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No.148 2012年~ 5年生社会科「東日本大震災を考え続けよう」

 2012年度から東日本大震災の被害を風化させず、これからも継続して考え続けるために初等科5年生社会科の最後の単元(3月11日前後に実践する)に「東日本大震災を考え続けよう」(4時間)があります。1時間目「今年の3月11日」、2時間目「震災遺構をどう考える」、3時間目「福島の今」、4時間目「私にできることは」という学習過程をとります。
 教師が被災地のフィールドワークをすること、メディアからの情報を得ることを通して学習を構成しています。教師のボランティア体験を子どもたちに伝えることや子どもたち自身が体験したことをお互い伝え合うことも継続して行っています。風化させないためには継続した取り組みが必要です。

 私はこの考えのもと、2012年度から2019年度までの社会科専科の5年生の最後の単元で実践してきました。今回のエッセーでは、この授業の背景にある私の考えと行動について記述できればと思います。後に述べますが何回か被災地をフィールドワークして写真撮影をしましたが、今回のエッセーでは冒頭のモノクロ写真以外掲載しないで文章で綴っていきます。

 2011年3月11日、あの大震災は子どもたちといた教室にも私が経験したことがない大きな揺れをもたらしました。6年生の子どもたちと間近な卒業式に向けての練習後、教室で当日配布された卒業アルバムをみんなで観ていた時でした。あの長く大きな揺れに、不安で泣き出す子どもたちの姿がありました。学校に残っていた子どもたち全員を人工芝に集め人数を確認し、その後どのように下校するか伝え、保護者が迎えに来るまで教室で待機することになりました。初等科は私学のためいろいろな所から通学しています。保護者の迎えは困難を極め、深夜や翌日の朝、昼近くにやっと迎えに来ることができた方もいらっしゃいました。もちろん、教員は全員学校に泊まりほとんど一睡もせずに子どもたちを保護していました。震災当日の夕方からの報道で東日本大震災での被害に恐怖感と唖然とした自分を覚えています。
 この未曾有の大震災に対して、自分は何ができるのか、教師として何を伝えることができるのか、3カ月ぐらい自問自答しても答えが見つかりませんでした。でも、「自分にできることをすればいいのだ」という気持ちに収斂させていきました。その自分にできることは「被災地を取材した記者とコミュニケーションする場をつくること」「被災地を自分の目で見ること」「子どもたちに被災地の状況を考えさせ子どもたちに被災地と自分たちの生活を繋げさせる」ことの3つでした。あえて、その3つを関連させるとか、順番はどうするかという難しいことは考えないことにしました。できることから始めようという方針をたてたのです。
自分への提言① 自分にできることをすればいい

 東京の私立小学校教員の研修会で取材記者の話を聞く機会をつくりました。私が所属している東京私立初等学校協会社会科部では、6月に成蹊小学校で開かれた1日研修の午後、東日本大震災の被害状況と新聞記者の果たす役割を把握するために、朝日新聞の山浦正敬氏(朝日新聞盛岡総局次長)を招き講演会を行いました。他の部会の先生方も多く参加され関心の高さが伺えました。同じ年の夏、第12回のNIE清里フォーラムでも山浦氏をお呼びしてパネルディスカッション「震災報道とNIE」の企画をしました。あらゆる層の方にとって記者とのコミュニケーションは大きな役割を果たすと考えました。
自分への提言② 被災地取材記者とのコミュニケーションを企画する

 2011年6~7月 4年生社会科での「エネルギー教育」の実践
 東日本大震災は戦後最大の自然災害と言われ、未曾有の事態を引き起こしました。同時に東京電力福島原子力発電所の事故は人災とも捉えられ、日本のエネルギー政策に大きな転換をせまる事態になっています。私は当時担任していた4年生の社会科で次のようなエネルギー教育の実践を行いました。
単元名「人々のくらしとエネルギー」
第1時「エネルギーって何だろう」第2時「電気はどうやってつくるの」第3時「電気がどうして足りないの」第4時「この夏の電気対策はどうするの」第5時「これからのエネルギーはどうするの①課題をつかむ」第6時「これからのエネルギーはどうするの②調べるⅠ」第7時「これからのエネルギーはどうするの③調べるⅡ」第8時「これからのエネルギーはどうするの④討論する」第9時「これからのエネルギーはどうするの⑤今後の計画」
 第8時の「これからのエネルギーはどうするの④討論する」は東京私立初等学校協会社会科部の研修として公開授業を行いました。授業の検討会では、指定討論者として私学の教員二人と共に、環境問題を専門とする朝日新聞編集委員の竹内敬氏にも加わって頂き活発な討論を行うことができました。
2011年10月~2012年2月 4年生総合的な学習での「つながろう東日本」の実践
 社会科での実践をさらに発展させるために、4年生の総合的な学習では学年全体で「つながろう東日本」というテーマを設定し、調べ学習の計画をたてグループごとに次のような学習に取り組み発表する機会を持ちました。
 「今、私たちにできること」「仮設住宅について」「人々の支援(動物救護・自衛隊・外国からの支援)」「ボランティア」「災害時のメディア」「防災グッズ、非常食」「自然エネルギー」「原子力と放射能」「省エネルギー」「東日本の復興とボランティア」「世界のエネルギーと世界の国々の支援」「地震と津波の被害」「自衛隊の活動」「避難所とボランティア」「電力新聞~節電を考える~」
 調べ学習の途中で、『毎日新聞』2011年3月12日朝刊一面の「東北で巨大地震」の写真(キャプション「陸に押し寄せ、家屋をのみ込む大津波=宮城県名取市で11日午後3時55分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影」)を撮影し、2011年の日本新聞協会賞を受賞した毎日新聞の手塚耕一郎氏を学校に招き、4年生児童とのコミュニケーションをとることができました。どうしてあの写真が撮れたのか、震災における写真記者の果たす役割、被災地の現状はどうなっているのかなど報道する立場からの意見を伺うことができました。この総合的な学習の実践では、被災地と自分たちの生活のつながりをわずかではあるけれど考える機会をもてたのではないでしょうか。
自分への提言③ 被災地と自分たちの生活をつなげる

 2011年8月~ 被災地を訪ねる
 社会科の教師にとってフィールドワークは最も重要な研究の機会です。かつて水俣市で胎児性水俣病の患者にお会いすることができましたが、その時ほど命の重みを考えたことはありませんでした、東日本の被災地を訪れることは、人々の命と復興の力をいかに自分の訪問体験の中に位置づけるか考え行動にうつしました。
2011年8月 東松島、松島を訪ねる
2013年4月 気仙沼を訪ねる
2013年8月 気仙沼を訪ねる
2014年8月 気仙沼、陸前高田、大船渡を訪ねる
 気仙沼には震災直後市内で大規模の火災が起こったこと、まぐろ漁船「第18共徳丸」が市街地に打ち上げられた映像や記事が残りぜひ訪ねたいという意向がありました。「震災の記憶、伝える挑戦」「リアス・アーク美術館常設展 宮城・気仙沼」(「朝日新聞」2013年7月10日夕刊)の記事を読み、リアス・アーク美術館を訪れ記事で書かれていることを追いかける試みをしました。また、「市街地の漁船 保存断念」「気仙沼市、市民アンケートで賛成16%」(「朝日新聞」2013年8月5日朝刊)を読み、記事を書かれた青瀬健記者にお会いして市民アンケート、市長の会見のようす、記者の考えを尋ねることができました。
 小学生の被災地訪問、研究
 私が教えている小学生も自主的に被災地を訪問したり、研究したりしていました。二人の例を挙げます。
 2012年4月二泊三日で陸前高田、気仙沼、南三陸町、松島、仙台などを訪ねています。各地で震災の爪痕を体感し、最後に次のような感想を記しています。「この震災はその地いきの方には大きなひ害をあたえるけど、ちがう地いきの人には今の生活をふりかえらせてくれる震災でした。ひさい地に行ったらまずはじめに思ったことはわたしたちにできないことはない。この9さいというわたしの年れいの人にもできることは山ほどあるということでした。私の願いは、日本そして世界が共にたすけあって、協力してふっこうできるように、ぼ金、ボランティアなどせっきょく的に取り組めるということです。」
 私が勤務する小学校の6年生の総合的な学習では「卒業研究」に取り組みます。一人ひとり関心があるテーマを約1年かけて研究するのです。2013年度のある6年生は「東日本大震災で地元新聞社が果たした役割」というテーマを設定し、河北新報を訪ね取材の経験を生かしまとめていました。内容は①インタビューの内容 ②東日本大震災とは ③震災後の被災地の状況 ④河北新報社、報道に関するエピソード ⑤新聞の歴史 この児童は1年間の卒業研究を通して、「学んだこと、考えたこと」として次のように記しています。「インタビューを通して分かった事実やその他の研究から主に2つのことを学びました。①報道機関には速く真実を伝えるということと後世のために出来事を記録するという役割があり、前者はテレビやインターネットに、後者は新聞に向いているということ。②新聞記者は、東日本大震災のような大きな災害が起きても、何も出来事を知らない読者に速く真実を伝えるために努力する。」
自分への提言④ どの年代の人も被災地から多くのことを学べる

 2014年3月「震災遺構」保存か撤去かを考える
 気仙沼に2度目の訪問時に「『第18共徳丸』が住民の意向により解体の方向に進んでいるという記事を読んでいました。震災遺構を保存するか解体するかは地域住民の意向を尊重すべきと考えていた私は市民アンケートにより決定したことは妥当な判断と考えていました。気仙沼市内のリアス・アーク美術館では、東日本大震災による津波被害の実態をテーマとした常設展を始めたという記事も読み、実際訪れそのような展示からも震災の記憶を留めることは可能と思われました。
 しかし、広島の原爆ドームも戦後、保存か解体かで論争があり原爆投下の21年後に決着したことは知っていました。東日本震災遺構もできだけそのままの形で残すことがより多くの人々に関りを持ち続けることに繋がるのではという考えも私の中に残っていたのです。そこで、子どもたちと一緒に「震災遺構を保存すべきか解体すべきか」について考えてみることにしました。決してどちらかに結論を出すということではなく、被災地の人々の考えと自分の考えを持ち、お互いの意見を理解し合うことが目的です。子どもたちに配布した新聞記事は以下のものです。
①「船の保存 悩む住民」「原爆ドーム  決着まで21年」『読売KODOMO新聞』2013年4月18日
②「震災の記憶、伝える挑戦」「リアス・アーク美術館常設展 宮城・気仙沼」
『朝日新聞』2013年7月10日夕刊
③「市街地の漁船 保存断念」「気仙沼、市民アンケート賛成16%」『朝日新聞』2013年8月5日朝刊
④「消えゆく 震災遺構」「保存か撤去か 葛藤」「原爆ドーム 過去に論争」『朝日新聞』2013年9月21日朝刊
 この授業は5年生、6年生の社会科の授業として取り組みました。5年生は「わたしたちの生活と環境」の単元で、6年生は「世界の中の日本」の単元として、東日本大震災を継続して考えることができる一つの契機とするものです。クラスによって少し異なりましたが保存、解体はほぼ半数でした。
 震災遺構の保存と解体二人の6年生の考えを載せます。
「私は保存した方が良かったと思う。記事にもあるが、数年、十数年と時がたつにつれて記憶が薄れてきて残すのが難しくなってくると思う。それを防ぐために保存した方がよかったと感じる。また、実際に見て被害の大きさを知ることによって復興に関心を持てるようになると思う。みんなの意見を聞いたが、やっぱり保存した方が良いと思う。地震も津波も国際的に関係があるし、もっと私たちだけでなく海外の人に関心を持ってもらいたい。」
「解体に賛成です。維持費にたくさんのお金もかかるし、なによりも被災した方が思う苦しい気持ちや悲しい気持ちを思い出してしまうからです。確かに東日本大震災を忘れてほしくないので、象徴を残してほしいのですが、船のような大きなものではなく、リアス・アーク美術館のように『かけら』でも後世に伝えることができると思います。」
自分への提言⑤ 大人と子どもで一緒に考える場をつくる

 2014年8月20日未明広島市で大規模な土砂災害が起き74名が亡くなりました。2014年9月27日御嶽山の噴火により57名が亡くなり、行方不明が6名(2014年10月23日現在)という災害が起こりました。2014年11月22日には長野県北部地震で震度6弱を記録しました。自然災害はどこでも起こる可能性があるのです。
自分への提言⑥ 自然災害の実状を理解し、身の守り方を考える習慣を身につける

参考
リアス・アーク美術館
https://rias-ark.sakura.ne.jp/2/

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