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【連載小説】「心の雛」第六話

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 今日は朝からずっと雨だった。
 本日の予約状況は、午前に二名、午後に二名と割と忙しい日だった。

 午後枠の二人目の患者様は口がきけない方のようだった。
 目も見えて耳も聞こえているようなのに、先生からの質問への応答は頷くか首を横に振るだけだった。これで五度目の診察。治りの具合は一進一退のようだった。
 先生は表情ひとつ変えずいつもと同じように診察をしていた。あまり良くないですね、などと言えばさらに治りも遅くなるはずだ。それで先生は、
「こっちは前より整っておりまして、ここは前と同じ具合です」「よく状態を保つことができましたね」「◯◯様のペースで進めていきましょう」と、言葉に気を遣いながら淡々と進めていった。

 患者様が帰った後、なんと先生の手から血が出ていたので私は慌てふためいた。
「棘がありまして」
「棘?」
「えぇ、「心」に触れた時、棘に刺されてしまいました」
 心とやらに棘があるのかもよく分からないけれど、先生がどうして何でもない顔をしているのか理解できなかった。
「い、痛くないんですか?」
「痛いですよ?」
 痛いんかい! 心の中でついツッコむ。
「私、治します」
「どうやって?」
「ええと、私の血を先生にこう……エイッと投げて」
 私が言うと、先生はふふふと笑って辞退した。
妖精シルフの生き血の使い方は、水に一滴垂らして治したい相手に飲んでもらったり、傷口にかけるというのが一般的らしいですよ。直接投げつけるのは初めて聞きました」
 そうだったのか……。恥ずかしくなって俯く。

 じゃあどうして。私は頭の片隅で昔を思い出す。
 どうして両親は首をちょん切られて逆さ吊りにされて、血を搾り取られなきゃいけなかったのか? 一滴でいいのなら何もあんなこと……。
 ぐらんぐらんと頭が痛くなり気が付いたら気絶していた。意識を取り戻した時、私は先生の両手の中に横たわっていた。先生が真剣な表情で何度も謝ってきた。
「……先生のせいじゃないのに」
 よろよろと起き上がる。視界に入ってきたのは血の海。先生の手が真っ赤になっていた。な、ナニコレ?
「どうしてそんな手に⁉」
ひなの心に触れたからです」
「私の心? 棘があった? 私、先生を傷つけてしまったの⁉」
 愕然とした。先生は首を横に振り、さらに謝ってきた。
「余計なことを言いました」
「……私が何を考えていたのかは分かるの?」
「いいえ、分かりません。僕が分かることは喜怒哀楽のどれかです。心に触れると言っても触れるだけで、相手が何に苦しんでいるのか、何を悲しんでいるのかまでは分からない。雛の過去を知ったり理解したりすることはできない」
 そう言うと、先生は血みどろの両手のまま奥の部屋の小さな台所まで歩いていき、そこでそっと私をシンクに降ろした。溜まっていた血がとろりと裸足の足元を朱に染めた。

 私が先生に助けられた時、彼は過去を根掘り葉掘り聞くことはしてこなかった。心に触れたとは言っていたものの、知っていたわけでもなかった。彼は私があの時地面で死にそうになっていたのを助けてくれた。それだけだった。

 先生は何事もなかったかのように止血をし、包帯でぐるぐると手を巻いた。
「明日、明後日の予約を確認しましょう。この手ではちょっと……整えることは難しいので」
 先生は静かに微笑んで私を見た。私もなんとか笑おうと努力する。

 気絶する前より今の方が気持ちが楽になっていることに気が付いた。あの患者様のように私の心にも棘があったのだろうか。自分の心のくせに何も分からないのが悔しかった。
 血だらけになりながら私の心に触れ、整えてくれたのだと思うだけで、私は泣きそうになった……。



(つづく)


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