短歌の香り

短歌の師匠ミルクさんのブログ、「短歌のリズムで」よりお許しを頂いたお話や短歌を掲載して…

短歌の香り

短歌の師匠ミルクさんのブログ、「短歌のリズムで」よりお許しを頂いたお話や短歌を掲載しています。澱んで腐敗の一途を辿る歌壇とエセ歌人達、転がるように消滅へ突き進む文芸としての短歌に警鐘を鳴らしながら、まがい物ばかりの短歌の中で本物を追い求める師の深い歌の世界をご紹介いたします。

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  • 私の好きなミルクさんの歌 Vol.1

    個人的にいいなあと思ったミルクさんの素敵な歌をまとめておくものです。

最近の記事

「死」に急ぐばかりの創作はなぜダメなのか

 師匠のミルクさんは、作歌において最も使ってはいけない言葉として「死」をあげられています。「亡」や「殺」なども、出来れば使わない方がよいとおっしゃいます。もちろん、単に暗いとか縁起が悪いとか、そのような単純な理由ではありません。  ミルクさんは「死」ほど自分の身近にあって、簡単で単純で幼稚で明確な落差言葉はないとおっしゃっています。落差の階段があるのなら、一歩目は「死」です。同じく「亡」や「殺」も二歩目三歩目という同じような位置でしょう。どちらかと言えば「絶対に使うな!」と

    • 愚かな願いのなれの果て

      ・自分の短歌や境遇や信条に共鳴や共感してくれるひとがいるはずだ。 (そんな人はいません) ・誰かが見てくれて、誰かが気付いてくれて、誰かが掬って取り上げてくれるはずだ。 (そんな人もいません) ・みんなと同じような短歌をつくって投稿していれば、中には応援してくれる人やサポートしてくれる人がいるはずだ。 (そんな人もぜーーーーーんぜんいません) ・たくさん短歌を作っていけば、たまには素晴らしい短歌ができるはずだ。 (そんなに甘くもありません) ・作り溜めた短歌を本にすれば、きっ

      • 重症患者の症例を紹介します。(現代短歌病)

        本来はこちらには投稿せずにおこうと思っていたのですが、某大手サイトに書いたレビューが忖度なのか、圧力なのか、消されてしまったので、こちらに書くことにいたしました。もはや歌人も出版社も書店も、今の腐ったヒエラルキを守ることに必死なようですが、ダメなものはどうやってもダメです。辛辣なレビューに耐えられないようなものは、まがい物だと自白しているようなものなのです。 川野里子さん 「ウォーターリリー」 短歌研究社 実はこの歌集、面白いです。 だって師匠のミルクさんが「ダメ」と言わ

        • 記憶の中の鮮やかさを共有する(落選歌でも宝物)

          落選歌の記事が少し読まれていて驚きました。 私の記事のアクセスなど一日に片手でおつりがくる程しかないはずなのに、なぜかその何倍ものビューがあって、「まぁ記事をコピペして学習するための巡回ロボットの機械的なアクセスだろう」くらいに思っていました。 けれども選者や選歌の物差しとして落選歌ほど明確なものはないのではないかとも感じていました。「選ばれる」「選ばれない」の線引きがどのようにされているのか全く明確な指針のない中では、世に出ることのない落選歌の方が逆説的に明確な指針になると

        「死」に急ぐばかりの創作はなぜダメなのか

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        • 私の好きなミルクさんの歌 Vol.1
          10本

        記事

          想いを留める役割を忘れない。(落選歌でも宝物)

           師匠の凄い歌ばかりでは疲れてしまうかもしれませんので、凡人である私の短歌でお茶を濁すこともお許しいただきたいと思います。 たまたま見かけたその年のNHK全国短歌大会のお題が「平」だったので、少し前に作ってあった短歌を応募してみました。選ばれるとか選ばれないとか、そのようなレベルのチャレンジではなくて、ただ入選歌集が欲しかったので適当な歌を選んで出しました。 ちなみに一応出す前に、師匠には見て頂かないと・・・と思い相談しておりまして、「たぶん選には選ばれないと思いますが、

          想いを留める役割を忘れない。(落選歌でも宝物)

          私の好きなミルクさんの歌 011

           まるで幻灯のようにパッと脳内に広がる景色、あまりに簡単な言葉、あまりに単純な景色、落差も驚嘆も裏切りも何もない世界、なのに心に染み渡る。それがミルクさんの歌の真骨頂です。 誰しもの心に同じ景色を描き出すことの難しさを、ミルクさんはいとも簡単にやってのけます。 簡単な言葉で思考の奥深くに潜り込むことを常に追求されているからこそ、すべてのモチーフが意味を持ち、読者に静かに語りかけてくるのです。 たわわに実った柿の木、そして実を落とし冬枯れとなった柿の木、夕暮れによって影絵と

          私の好きなミルクさんの歌 011

          大切なのは読めること、ただ詠むだけなら人はいらない。

           これだけ巷にゴミのような短歌が撒き散らされると、第二のうたよみんとなって閉鎖や削除の憂き目にあうサイトや、有料化によって容量制限や強制削除を避けなければならないという時代はそう遠くないと思われます。 そもそも「読める」人が圧倒的に少ないことが、文芸の中で短歌を停滞させている根本の原因なのですが、このnoteで何度もお話しているように、プロの歌人の中にも読める人はごくごく僅かしかいらっしゃいません。さらに●●賞とか●●歌壇とか多数の方が応募する系の短歌は、そもそも選者に読ま

          大切なのは読めること、ただ詠むだけなら人はいらない。

          言葉のメッキが剥がれたら(上辺だけの言葉、上辺だけの短歌)

          短歌の天才と宣う方の本をちらっと読んでみました。 あなたのための・・・とか言う、もったいぶった歌を作られる歌人です。 私は凡才なので何もかも教えて頂く立場なのですが、それにしてもミルクさんの教えと真っ向からぶつかるようなまるで真逆のことばかり書いてあって、一周回って面白いとさえ思いました。 この方の短歌は言葉や気持ちの上澄み(綺麗だと信じている部分)ばかりを掬って歌にされているようで、すばらしくキラキラしていて第一印象の良いものばかりが目立ちます。 (本物の短歌)を目にして

          言葉のメッキが剥がれたら(上辺だけの言葉、上辺だけの短歌)

          「一読瞭然」「一首自立」という流儀

           ミルクさんの歌を読んでいていつも感じるのは、とても解りやすい違和感です。 「どこかで読んだ、目にした、聞いた、ことがない言葉や表現」で常に構成されていて既視感や既読感に苛まれることは全くありません。 そもそもそれがミルクさんのスタイルであり、ミルクさんの歌たらしめる根幹でもあると思うのですが、有名な歌人達の名歌、秀歌と言われる歌の中にも「キラーフレーズ」が簡単に他の言葉に置き換わってしまうような安っぽい作り方が多く見られます。 連作に気を取られてその一首に力が入らないことも

          「一読瞭然」「一首自立」という流儀

          私の好きなミルクさんの歌 010

          この歌は「心の景色」シリーズの中の一首で、私は勝手に初恋を詠った傑作だと思っています。 ・美しい紋様だから触れられず君は節度の繭に消えゆく もう恋愛映画のワンシーンのような、なんて素敵な響きでしょう。 初めてこの歌を読んだとき、30分ほどじっと浸って動けませんでした。 幾度も幾度も繰り返し読んで、この美しい調べに込められたミルクさんの狙いを理解できてからは更にこの歌が好きになり、他の歌同様に手放せない一首となりました。 詠っているのは作者側からなのですが、ミルクさんは作

          私の好きなミルクさんの歌 010

          私の好きなミルクさんの歌 009

          この歌は「エール」と銘打たれた応援歌の中の一首です。 ・出る杭を弾いて響くオルゴール未来を鳴らせゼンマイを巻け  ぶっきらぼうな命令口調が続く、ミルクさんには珍しい形の歌ですが初っ端から攻める言葉で一気に畳みかけます。 若さや未熟さに尻込みせず、出る杭になれ。そうでなければオルゴールの音も鳴らせないではないか、未来に向かって力強くゼンマイを巻くのだ。という歌意だと想像できますが、 「出る杭」じゃないと「音が鳴らない」なんて、まさにミルクさんならではのご指摘です。 (オルゴ

          私の好きなミルクさんの歌 009

          歌人と名乗る人に真っ先に問うこと 短歌とは何ですか? 歌意は何処にありますか?

          短歌ほど曖昧の上にあぐらをかいた文芸もなかなかないと思います。 どのような歌集も歌人も歌もほとんど批判的な評に晒されず、理由のない「いいね」ばかりでレビューは占められています。 どんなに優れた製品や作品でも一定の低評価はあるものですが、こと短歌界に於いてはそれがまるでないという不可思議な状態が延々と続いています。 果たして「いいね」がたくさんある歌が、心に刻まれる良い歌なのでしょうか。 褒め殺すだけの自浄作用のない世界から、人生に刻まれるような歌が生まれるのでしょうか。 一体

          歌人と名乗る人に真っ先に問うこと 短歌とは何ですか? 歌意は何処にありますか?

          息抜きがてら #推し短歌 を考えてみる。その3

          その昔、小学校には用務員さんという学校の雑用などを一手に引き受けて活躍する方がいらっしゃいました。時間と共に傷んでゆくものを修繕したり、雑草や枯れ葉を掃除したり、ある時は救急救命士、ある時は非難誘導者、ある時は交通整理員、そしていつも目立たない所で皆を見守ってくれていました。 小さな名札と共に植わるパンジーや秋桜、朝顔やヘチマの賑やかな花壇に水を遣ってくれるときも、子供達のために周りのアリの巣を崩さないように優しい仕草でした。本当の縁の下の力持ちとは、未来へ繋がるであろうもの

          息抜きがてら #推し短歌 を考えてみる。その3

          息抜きがてら #推し短歌 を考えてみる。その2

          推しは誰にとっても太陽や月のように時に強く、時に優しく光をもたらすものなのでしょう。陽だまりを移動する猫はその恩恵をよく知っています。大きな愛かもしれないその光は特別な磁力を伴い、人々を吸い寄せて止みません。もしかしたら私たちは「推し」ているのではなく、その人の引力によって惹きつけられていることに気付いていないだけなのかもしれません。 その人の手さばき、笑顔、深い礼 会うためだけの遠回りかな 一輪だけでも丁寧に花を包んでくれる小さな花屋さんには、マジックのような手さばきと

          息抜きがてら #推し短歌 を考えてみる。その2

          息抜きがてら #推し短歌 を考えてみる。その1

          ミルクさんという心の師匠に #推し短歌 を贈ってもよいのですが、それでは自分の為にもならないと思いますので、ここは息抜きと言えども、真面目に短歌を作らねばならないでしょう。 見知らぬ誰かのさりげない動作や気配りを影から見守りながら呟く感じでしょうか。 自分がどう感じたかということよりも、彼ら彼女らが持つ真っ直ぐな優しさに寄り添うような歌がいいのでしょうね。 膝を折りフリージアの鉢近づけて 春ですよ と告ぐ 小鳥のように 若いヘルパーさんが車椅子のお年寄りに次々と鉢植えの

          息抜きがてら #推し短歌 を考えてみる。その1

          私の好きなミルクさんの歌 008

          今回の歌も夏を意識させるものを選びました。 ・過ぎ去った残り香だから愛おしい上がった後から匂う雨とか ただの出来事描写で終わる短歌はほんとうにたくさんあります。 「奥村晃作」さんの”ただごとうた”などが有名ですが、ミルクさんに言わせれば「短歌ですらない」とのこと。 解釈や心情、心の動きのような繊細な要素まで、まるごと読者に投げすぎているというのです。ただの出来事ならば新聞の記事となんら変わりない、どれだけ31音にのせようともそれ自体がファンタジックになったりノスタルジーを

          私の好きなミルクさんの歌 008