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ネパール人少女売春

2001年11月25日。ニューデリーの駅前にやってきて、まずしなければならないのはホテルかゲストハウス探しである。気候的には野宿もいいだろうが、セキュリティーの面で難がある。ウプハール・ゲストハウスのような、日本人のたまり場になっている安宿もあるのだが、実を言うと個人的にそういうゲストハウスは避けたかった。なぜなら、そういうところに行くとたいてい髭を生やした長旅自慢の人間がいて、そいつを中心にしてヒエラルキーができてしまっていると予想されるからだ。そういう環境はごめんである。
メインバザールのパハール・ガンジの入り口で荷物を抱えて立ち尽くしていると、一人のインド人が近寄ってきた。ホテルの客引きである。胡散臭ければ無視するところだが、どういうわけかそいつの話を聞き込んでしまった。ホテルはちゃんとしたホテルだという。名刺まで取り出してきて一度覗いてみてくれという。安宿探しで歩き回るのも、重い荷物のせいで気持ちが重かったので、そいつの後をあるいて行った。
「料金は?」
と聞くと、
「200~300ルピーだ」
という。たった2日間の滞在である。悪くはない。金額から察するとそれなりのホテルなのかも知れないと思い、とりあえず部屋だけでも見ようかと後をついていった。
ホテルはメインバザールから少し入ったところにあった。名前はホテル・スターパラダイスという。フロントには身なりのいいフロントマンがいて、料金の説明を始めた。
ダブルの部屋で一泊300ルピー(900円)だ。ホットシャワーも出るという。胡散臭さがなかったものだからあっさりとここに決めてしまった。料金も前払いで領収書も書いてくれた。部屋に案内されるとエアコンはなかったが、ダラムサラへ行く前に泊まったワンデンハウスよりは豪華だ。ベッドもキングサイズと来ている。ルームサービスでチャイを頼むとテレビをつけてちょっと休もうと思った。何しろダラムサラから12時間以上もバスに揺られて、薬は飲んだものの、眠れていなかったからである。そこでチャイでダラムサラで買った20ルピーの精神安定剤(そのときは睡眠薬だとばかり思っていた)を5錠ほど飲んで横になった。天井には大きな扇風機が回っている。11月終わりだからエアコンなしで済むのだが、インドの酷暑期の4月、5月だったら耐えられないだろうな、・・・と思う。しかしデリーでエアコンつきのホテルなど郊外の外国人向けのデラックスホテルにしかないであろう。私はそんな金もないし、あったとしても敬遠していただろう。
横になってしばらくテレビを見ていたのだが、そのうち飽きてきて。デリーの町を散策することにした。まず、向かったのは「いけない所」である。ニューデリー駅を挟んでメインバザールの反対側にはオールドデリーの入り口があり、その近くにGBロードという売春宿が連なっているところがある。行ってみると朝っぱらから呼び込みのババアと、かなりの年増の売春婦が通りを行く男に声をかけて連れ込んでいる。また、オールドデリーの入り口付近にも売春宿があり、そこではネパール人の女の子が売られていた。
インドのネパール人少女売春は社会問題になっている。ネパール・インド間のオープンボーダー(柵の無い国境)を越えて、年間5000~7000人の貧しいネパール人少女が、インドへと人身売買されている。被害者の年齢は14~18歳が主流。その大半が16歳以下であり、中には5~7歳の初潮さえ迎えていない幼女も含まれる。貧困家庭の子女は初等教育さえ受けられない。貧しい家庭では子どもも重要な働き手として、家事手伝い、家畜の世話、幼い兄弟の世話を担わされる。基本的インフラも整備されておらず、極端に識字率の低い貧農地帯に暮らす人々は、メディアへのアクセスは極めて困難である。情報から隔絶された社会は、純朴で無知な人々を育む。世間を知らない少女やその親は、娼婦の周旋人の巧みな誘いにたやすく騙され、日本円にして数万円~十数万円程度で、デリーのGBロード、コルカタのソナガチ、カーリーガート、ムンバイのカマチプラといった、名だたる私娼窟に売られていく。最近は、湾岸諸国や香港などにも、多くのネパール人少女が“輸出”されていることが知られてきている。
https://motion-gallery.net/projects/lung-ta/updates/18949
売春宿に売られた少女たちは、劣悪な環境下、無給で売春を強要されている。支給されるのは、粗末な食事と数枚の衣類、客引きのために施す粗悪なメイク用品のみ。客が少女たちを買う値段は100円~数100円程度(確かに売春宿の張り紙には100ルピー=300円と書かれてあった)。1日10~20人の客を取らされる。顧客もまた、社会の底辺に生きる男たちが多くを占めている。これもカーストのせいなのか?売春宿のオーナーや客の要求を拒めば激しい暴行が加えられ、性の奴隷として酷使され続ける。売春宿は現地マフィアと結託しており、24時間体制で見張りがつき、脱出は不可能である。また、売春宿は、現地警察とも癒着構造にあるため、容易には救出できない。HIV感染など、極めて深刻な病気にかかるか、客がつきにくくなる年齢(30歳以上)になって放り出されない限り、10年以上にわたって売春を強要される。インドのHIV感染者は350万~400万人と推計され、その最たる感染経路は娼窟にあるといわれている。売春宿は、表向きにはコンドームの着用を勧めているが、客が拒めば強要はしない。よって、売春宿は性感染症、HIV、ウイルス性肝炎、結核の巣窟と化している。HIVについては、半数以上の少女が感染しているといわれている。ニューデリーは都会であるだけにこうした殺伐とした面も持っている。救済組織も動いているがなかなか人身売買の廃絶までには時間がかかるだろう。
インドの暗部を見た私は切ない思いを抱いたまま、エアチケットのリコンファームをしようと思い、コンノート・プレイスへと向かった。ここはデリーの中心のロータリーである。最初、ダラムサラからのバスを降りたときには分からなかったが地図をみるとメインバザールからコンノート・プレイスは歩いてもいける距離である。雑多なビル群がロータリーをとりかこんでいるが、中でも立派な建物にエア・インディアのオフィスがある。工事中のようだったのでそこにいた人に
「エア・インディアのオフィスはここですか?」
と聞くと工事の養生の隙間を通って中に連れて行ってもらった。しばらく待って、
「チケットのリコンファームをしたいんですけど」
というとスーツを着たスタッフがコンピュータで詳細を確認しているようだった。
「ダラムサラでもリコンファームされていますね。出発時刻が変更になっていますから注意してください」
確かにダラムサラのチベット&ツアーズでもリコンファームしていたのだが、不安が過ぎっていたので再度リコンファームしたのである。ここはインドだ。しかも相手はエア・インディアである。ダブルブッキングなどあっては日本へ帰れない。
夕刻、ホテルに帰って食事でもしようと思い、メインバザールを歩き回っていると、やっぱりいたのである。ガンジャ売りが・・・
私のそばによってくると、
「マリファナ、ハシシュはいらないか?マナリ産で極上のやつだ」
カルカッタのサダルストリートでの話は有名だが、たいていこうしたガンジャ売りは偽物が多い。ちなみに幾らだと聞いてみると400ルピーだという。1200円か~~~ためしに買ってみようかなと思ったが、踏みとどまった。仮に偽物だろするといやな気分になるし、本物ならはまってしまう恐れがあった。マリファナは依存性が少ないとは言ってもアルコール依存症である私である。物質依存の条件はそろっている。
結局、その夜は夕食を食べた後、メインバザールをうろついてホテルに帰った。メインバザールはまだ賑わいを見せていた

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