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「本当のことは、フィクションの中に」ー書くことは、潜ること、出会うこと


noteを始めたのが、2020年5月30日。

その前の3月に、コロナでスタジオのヨガを閉めた。オンラインにしたら生徒が減り、クラスを維持するために、何かを始めなくてはいけなかった。

noteの存在は知っていた。

ただ、9年マレーシアに住み、日本に帰ったのは一週間だけ。テレビも見ないし雑誌も読まないから日本の情報に疎く、noteがどういうものかよくわからず記事を書き始めた。

今考えれば、先に日常のことでも書いてフォロワーを増やしてから、連載を始めれば良かったろう。

だけど、何にも分からず深く考えもせず誰のことも知らないまま、私は「運動も英語も苦手な中年女性が、海外でヨガティーチャーになる話」を唐突に書き始めた。

だから、5月30日の記事の書き方は、今とは全然違う。見やすくなるように箇条書きにしたりして、なんとかキャッチーなものを詰め込もうともがいていたようだ。

読み続けて欲しかった。でないと、ヨガのクラスがなくなってしまうから。

書き続けていると、読んでくれる人が少しづつでてきた。2ヶ月で体験談は終えたけれど、その頃からメッセージをもらうようになった。

全く無名の私が書いた30話以上もある「体験談」。なのに、たくさんの人が読んでくれた。熱心なコメントや感想をもらった。

「途中でやめられなくなって、夜中まで読んでました。そのまま感想を書いてます」

「ラスト付近は、号泣です」

「感情移入してしまって、もう言葉では言えません」

「泣きながら読みました」

知らない人からのこんなことばに、私は素朴に驚いた。

私は、今までほとんど友達もいなかった。私の内面なんて、誰も知りなくないだろうと、ずっと心を閉ざしていた。

だから、驚いたのだ。

また、書くことは、私を変えた。正直言って、私は、何かを「書こう」とか表現しようとか、真剣だったわけではない。

だけど、パソコンを前に、私は自分の記憶に思いをはせる。

その時に感じたことや、それは何だったのか意味を知りたい、と思う。書くとはそういうことだ、と私は思う。

ことばによって、水底に触ること。

キーボードを叩きながら、私は、海に潜るように、心の奥底へ入って行くようになった。

息を吸おうと海中から出た時に握りしめているのは、綺麗なものや掴みやすいものだけではない。

人と比べて落ち込む自分。惨めなこと、孤独なこと。人は一人だということ。諦めや悲しさ。つまらないこと。行き詰まったと思うこと。

手に持ったそれらを見つめては、「それでも持ってきた」と思った。

だけど、私が知らなかったのは、潜った時の擦り傷も、あなたと出会ったときに喜びに変わること。

あなたと私が出会う奇跡は、ことばの海で起こる。

顔も名前も、職業も年齢も性別も、そんなもの見えなくなる。

あなたと私は、互いの違いを超えて出会うんだ。

だから、私は、フィクションを書こうと思い至ったのだ。自分の経験に基づく必要は、ないのではないか。むしろ、そうやって断ち切られていくのではないか。

あなたと私が「違う」って、あなたは思ってるのではないか。


私たちは、本当に違う?フィクションは、垣根をこえるのに。私が潜ってとってきたものは、あなたの知っているものでしょう?

私は、少し前に、一編の小説を書き終えた。十代の生きづらさを抱えた子が主人公だけど、別に高校生にだけ読んでほしいわけでない。

あなたに、読んでほしい。超えていくから。


1年ちょっと前の私は、書くことの意味を知らなかった。あなたとも、出会っていなかった。


私は、あなたと出会うために、いまここにないものを書いた。フィクションは、「本当のこと」を伝えることができる。

あなたと私は、出会うだろう。

ことばの海の上。



<終わり>



ーーー


小説『ジミー』


最新刊 『本当の私を、探してた。』


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