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親分的思考のすゝめ

子分「親分、助けてください!こんなことになっちゃいましたー」
親分「(なんだこれ.……。困ったな。でも、俺が何とかしないと、どうしようもないし、しかたない……。)ったく、なにやってんだ!後は俺に任せとけ。」
子分「ありがとうごぜぇやす。」

「親分」と聞いて思い浮かべるイメージはどんなですか?
まあ、「偉そうにふんぞり返っている」や「子分思いの人情家」など人によってイメージは様々だと思います。

今回お伝えする意味での「親分」とは「組織のトップ」という意味で理解していただければと思います。

まず、はじめに「親分的思考のすすめ」と書いているので、「誰もが親分にならなければいけないのか」と思ってしまう人もいるかと思いますが、そうではありません。
社会においても組織においても、「役割」や「バランス」というものは大切なものだと思っています。
どの役職が偉いやどの職業がすばらしいなどということはなく、それぞれが必要な存在です。ただ、そのどの役割の中であっても持っておくと良い視点として参考にしていただければと思います。

教育の現場で子ども達と接しているとよくこんな発言を耳にします。
「先生、答えを教えてください!」
「こんなトラブルになっちゃいました。先生お願いします!」
「○○さんに自分からは言えないので、先生から言っといてください!」
こんな時に子ども達に問うのが、「ちなみに、あなたが同じ質問されたらどう解決する?」です。(もちろん、助けを求めてきてくれているので、これから一緒に解決を目指すことを前提として聞いてます!)

人に助けを求めるということはとても大切なことであり、生きていくうえで必要なスキルの1つであると思っています。
ただし、助けを求めることと全てを丸投げにするのでは意味合いが違います。
問題を誰かに丸投げしてしまうことで、自分自身の学びの機会を逃してしまっていることにもつながるのではないかなとも思っています。

そこで、せっかくの学びの機会を活かす方法として「親分的思考」で考えてみてはどうだろうかという提案です。

では、親分的思考とは、冒頭でも書いたとおり「自分自身が組織のトップである」という視点で物事を考えるということです。(会社であれば社長、学校であれば校長だと思って考えるということ)
すなわち、自分自身にプレッシャーや緊張感をあたえて考えるということです。

具体的には、以下の点が考えられるのではないかと思っています。
①自分が決裁者であるという視点
②自分がトラブル(クレーム)等の最終防衛ラインだという認識
③自分の言動が組織の総意であるという責任感
④目先のことだけでなく、長期的な影響についての見通し
⑤個人のことだけでなく、組織としての在り方や動き、社会からの見られ方についての意識

これらを意識することでどのようなことが起こるかというと、難局や初めてのことであっても「自分なりの最適解を見つけようとする」という行動につながります。
そうすることで、今までは人に助けてもらうにしても「誰かにやってもらおう」という考えだったのが「〇〇さんに意見をもらいに行こう」という主体的な動きへと変化するとともに、誰かに動いてもらうにしても自分が絵をかいて動いてもらうということができるようになるのではないかと思っています。
さらには、できるだけトラブルや面倒ごとが起こらないようにはどうすればようのか(今回においてはどこに原因があったのか)やもっとよりよくするため現実的にできそうなことは何か、そのためには誰にどのように動いてもらうのが良いのかなど、視野も広がっていくのではないかと考えています。

また、自分が必要と感じて調べた知識とその場限りの説明のために人から言われただけの知識では、知識の定着や応用力にも差が出てくるのではないかと思っています。

何かあれば、先生にお願いすればいい、困ったら上長にまかせればいいやとしてしまえば、その場は乗り越えられたとしても、また同じようなことが繰り返されたり、原因は自分の外にあると考えがちになってしまい、自分を振り返る機会さえも失ってしまうのではないでしょうか.……。

全員が親分でなければいけないということはもちろんありません。
むしろ、それはそれで歪みが生まれますし、組織のトップには実際になってみないとわからないこともたくさんありますが、今できる範囲内だけでも親分的思考(視点)をもって考えてみることで、自分の新たな可能性に気づけるかもしれないですよ!

子ども達にはもちろん僕自身も、(内容は嫌なトラブルかもしれませんが)せっかくレベルアップのイベントが発生したのだから、主人公の座を誰かに譲るのではなく、自分が主人公のままイベントを楽しんでいければいいなと思っています。

この記事は以上です。お読みいただきありがとうございました。






(おまけ)
親分とは少し違いますが、学生時代に僕の同級生が飲み会で酔いつぶれて、盛大に吐いてしまった出来事があり、誰もがその後始末に躊躇する中、一人の先輩がさっと現れてなんの迷いもなく後始末と介抱をやってくれたことがありました。
僕が後で「先輩すごいですね!よく触れますね。ありがとうございます。」と声かけした時に「ん?手なんて洗えば済むし、飲ませすぎたのは〇〇(先輩の同級生)だから、あれぐらいはやらせてよ」って言われて「(かっこいいー!親分ついていきます!)」と思ったことがあったことをこの記事をかきながら思いだしました!(※嘔吐物を素手で触ると感染症などの危険などがありますので、マネしないように)
当時の先輩の年齢は今の僕よりかなり年下なはずなのに、今思い返しても大人だなって印象があるのが不思議ですよね!
若い時の年齢の数個差って年齢差以上のなにか特別な差(憧れ?尊敬?)を感じますよねー
おわり

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