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第12話

『私の名はペイザンヌ、N区の野良猫だ』
 皆が一斉に笑った。
『な……なんだ? なんで笑うのだ?!』
 イシャータも思わず笑ってしまった。
「似とる」
「似てる似てる!」
『コラ! このクソガキども、てめえらまとめて踏みつぶしてやるぞ 』
「今度はギノスや」
「ギノス、ギノス! 似てる!」

 仔猫たちはヴァン=ブランの“ものまね”に大はしゃぎだ。
「こんなもんじゃないぞ。よし、今度はウミネコの声を真似てやろう」
「ウミネコってどんな猫やのん?」
 頬の傷あとがまだ生々しい佐藤が尋ねる。「うむ、ここからずっと歩き続けるとだな、そこにはデッカイデッカイ水溜まりがある。それがまあ海というものなんだが……」
「この庭よりデッカイ?」
 ようやく喋れるようになったくらいの仔猫たちがピョンピョン跳び跳ねた。
「あっはっは、デカイデカイ! お前らなどザブンとひと飲みだ」
『うにゅ~』と仔猫たちは肉球で目を押さえた。
「んで、その海っちゅうとこに猫がおるわけやな。そいつら泳げるんか?」
 佐藤は人魚の猫バージョンを思い浮かべて興奮した。
「それがだな、なんとウミネコは鳥だ。奴らはこうやって鳴く。見てろ」
 ヴァン=ブランは前足をバタバタやりながら『ミャアミャア! ミャア~!』と得意の声芸をを披露してみせる。
 おどけているとはいえ鳥に育てられ鳥の言葉を話せるというヴァン=ブランの物真似はまさにウミネコそのものだった。
 集会の時とはうって変わったヴァンの道化ぶりに皆は腹を抱えて笑った。
「うっそやぁ! そんな鳥おるわけないがな」
「それだったらあたしでもできるよ。ニャー! ニャーニャー!」
「そりゃ、ただのネコやんけ」
 また場がどっと沸いた。
 これを堺と、ヴァンは先程からこちらの様子をうかがっているイシャータのもとへ歩み寄ろうとしたのだが、ちょうどそのタイミングでクローズに耳打ちされてしまった。
 三毛猫のクローズ。今でこそフライの妻であるが、この猫屋敷では古参でもあった。もともとここにいたのはヴァンとクローズ二匹のみであり、そういった意味では幼馴染みや兄妹のように長いつきあいでもあった。
「ヴァン、ちょっといい?」
「ん?」

 冷蔵庫の一点に爪を引っ掛けるとヴァン=ブランはなんなくその扉を開けてみせた。さっきまで汗だくになってこじ開けようとしていたメタボチックが叫ぶ。
「魔法だ!」
「コツがある。ガキの頃、婆さんの目を盗んでよくつまみ食いしたもんだ」
「でも……思ったより少ないわ」
「ふむ。そうだな、三十匹じゃどう節約してももって三日くらいだな。あとは自給自足か」
 ヴァンは冷蔵庫の中身をチェックしながらクローズにポツリと言った。
「クローズ。その、なんだ、フライにはすまなかったな」
 クローズは一瞬なんのことかわからなかったが、すぐに理解し声を上げた。今朝、庭で一悶着あったリーダー権争いのことだ。
「ああ! 仕方ないよ。他の時ならいざ知らず非常事態だし。認めたくないけど──いま頼りにすべきはあんたの方かなって私も思ってたし。てゆーかさ、あんたね、あんな場面で普通賭けなんかする?」
 クローズはヴァンに負けず劣らず豪快に笑うと目を細め、からかうように小声で囁いた。
「そもそもあんたにリーダーなんか務まるの? いっつも一匹歩きばっかのくせに」
「ふむ……」
 それでもヴァンはフライのことが気になってるのか言葉尻が下がる。
「フライのことなら気にしないで大丈夫よ。旦那を慰めるのも妻の仕事のうちってね」
 ヴァンはしげしげとクローズを見つめ返した。
「ふーん。いいメスになったもんだな。クローズも一丁前の奥さんてやつか」
「あははは、ちゃかさないでよ。それとももう一度口説いてみる?」
「バカいえ」
「長かったねぇ」
「ん?」
「旅」
「二年くらいだぜ?」
「長いよ、十分」
「あっという間さ」
「何か見つかった?」
「別に、なんも──」
「……ヴァン、それでもね、やっぱり私はフライを選んだことを後悔してないよ。だってさ、あなたはさ、なんだかんだ言ったって一匹でも生きていけるもの」
 そう言うとクローズは冷蔵庫の扉をぱたりと閉めた。
 ヴァンはそれに対して何か答えようとしたが、やめた。今、ここで何か言葉を口にすることは反則のように思えたのである。どうせ言葉にするのであれば今でなく”あの時“にそうしておくべきだったのだ。

 あれも夏だった──
 旅出つ前、今よりもっと若く、血気盛んだった頃、ヴァンとフライはこのクローズを巡って争ったことがあった。
 
 あの日のフライは本当に強かった。いつも温和な性格のフライなど楽勝だと高をくくっていたせいもあったが、それ以上にフライのクローズに対する想いのたけ──その高さを見誤っていたことこそヴァン=が苦戦を強いられた最大の要因だった。

 ニヤニヤ笑いながら闘い始めたヴァンに対し、フライは最初から全力だった。だが喧嘩慣れしておらずペース配分も滅茶苦茶だったため最終的にはフライが力尽きる形となってしまった。しかし序盤でのフライの猛攻はヴァンの体を雑巾のようにボロボロにしていた。

 天までフライに味方したか雨まで降ってきた。足元がぬかるみ、闘いにくかった。力の差は歴然だと思っていたのが一転、まるでスタミナ頼りの辛勝になってしまったのだ。
 そのことがヴァンにはショックだった。
 フライのクローズに対する想いが自分のものより重いことを身をもって証明させられた気がした。
「なにやってんのよ! あんたたち!」
 雷が遠くに響き、雨が本降りになってきた頃、当の本人であるクローズがこちらに駆け寄ってきた。フライはぐったり体を横たえ、クローズを見上げた。
「くそ……くそっ、くそっ!」

 あの時のフライの表情をヴァンは今でも覚えていた。腫れた顔で歯を喰いしばるあの顔──皆のリーダー格であり、そしてあまり感情をみせるタイプではないのに、そのフライが涙をこらえ、どんな表情をしていいのかわからずくしゃくしゃにしていた──あの顔を。
「大丈夫、フライ?」
 フライに囁きかけるクローズのその声でヴァンは自分が完全に敗北したことを悟った。「フライもフライだよ……ふたりとも私を何だと思ってんだ。モノ扱いすんな」
 雨は次第に強さを増してきたがヴァンは気にせず、フンと鼻を鳴らすとそのままふらふらと表へ向かって歩き始めた──
 

 「あたしたち、これからどうなっちゃうんだろね。何かいい方法でもあるの? “リーダー”さん」
 そんな言葉を投げかけられヴァンは急に引き戻された。
「ん、ああ……そうだなぁ、あるといえばあるような……ないといえばないような」
「あきれた、何の策もないのにあんな大口たたいたの?」
「まあそう言うなよ。大船に乗せてやるとは言い切れんが、少なくとも泥舟でもない」「……頼りがいのあるリーダーだこと」
 クローズは目を見開いた。

 ヴァンは思い返していた。
 ヴァンが初めてイシャータと会ったのもあの雨の日だった。


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第13話

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