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読書感想文 浅生鴨「あざらしのひと」

いろいろとムカつく事があって、ざらついた気分で読んだ 
浅生鴨「あざらしのひと」
衝撃だった。
笑って、笑って、笑いながら落ち込んだ。

例えば「たんと者」
クライアントの意を汲むことが習い性になって
レストランでも心配のあまり山ほど頼んでしまう人を、鴨さんはそう名付ける。
「たんとお上がり」の“たんと者”だという。
私だったらなんていうだろう。
「クライアントばっかり見てる、小心者」

「のほほんの人」
あるトークイベントの会場スタッフが
「今回は来場者が少なくて良かったですね〜」
講話者に失礼だろう、考えろよ、空気を読めよ、お前!
どつきたくなるところだが、
鴨さんは 
常に周囲の空気を読んで周囲から求められる自分を演じる自分達とは違って、
「のほほんの人」は、ただ自分の気持ちと世界を
ポジティブに信じている人なのだという。


コンビニで謎の言葉「あざらし」を口にする店員さん、
いきなり大声で歌っちゃう「ノッてる人」
「〜でよろしかったでしょうか」を連発する「未来の人」
傘をゴルフクラブがわりに振り回す「バットマン」
「好きに使う人」「激しくブレる人」

「あなた、何なの?理解できない!」

そう叫びたくなる人たちを、鴨さんはじっくり観察して
クスッと笑う名前をつけてくれる。

だからこそ僕は「観察者」でいたいと思う。誰だって行動にはそれぞれの理由がある。ときには僕にとって不愉快な行動を見せる人だっている。  でも、その人にとってはそれが当たり前の行動なのだ。だから、どうしてそうするのか、なぜそう行動するのかを考えたい。  自分とは異なる感じ方や考え方をする人たちの、僕には理解不能な行動を取る人たちの、その理由を想像したい。  けっして知ることのできない他者の感覚を体験するために、僕たちには想像する力があるのだから。  そしてその想像をするために、いつも他者に向けて優しく丁寧な眼差しを向けることのできる「観察者」でいたいと僕は願っている。
『観察者』 浅生鴨

優しい、なあ。

生まれも育った環境も全く別の人たちと暮らす私の周囲には、
理解不能な人がたくさんいて
心が逆撫でされ、そそけ立って行く日に
こんな文を読んだら、泣くしかないじゃない。

自分とは違う他人を、完全に理解することはできないけれど
想像してみることはできる。
そうしたら、ちょっぴり生きやすくなるのかも。

ありがとう。「あざらしのひと」

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