$

この理論によると、自腹で高級焼肉を食べるより、マクドナルドを奢ってもらう方が得られる幸福感が大きいことになる。ただし、焼肉の名目幸福感が無限大の場合はこの限りではない。

賃金労働を最小化すべく節約する

先ほど、私にとって節約は「辞めらない癖」と書いた。「癖」と言うと、無意識のうちに節約をしている感がある。確かに節約は習慣化されており、息をするように節約できる。しかし、節約の動機は明確にある。

私が節約をするのは、賃金労働をしたくないからだ。働いて贅沢をしたい欲望よりも、働きたくない欲望が強いのだ。お金を使わなければ、その分だけ稼がなくて良い。これは資本主義社会の真理である。

私が賃金労働を忌避するのはチームワークへの恐怖感、不適合感、嫌悪感があるからだ。賃金労働は往々にしてチームワークを伴う。個人で稼ぐことも不可能ではないが、残念ながら私にそんな才能はない。やはり、賃金労働と言えば組織に属して働くのが一般的だ。

個人で稼げないくせに、組織に属して働くのも嫌だ。

こんなワガママを叶えるには「節約」くらいしか有効な手立てがない。幸運なことに、現在は主夫として無賃労働(家事)をしながら生き永らえることができている。家事をしつつ、節約を極める。これが現時点では最善の手段なのだ。

なぜ、ここまでチームワークを恐れるのか。私には3つの仮説が考えついた。

と、ここで2000字が見えてきた。長くなりそうなので、私がチームワークを恐れる理由は別の記事に書こうと思う。

(追記)続きです↓

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