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私なりの幸福論も整理しておきたいのです。

自分自身の生き方を決めるには、自分自身がどのような人間になりたいのか、という大きなビジョンを決める必要がありそうだ。

そのビジョンを決めるとき、さらに考えなければならないこととして、以下のような問いに答えることが必要であるかもしれないと思った。

それは、「人間はどうせいつか死ぬのだから、わざわざ無理して主体性を発揮して生きようがどうしようが関係ない」という論理と、「人間はどうせいつか死ぬのだから、主体的により良く生きていくことが大事だ」という論理、どちらの論理を基にして生きていくのが良いのだろうか、ということだ。

直感的には後者が望ましいのだろうということが予想されるが、前者の論理も一応成立し得るとは思う。

これらのいずれかを選択するには、改めて「幸福論」について考えなければいけなさそうだ。

あらゆる人間は、おそらくその人間自身にとっての幸福を最大化するように生きているはずだ。だから、自分自身は死ぬまでの間に、どのような幸福をどれくらい得てから死にたいのか、について考えることが、生き方の方向性を決めることになる。

1年以上前に、私なりに「愛情論」を整理したことがあったが、同様に「幸福論」についても一度しっかり整理しておかなければならない気がしてきた。

今度改めて時間を取って、文章化してみようと思う。

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