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第10話

 私の名はペイザンヌ。N区の野良猫だ。
『猫屋敷』の犬山の婆さんが亡くなった。
 不幸中の幸いだったといえるのは婆さんの亡骸なきがらが翌日の午前中に人間によって発見されたことだ。

 なにせ、こればかりは猫の手におえない。

 逆に“幸い中の不幸”だったといえるのは第一発見者というのが注文の品を届けにきたあの我らが猫の天敵ラスボス、魚屋の馬場トミオであったことだろうか。

 ほとほとついてない人間とはこやつのことをいうのかもしれない。

 婆さんが死んでるのを見て、わめくは騒ぐは腰を抜かすわ、終いには警察に事情聴取されて泣きながら「ごめんなさい! ごめんなさい! 私が殺したんじゃありません!」と、わけのわからんことを叫んで連行されてしまった一件などもあるのだが……まあ、その辺は彼の名誉のため黙っておいてやるとしよう。

 さてオスの成猫たちは庭の隅で早朝から緊急集会を開いていた。もちろんこれからの身の振り方についてだ。中央ではリーダー格である黒猫のフライが熱弁をふるっていた。

「みんな、こういう時にこそ協力し合うんだ。もう僕らに食べ物を与えてくれる人はいない。残された食料を節約して……待つんだ!」
「待つんだって、何をさ?」
 デブ猫、メタボチックが首を傾げる。
「それは、助けをとか、いい考えが浮かぶのをとか──」
「ふあ……あ……ぁ」

 ヴァン=ブランは戻ってきたばかりの引け目もあるのか、脇の方でじっと皆の討論を聞いていたのだが、実際のところだんだんた眠くなってきて必死で欠伸を噛み殺しているのがやっとだった。

「ヴァン!」

 ヴァンのそんな姿が目に入り、フライは恫喝する。

「うわ! いや、悪い悪い。いかんせん旅の疲れがまだ抜けてなくてなぁ」

 授業中の居眠りを先生に注意されたようなヴァン=ブランを見て皆少しほがらかに笑った。

「旅ね……だったらその『旅』とやらで得てきたなんらかの知恵をこんな時にこそ披露してもらいたいもんだな、ヴァン=ブラン」
「え、俺か? あ~、そうだな、俺は……う〜ん」

 皆がヴァン=ブランの方を注目している。ヴァンは溜め息を小さくついて、あとは矢継ぎ早に言葉を紡いでいった。

「正直言うと、俺はあまりこの場に長く留まるのは得策だとは思えん。いくら待ってたってやってくるのは保健所くらいなもんだ。ま、そうでなくとも遅かれ早かれ人間たちは必ずここにやってくる」
「やってくるって……何しに?」

 メタボチックがまた恐る恐る聞いた。

「何しに? そりゃもちろんこの家の取り壊しに決まってるだろ?」

 場がざわつくのを感じ、フライは横槍を入れた。

「ヴァン、皆を不安がらせるのはやめてくれないか?」
「いやいや俺は事実を言ってるだけだぜ」
「おまえが言ってるのは憶測にすぎない!」
「じゃあ、おまえが説いてるのはさしずめ楽観的希望ってとこだな」
「なにっ!」
「まあ、待てよ。“待つ”のが悪いと言ってるわけじゃない。オレはただ、時間をかけすぎるのはどうか、と言ってるだけだ」
「かといって何も考えずに行動するのがいい結果を呼ぶとも思えん」
「そう、そこだ。さすがはフライ、その通りだ。だったらみんな、どうだろう? 二日考え、三日後に結論を出す。四日目に準備をし、五日目に行動を起こす。──ってのは?」

 こうして計画をたてれば漠然としている問題もなんだか出来るような気がしてくるから不思議だ。

 ヴァン=ブランはその心理をついて時に軽く、時には重く、よく通るその声で語ってみせた。
『声』は時に武器ともなる。それに態度が加わればさらに精度を増す。ヴァンにはそのどちらも備わっているといえた。すっかり株を取られてしまったフライに焦りの色が見え隠れし始めた。

「ま、待て、ヴァン。おまえに決定権はない! リーダーは僕だ」

 ヴァン=ブランはあえて次の言葉までちょっとした間を作った。

「ああ、もちろんそうさフライ。これまではな。だが、事態は急変したんだ。それに今、俺たちが交わしてるのは誰がリーダーかとか、そんな話じゃないと思うんだが?」

 皆はまるでテニスの試合を観戦してるかのごとく首を振っていたが、やがてそれはフライの方で止まった。皆がフライの次の言葉を待っているのだ。

 窮地に追いやられたフライはついラケットを大振りしてしまった。

「いや、リーダーは大切だ。誰かが統率する必要がある。でなきゃ皆の意見がバラバラになるだけだ」

 ヴァン=ブランは少し何か考えているようだったが「ふむ」とただ唸っただけだった。

 一方その頃、イシャータを含むメス猫たちは朝食を探し求め屋内で活動していた。佐藤や他の子猫たちもそれについてまわる。

「あ~あ、短い飼い猫生活やったなぁ」
「こら、そんなこと言わないの」

 イシャータは台所の冷蔵庫をガリガリやるがなかなか開いてくれない。

「せやかてあの婆ちゃん、なんもボクらが来たとたんにポックリいかんでも」
「佐藤!」
「イテテ、あ、あんま大声出さんといてや、まだ昨日の”歯みがき粉“が残ってるんやさかい……」

 そうぼやいた時、佐藤の目の前にいきなり“しゃもじ”が落ちてきた。驚いて上を見上げると小さな黒猫がテーブルの上からこちらを睨み付けている。

「なんやねん、おまえ」
「その通りだ! おまえらが来たからお婆さん死んじゃったんだぞ!」
「無茶苦茶言いよる。なんも関係あれへんやんけ」
「黙れ、疫病神!」

 イシャータは昨晩の宴会の時の記憶をたぐりよせ、リーダーの黒猫フライが家族を紹介してくれた時のことを思い出した。

「紹介するよ、これが妻のクローズ、そして息子のハッシュだ──」

 クローズと呼ばれた三毛猫は少し妖艶ともいえるほどスタイルがよく、アーモンド型の魅惑的な瞳をしていた。一方息子のハッシュはフライをそのままミニサイズにしたような全身真っ黒の子猫だった。

 間違いないあの子が“わざと”しゃもじを落としたのだ。

「ハッシュ、なんてこというの。降りてらっしゃい! ……ごめんね佐藤、イシャータ」と、慌ててやってきたのは母親のクローズだ。

「母さん、そいつらなんかに謝ることないよ。出ていけっ! この疫病神!」

 ハッシュは瓶詰めのジャムを蹴落とす。今度はイシャータの首に当たった。

「痛っ……!」
「あっ、何すんねんコイツ!」

 カッときた佐藤はテーブルに飛び乗り、ハッシュに向かって突進した。勢い付いてそのまま二匹ともテーブルから転げ落ちる。

「ハッシュ!」
「佐藤!」

 イシャータとクローズは同時に声を上げ、お互いに顔を見合わせた。

 ハッシュはすぐさま立ち上がり表に逃げ出した。それを見て佐藤もすぐさま体勢を立て直し、小さな黒猫のあとを追った。

「待たんかいっ、ゴラッ!──」


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第11話

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