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【日記】カーネーション

今日は母の日だったらしい。
昨日のドラえもんで「明日は母の日!」と言っていて、番組内でも母の日にまつわるお話が展開されていた。それを家族で、わははと観ていた。

今朝は寝坊していて(というか最近朝弱い)、起きたら何やらテーブルがすっきりしていた。

「母の日だから」と夫。

母の日だから何かする?という話になり、子どもたちに「テーブルを片付けたらママは喜ぶと思う」と夫が伝えたらしい。夫、グッジョブ。
テーブルと床はきれいなほうがいい。モノが散ってるとストレスだ。
片付けても片付けても散らかすし、どこに片付けるのかわからないものばかりなので最近は放置していた。散らかり耐性が私だけ低いので、ストレスを感じるのも私ひとり。部屋が片付くわけがないのだ。

母の日でも私の誕生日でもいいのだけど、こうやってきれいに片付く日があるといいな。これは継続してほしい。


ひとり遅い朝食をとる。
フレンチトーストがおすすめ、と夫に言われたのでフレンチトーストにした。といっても、自分で作るのだけど。器具は使われたままになっていたから、そのまま使って作った。
食器を片付けながら音声配信を聞く。母の日のカーネーションの話題が出てきた。
配信者の方が息子さんから虹色のカーネーションをもらったよ、という話になって、そうか母の日ってカーネーションだもんな。とぼんやり思った。

そういえば、自分もカーネーションを母親に贈ったことがあったな。
なぜだか私の家(家系?)では祖母にカーネーションを贈るという謎の習慣があり、母は「自分よりむしろ祖母に贈れ」と祖母を立てようとした。それは、この手のイベントが孫同士の格付けにかかるものだからという理由であり、孫の格付けはまた親の格付けになるから、という理由であった。
聞かなくてもわかりすぎるほどわかっていたので、いとこ達に後れを取らぬよう、私や妹もカーネーションを祖母に贈るのだった。

そんな印象の方が鮮明で、母に贈ったカーネーションはどんな顔で受け取られていたのか、記憶がうすぼんやりとしている。

困ったような顔だったような。それは照れた顔だったのかもしれない。

あの時は「あまり喜ばれなかった」という印象だったけど、今にして思えばあれはどんな顔をすればいいのかわからなかったのだろう。
母はきっと、素朴な感謝を向けられることに慣れていなかったから。

今までに母や祖母に贈ったカーネーションを思い出す。
花束も鉢植えもあった。ひらひらの花びらは、ばらすとあまりきれいじゃない。まとまっている状態がいちばんきれい。押し花にも向いていない。

私も一度くらいカーネーションをもらってみたいなぁ。
それを子どもの小遣いから出させるのはすこし複雑だけど。一度くらい王道の母の日を体験してみたい。

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