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長編/pekomogu/紫陽花と太陽 上

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創作長編小説の三部作(上中下)の上巻のお話を集めました。全16話。中学2年生の少年少女を通じて「優しい」ということをテーマにした小説です。
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【紫陽花と太陽・上】第一話 笑わない少女

 ぱりっとアイロンをかけた白いシャツに学校指定の細いリボンを結び、ジャケットとスカートを校則で決められた通りに着る。私は決まりを守ることが苦痛ではない。同じクラスメイトの女子よりやや長めにはいたスカートは、萌黄色の生地に茶とえんじ色のチェック柄だ。春に転校してから二ヶ月ほど経ち(転校前はセーラー服だったので初めはブレザーの制服に驚いた)、やっとこの制服にも見慣れてきたと、私は感じていた。  自分の教室にいつもの時間ぴったりに着き、机に教科書やノートをしまう。すでに教室にいるク

【紫陽花と太陽・上】第二話 試合観戦

「えっ? 剛、次の土曜日、試合なの⁉」  前にも試合の日時を聞いていた気がしたが、すっかり忘れていた。  びっくりしてつい素っ頓狂な声をあげ、それを見た僕の親友、五十嵐剛が苦笑いした。 「別に、去年も見に来ただろ? 今年だってまだ他に試合の日くらいあるよ」 「でも……。いや、次の土曜でしょ? 絶対行きたい!」  剛の剣道部の試合を見に行くのは僕の大事な予定になっている。普段、剛の部活の日は帰りが別々になってしまい昔ほど一緒に遊べなくなっていたので、こういうイベントはとても楽し

【紫陽花と太陽・上】第三話 親友

 遼介が大多数の人から好かれているのは俺にとって当たり前のことだった。家が近かったのもあって、奴とは小さい時からの付き合いだ。なんでも、母親同士が公園で俺たちを遊ばせていた時に意気投合したらしい。  小学校では何度も同じクラスになった。そのたびに、分け隔てなく笑顔で人と接する遼介はクラスのムードメーカー的な役割となることが多かった。告白をされたこともたくさんあった。そのたびに遼介から相談され……結局誰とも特別な関係になることはなかったのだが……返事をどうするのか、共に悩んでき

【紫陽花と太陽・上】第四話 番外編 ことば

 椿のことを話そう。  椿は遼介の妹で、俺たちとは九つほど歳が離れている。明朗快活な性格で姉二人にも負けないほど口達者な女の子だ。  だが俺は、彼女ほど家族に愛され、それでいて幼い頃に深い悲しみを抱えることになった人間には出会ったことがない。深い悲しみというのは母親の死別だ。世界を見ればそれほど驚くことではないことかもしれない。でも、ずっと愛されてきた彼女の世界が、ある日を境にひっくり返った。呼んでも泣いても母親にはもう会えない。  母親が死んだ時、椿はやっと三歳になったばか

【紫陽花と太陽・上】第五話 報告会@遼介宅 中学二年生/六月

以下、本文 (ピンポーン……) 「あれ、誰だろう」 「はい」 「よぅ」 「あれ、剛だ。どうしたの急に」 「まぁ急だよな。お前んち、電話機壊れてんじゃねぇの? 全然通じないんだけど」 「うっそ、ちょっと今見るよ」 「勝手にあがるぞー」 「……」 「どうだった?」 「受話器が外れてた」 「あー、それでか。一応来る前に電話しようとしたんだけどな」 「そうなんだ。いいよ、勝手に来て。いなかったら帰ればいいじゃん」 「まぁな」 「そうだよ、家と家、徒歩二分なんだし」 「これ、親から

【紫陽花と太陽・上】第六話 わすれもの

「おはよう」  下駄箱にあずさがいたので、俺は遼介にならって挨拶をしてみた。  あずさが振り向いた。少し困った表情をしていた。 「なんか、探し物か?」 「……お、おはよう。ちょっと、上履きがなくて……」  初めて返事が来たことに驚き、上履きがないということにも驚いた。あずさは遼介と違って忘れ物はしそうにない。  あずさは早々に諦めて来客用棚からスリッパを出して履いた。普通ならパタンパタンと音が出るはずの足音を、彼女は出すことなく静かに歩いた。 「この間は、応援ありがとうな」

【紫陽花と太陽・上】第七話 お茶飲もう

 期末試験。  夏季休暇の前に学校全体で行われるこのイベントは私にとって特別なことではなく、淡々とした生活の延長上にある感覚のものだった。  しんと静まり返った教室で監督の教師からテスト用紙が配られる。テスト期間中だけはいつもの席ではなく出席番号順に座席が変更になる。目の前に遼介の背中がないだけで、なんだか少し緊張してしまう自分がいた。 「はい、試験、開始」  教師が開始を告げると、みんなが一斉にテスト用紙を表に返す音が響く。  ぱらり、ぱらぱらり、コツコツコツ……。  書い

【紫陽花と太陽・上】第八話 ためいき

「遼介は、お茶を淹れるのが上手だな」  ちょっと前も学食で見た、湯のみの糸底に手を添えて静かに茶を口にした後、あずさがぽつりと呟いた。俺は淹れるのに上手下手があるなんて考えもしなかったが、ほめられた遼介はとても嬉しそうな顔をした。  試験が終わった後、俺たちは遼介の家で文字通り茶を飲んだ。  茶色の香ばしい匂いがする、なじみの茶だった。  姉二人と小さな子供がいる、あらゆるものに囲まれたこの家(目の前のテーブルには書類が積み上がり、小さな黒猫の置物、いちごの模様のペン、使い込

【紫陽花と太陽・上】第九話 夏休み

(暑いな……)  夏休みが始まり、私は今買い物の帰り道を歩いていた。  両手から下げたビニール袋がガサガサと音を立てる。米を買ったので、腕が痺れてしまうほど荷が重くなってしまった。 (無理せず、二回に分けて買い出しをすればよかったかな……)  百合さんに連絡をすることは避けた。言えば「ではタクシーで」ということになり、確かに楽ではあるが、近所のスーパーくらい一人で行きたかった。  大きな木が中央にそびえ立つ公園の横を通る。夏になり、大木はのびのびと枝を伸ばし、たくさんの葉を繁

【紫陽花と太陽・上】第十話 逃避

(どうしてこうなった)  肩で息をしながら、俺はぼうっとする頭で考えた。目が霞んでいる。  目の前には妹が倒れていた。さらさらの黒髪が顔を隠しているので表情は見ることができない。妹の胸元が僅かに上下に動いているので生きていることが分かる。胸元のボタンははじけとび、下着が見えていた。 「あず……さ」  俺は呼んだ。かすれた声が出た。  先ほどまで自分の両の手は妹の首を締めていた。手のひらに感触が残っていてひどく気持ち悪いと思った。 「すまない……」  俺は正直に今の気持ちを言葉

【紫陽花と太陽・上】第十一話 一歩、前へ

 冷蔵庫の開く音で目が覚めた。  小さいが水が流れる音、お皿が重なる音、トントントンという包丁の心地よい音が聞こえる。 (ここは、どこだ?)  ゆっくりと起き上がり、辺りを見回した。和室らしい。小ぶりのお仏壇の前に布団が並べられ、隣の布団はからっぽで、反対側の布団には……布団にかろうじて腰と足が乗っかっているが、ほとんど床の上で大の字に眠っている椿ちゃんが目に入った。パジャマがめくれておへそが見える。  起こさないようにそうっと彼女を布団に戻し、薄い肌掛けをかけてやった。  

【紫陽花と太陽・上】第十二話 だし巻き卵のお弁当

 今朝、通学路の途中で剛とばったり出くわした。 「おぅ」 「あ、おはよ。剛」 「今日は早いのな。遅刻じゃね―じゃん」  剛が、朝からの強い日差しに汗を垂らした僕と、同じ気温の中で同じように登校していても全然汗をかいていない涼やかなあずささんを交互に見て、笑って言った。 「二人で登校するようになったんだな」  僕はハタと気が付いた。剛には、あずささんが僕の家で一緒に暮らし始めたことを言っていない。 「そ、そうだ、剛!」 「なんだよ」 「僕、あずささんと一緒に暮ら」  大声で剛に

【紫陽花と太陽・上】第十三話 宿泊学習

 たくさんの十三、十四歳の少年少女らを乗せた大型バスが、山道を登っていく。  季節は夏の終わり。まだまだ暑さが続く気だるい空気が授業中には見られるが、自然豊かな山の辺りは、時折爽やかな風が吹いてとても涼しい。  二泊三日の宿泊学習。中学二年生の楽しいイベントの一つ。  クラスメイトたちは皆一様に、賑やかに朗らかにバスに揺られている。 「あずささん、楽しいね!」  ペカッと快晴、絶好のお出かけ日和に、僕は笑いが止まらない。  行きのバスでなんとかあずささんの隣の席を取れたの

【紫陽花と太陽・上】第十四話 究極の年越し蕎麦

 その時僕は、ヤカンを火にかけてお茶の準備をしていた。  うちで大活躍だった電気ポットが少し前についに壊れ(使いすぎ?)、湯を沸かすのにガスコンロを使わないといけなくなった。  ほうじ茶か紅茶かで迷い、今目の前にある「本日のおやつ」は串だんごだったのでほうじ茶の筒を開けた。パコン。蓋を開けると茶葉の香ばしい香りが僕の鼻をかすめた。  うちの台所はカウンターキッチンなので、洗い物をしている時や今みたいにお茶を淹れる時は、たいていダイニングやリビングの様子がしっかり見える。  今