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自己覚知と内省の手段としての言語化|横山北斗

本エントリは、「SCAソーシャルワーカーサポートPJT」の一環で、メンバー各々が、自身の助けとなった資源について語っていくリレーnoteの初回になります。

わたしが担当回である本エントリは、自己覚知と内省の手段としての言語化について書いていきたいと思います。

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1.はじめに

わたしは、大学時代から、今に至るまで、実践において何かに困ったとき、悩んだとき、暫定解を出すために、自分に問いを投げかけ、その応答としての文章を書き続けてきました。

仕事や誰かに求められて書く文章ではなく、自ら能動的に、継続して文章を書くようになって15年ほどになります。

書くことは、”違和感”や”感情”を言語によってつかまえてあげる作業でもあり、私は職業人としても、個人としても、書くことによって内省を深めていきました。


2.書くことに動機づけられたきっかけ

書くことに動機づけられたのは、大学 4 年生のときの病院でのソーシャルワーク実習でした。

実習指導者から実習前に課されたレポートでは、「自分はどんな人間か」、「自分が理想とするソーシャルワーカー像とはどのようなものか」という2つの問いが課されました。それらの問いは、当時の自分の内省を大いに促してくれました。

そして、日々の実習記録(毎日の実習の中で、気づいたこと、考えたことなどを書き記す日誌のようなもの)を書く中で、「気づき、考えたことを文章にすることで、それが外部化され、可視化され、深まり、自分の中に根付いていく」ということを経験しました。

14 日間の実習中、毎日 4000 文字くらいの実習記録を書きました。
はじめての出来事ばかりの実習の中で、気づき、考えたことを書く過程で、そして、それを読み返すことで、「なぜ、自分があのときこう思ったのか」等の新しい問いが生まれるという経験をしました。

そして、生まれた問いについて考えることで、ソーシャルワーカーとしての職業的価値観が少しずつ自分の中に根付いていきました。

実習記録は、「気づきを言語化する」ために「書く」ことの最初の一歩だったように思います。実習で記録を書くことを経験したことで、当時全盛期だったmixiで、日々の気づきを書き記すようになりました。

現場2年目の頃からは、個別のケースを用いずに書くという制約を設けて、日々の実践から気づいたことや学んだことをブログに書くようになり、そのことによって多くの新たな出会いにも恵まれました。


3.書くことで自分をケアする

気づき・書くことは、「経験から得るなぜ?」という問いを増やします。そして、「問い」について考えることは、思考を深め、経験から得ることができるものを最大化してくれます。

以下は、自身が現場2年目くらいの頃に始めたブログの目次になります。


今読み返すと、浅はかで、恥ずかしい内容ばかりで、削除したい衝動に駆られますが、都度どのような問いを立て、向き合い言語化していたのか、という自身の軌跡を振り返る材料になっています。

現在はすぐに過去に成り下がりますので、あるタイミングで自分が考えたり気づいたりしたことを言語化し外部化してあげることは、未来の自分に対する贈り物にもなるわけです(この言葉は自身の大学時代の恩師の受け売りです)

また、もやもやしたことや納得いかないことに対し、それを問いとして言語化し、その問いに向き合い、都度、暫定解として外部化することで、それが結果としてセルフケアにもつながっていたように思います。


4.書くことで自分の持ち物を整理する


あるテーマを定め、そのテーマについて、ある程度まとまった量の文章を書くことを定期的に課すことは、そのテーマについて自らが有している知識や技術、経験、思想などを整理し、外部化することにつながります。

以下は、自職業の研鑽方法というテーマについて、書いたものです。


例えば、ナラティブアプローチについて、研修や書籍で学んだのちに、「ナラティブアプローチとは何か?」など、自身でテーマを決めて、学んだ内容と自身の経験を紐付けて書くことは、自分がそのテーマについてどのような範囲、どのような量のものを有しているかということを自分に教えてくれると思います。

以下は、アセスメント、というテーマについて、他業種の方にもわかるようにと意識して書いたものです。


5.書くことで得た問いによって自身の行動を促す

書くことは、内省を深めたり、新たな気づきを得たり、自分の持ち物を整理したり、自身をケアすることにも寄与するのであると、自らの経験を通して思うようになりました。

以下は、自身が医療機関勤務時代に、どのような問いを得て、その問いへの応答として何を行ってきたのか、について書いたものです。


書くことによって、その内容が他者にとっては役に立たないことでも、自身の歩みに整合性を持たせてあげることにつながるということに気づけたことは、「語り」の持つ意味を再考するきっかけにもなりました。


6.書くことで仲間と出会う

インターネット×テキストコミュニケーションが当たり前になった今、自分が書いたものを通して、他者と出会うことが容易になりました。

自身の好きなことや関心のあること、課題意識、やっていること、そういったことを言葉にして、他者の目に触れる場においておくことで、仲間と出会い、繋がりやすくなりました。

上記の事実を、エコーチェンバーやフィルターバブルという前提を踏まえて、活用すれば、自身が課題意識をもっている臨床上の課題や社会課題などについて議論をしたり、ともに実践を行う仲間と出会うことにも「書くこと」は寄与してくれます。


例えば、私は、上記エントリを通して、さまざまな領域・セクターの方で、申請主義によって生じる課題に関心を持ち、対峙している仲間と出会うことができました。

加えて、6年前に法人を設立した際にも、文章を通した呼びかけで、一緒に活動することになるメンバーの方々とも出会うことができました。


7.おわりに

15年前のわたしは、書くことを通してソーシャルワーカーが得られる果実を自覚していたわけではありませんが、ある程度の時間がたち、振り返ってみて、さまざまな果実を得ていたことに気がつきました。

日々の気づきや学びについて文章を書くことは、今日からでもはじめられます。

書くことだけが、全てではありませんが、ご自身にあった方法だなとも思われたならば、まずは3ヶ月。書くことをはじめ、そして、続けてみませんか?


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