見出し画像

苦労が美談になることはない

「あの時の苦労はつらかったがなんだかんだ言って楽しかった」と多くの人は苦労した過去を美化する傾向にあります。
しかし、私は苦労は本当にクソだと思うし、できるなら苦労はしないほうがいいと考えています。
「親ガチャ」に大当たりして働かない世界線で生きられるならばそれに越したことはありません。
挫折経験などもできる限りしないほうがいいかもしれません(人としてはつまらなくなるかもしれませんが)。

私が主に苦労したのは受験ですが、今振り返っても本当にしんどかったし、もう二度とあのような経験はしたくありません。
それは勉強が難しいとか遊べないとかそういうわけではなく、とにかく屈辱的な気持ちが強かったから。
試験で落ちるというのは本当に屈辱的であり、自分の学力不足に対する怒りが強くなります。
その屈辱と怒りを晴らすべく、仮面浪人も経験したのですが、その時も自分の学力の低さに怒りを感じつつ勉強していました。

今はもう負の感情なく純粋に勉強を楽しむことができますが、苦労しつつ勉強していた時は本当にみじめな思いでした。

「あの時の苦労があるから今の自分がある」という人もいますが、私の人生を振り返るとやはり苦労とは屈辱的なものであり、美化することはできません。
まあ、確かに苦労したことで今も勉強は継続できているというのは間違ってはいないのですが、勉強は負の感情でやるものではありません。
勉強に限らず努力全般は負の感情ですべきではありません。
性格が歪みます。

という感じにあくまで個人的な経験ですが、苦労した経験が美化されるということはほぼないのです。
できるなら自分が引き当てた当たりの「ガチャ」を最大限に有効活用し、easyな人生を歩んだほうがいいでしょう。




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?