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5/15 【"普通"という言葉にずっと苦しんだ。】

普通という言葉は、便利だ。
色んな要素を含み、その言葉自体に良いとか悪いとかなく、常に真ん中のことを伝えられるような魔法の言葉だとも感じている。普通が良いとか、よく言うよね。

小さい頃から、普通に生きることを目指す教育を受けてきたように思う。ただ、段々と年齢を重ねるにつれて、普通というものの形がよく分からなくなった。体も心も大きくなってきて、色んな経験や感情を持つようになり、その普通というもの、言葉への違和感が年々と大きくなってきていた。

学生時代のバイトでも、新卒で入った会社でもそうだった。みんなが普通にこなすことが、普通にできない。というか、自分はなんか上手くできねえなあとずっと思っていた。細かい作業が苦手で、説明を受けても何度かミスするのは日常茶飯事。そんなたびに「自分は、世間のみんなのような、普通に生きるみたいなことが厳しいんじゃないか?」と自問自答を死ぬほど繰り返して、落ち込んだ。自分で自分に脱落者のレッテルを貼っていた。

数年は悩んだ。というより、うつの原因もここに大きくあると後々分かってたんだけど。みんなのように、普通に物事を進めるのが苦手。そこから、この普通というものに対してすごく執着というか、自分自身で考えることとなる。


これを読んでいる人で、パッと普通の生き方というものを説明できる人がいれば、ぜひお聞きしたい。普通の人生って、なんだろう。ノートに書き出し、関連するものや本を読んで感じたこと、勉強したことをフルに活用して、普通の因数分解をしてきた。バラバラになった普通という概念が、なんとなくこういうもんだよ!と、教えてくれた。

普通というのものは、大きく2つ。
まず、個人がそれぞれ持つ当然のこと。もう一つは、ある環境の共通認識、大多数の意見のことを指すんだなあと、僕は辿りついた。というか、考えてたどり着いた答えはすごくシンプルだなと思った。爽快だった。普通という言葉があまりにも曖昧で、なんかみんな便利に使うもんだから惑わされていたけど、なんだ!みんなの普通ってそれぞれの当然の押し付けじゃん!それか、自分が属す環境の大多数の意見じゃん!って、僕はなった。(他こうなんじゃない?とかあればぜひ教えてください。)

そりゃ、各々の当然は違って当たり前だけど、周りのみんながこうだと言っている環境にいれば、そりゃ仲間はずれにされたくないよなと。逆も然り。そしていつしか、普通という言葉がすごく意味を持つかのようになってしまい(意味はあるけど。)みんなの普通になることがこの世の当然で正解だ!となってしまった。


だから、普通って便利な言葉だけで意味も説明せず済ませるのではなく、ちゃんと意図を持って説明できる人間でなければならないとなと感じている。無論、僕の思う普通だって存在するけれど、すぐ隣にいる人の普通ではない。家族ですら、それぞれの普通がある。だから、これが普通だよって言わないように気をつけたい。普通の押し付け合いが横行するこの時代で、とても生きにくい場面も多いけど、屈しないように。


みんな普通で、みんな変わってるからな。普通の人間なんて、存在しないから。

サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。