第6話
「ボクは大きくなったら“飼い猫”になんねん」
“佐藤”はそう言った。
佐藤とはイシャータがひょんなことから面倒をみることになった子猫である。
猫の成長は驚くほど速い。みゅうみゅうと可愛らしい素振りを見せていたのも束の間、最近ではめっきり小憎らしいことを言うようになった。
「あんな、飼い猫になったらいつでも美味しいもんがもらえんねん。もう、今みたく毎日エサ探ししなくてええねんで」
どこでそんな知識を植え付けられてきたのやら──イシャータは薄っぺらく笑った。
「あのね、佐藤。飼い猫ってのはなるとかなれるとかでなく……」
「イシャータは前、飼い猫やったんやろ? なんでやめてもうたん? なあ、なんで? なんで?」
「う……それは、その……」
「あ~あ、イシャータなんかに拾われへんかったら今頃誰か人間に拾われとったかもしれんのになぁ」
イシャータもさすがにこの言葉にはカチンときた。
「言っとくけどね! 私はあんたを拾ってきた覚えなんてないからね!」
佐藤はビクッと震えた。
「別に血が繋がってるわけでもなし、嫌ならお好きにどうぞ、勝手に出て行けばいいでしょ?」
「な、なに怒ってんねん。これやからメスってのはわっからんわ~。勝手に拾ってきといて今度は出て行けって言うんやからなぁ」
「佐藤、いいかげんに」
「わかった! イシャータも捨てられたんとちゃうん? そんな感じでいっつもプリプリプリプリしてばっかおったから……」
イシャータはついに『フーッ!』と毛を逆立てて見せた。
「やっ~ぱ、そうなんや、捨てられたんや。や~い、すって猫イシャータさかだった~♪ お~まえの飼い主で~べ~そ~♪」
佐藤を睨み付けていたイシャータの視線がふと逸れる。
「へーん、イシャータの負けや。猫のバトルはなぁ、怖じ気づいて目ぇ逸らせた方が負けやねんで」
そう言い捨てると佐藤はひゅっと外へ飛び出していった。
イシャータの毛はみるみるしぼみ、その目は地面を見据えた。
──御主人様はデベソだっただろうか……?
思い出してみようとするが、思い出せない。イシャータは小さく「ふみゅ~ぁ……」と鳴いた。
イシャータたちの住むN区の隣にはS区がある。佐藤は丁度その境界にやってきていた。程よい段ボール箱をコンビニの前で見つけると、その中へゴソゴソと入り込み、力一杯鳴き始めた。
「誰か~、拾ってや~。ボク、ここにおんねんで~。見て~。よう見たら結構かわいいねんで~。拾ってぇや~。ボク、可哀想やね~ん!」
だが、人間たちはせかせかと通り過ぎていくばかりだ。もう一度叫ぼうと息を吸い込んだその時、ちょこんとおまけのようにくっついている佐藤の小さな耳にクスクスという笑い声が入りこんできた。
佐藤が振り返るとそこには華奢な体つきをした真っ白なメス猫がいた。
白猫は左の瞳がブルー、そして右の瞳はグリーンと、それぞれ互いに違った目の色をしている。これは白猫に多い“オッド・アイ”と言われる特徴だ。
「あなた、何してんの?」
「ボク、飼い猫になりたいねん」
佐藤は真顔で言った。
「だからそうやって捨て猫の真似してんだ」
「捨てられたんとちゃう! 家出してきたんや」
白猫はまたクスクスと笑う。
「でもボクちゃん。そこから先は入っちゃ駄目よ。レンジが違うから」
レンジとはホーム・レンジ、つまり”猫の縄張り“である。佐藤はキョロキョロと辺りを見回した。
「でも、誰もおらへんで?」
「おってもおらへんでも駄目。そこから先はS区だからザンパノの縄張りになるの」
ザンパノ──
子猫の佐藤でも噂には聞いたことがある。
その身体は獣のように巨大で犬ですら尻尾を巻いて逃げ出すと聞く。オスなのかメスなのか、それすら正体不明であるが、いざ闘いの場になるとまるで何かが憑依したかのごとく豹変するとも言われているS区のボス猫。
ザンパノ自らが表舞台に現れることは非常に稀なのだが、そのことがさらにN区にいる猫たちの噂話に拍車をかけて、よりいっそうその存在を不気味なものにしていた。
まさか、その“ザンパノ”が本当に実在するなんて佐藤は夢にも思っていなかった。
「ザンパノは子猫が大好物だっていうから、ボクちゃんなんて一口で食べられちゃうぞ」
「へ……へん! 全然怖くなんてあれへんよ。それにボクは“ボクちゃん”なんかやあらへん! 佐藤や。自分だってそんな年齢変わらへんやん」
「サトー? 変な名前。人間みたい」
「そんなんイシャータのセンスが悪いんや」
ぽつりと呟くと同時に腹がきゅうとなる。そういえば今日は朝から何も食べてないなと佐藤は思い出した。
「ついといで、サトー。きっと御主人様が何か食べさせてくれるわ」
「キミは飼い猫なん?」
白猫はちょっと首をひねって、フフと笑った。
「さあ、どうかしら?」
「キミはなんて名前なん?」
「ミリー」
ミリーはその青と緑の瞳で真っ直ぐに佐藤の目を見つめ返してくる。
そんな彼女に佐藤は何かしら今まで感じたことのない胸の高鳴りを感じたがそれはきっとお腹が空いてるからに違いないと解釈した。
「ここよ」
ミリーが顎で示した軒先には『犬山』という表札がぶら下がっていた。佐藤は『犬』という文字を見ると反射的にぶるりと震えた。
そう、それは以前イシャータも訪れた、あの通称『猫屋敷』と呼ばれる“猫の駆け込み寺”だった。
「もうすぐ御飯の時間なの。お婆さんが作ってくれる料理は最高なんだから!」
「ボ、ボクなんかが勝手に入ってって大丈夫なん? 怒られへん?」
「大丈夫よ。あたしのお友達だって説明するから。お婆さんはね、私達の言葉をちゃんとわかってくれるの」
「うっそや~。人間なのに?」
「そう、人間なのに」
ミリーの言った“友達”という言葉を聞いて佐藤の心は弾んだ。考えてみると佐藤はイシャータ以外に心を許せる猫にまだ出会ったことがなかったのである。
小さな外観からは想像できないほど広い庭があったため佐藤は少し驚いた。だが、それよりもさらに驚いたのはビー玉のような佐藤の目に映ったおびただしいほどの猫の群れだった。
二十五、六匹はいるであろうか、猫たちはこの家の主であるお婆さんにエサを与えられている最中である。先ほどミリーが言ったように丁度夕御飯の時刻なのだろう。
「お帰り、ミリー」
「あら、おかえりなさい。ミリー」
「よう、どこ行ってたんだ?」
一匹が彼女に気付くとまた一匹、そしてまた一匹とこちらを振り返るので、いやがうえでもミリーの隣にいる佐藤までもが皆の注目を浴びることになった。
まさに”借りてきた猫“状態の佐藤であったが、そんな彼を置き去りにして、ミリーはお婆さんのもとへ足早に駆けていった。
ミリーがお婆さんに何かを伝えるとお婆さんは佐藤の方をチラリと見てふんふんとが頷く。そんな姿を遠目で見ているとまるで本当に猫と人間が会話をしているようにも思えてくるから不思議だ。
やがてお婆さんはこちらに歩み寄ってきて、えっこらせとしゃがみ込んだ。物色するように佐藤をジロジロと眺める。
佐藤もこんなに近くで人間の顔を見るのは初めてだったので足はブルブルと震え、顔は引きつっていた。
しかし、ミリーにそんな姿を見せるのはカッコ悪いなと思い、真っ向からその皺くちゃな顔をキッと見つめ返してやった。
佐藤のその姿を見て、お婆さんは納得したように深く頷くと、手に持っていたエサの入った皿を佐藤の前にぐいと差し出した。
「え、ナニコレ? 食っても……ええのん?」
佐藤はちょっと驚いて、誰に問うでもなく周りの猫たちをオロオロと見回した。お婆さんはニッと笑うとひしゃくを握り、その足でそのまま他の猫たちにもエサを与えてまわった。
ミリーが駆け寄ってくる。
「ほらねほらね、お婆さんは何でも私達のことがわかるの。一緒に食べよ」
佐藤はなんだか狐につままれたような気分になったがその猫舌専用──少し熱を冷ました魚の煮物料理を口にした瞬間、そんな思いは吹き飛んでしまった。
「ウマい!」
──こんなにもウマいものがこの世にあったなんて!
知らず知らずのうちにゴロゴロと喉を鳴らしながら料理を堪能してしている佐藤を前に、ミリーもそれに共鳴するかのごとく自分の喉をコロコロ鳴らして喜んだ。
そんなミリーの姿を見ていて佐藤はひとつだけ不思議に思っていたことがあった。
(ヘンやな、お腹がいっぱいになったのに、胸の高鳴りが静まらんのはなんでなんやろ?──)
それはやけに『鳥』たちが騒ぐ初夏の夕刻だった──
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第7話
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