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息子福山、もう一つの人生

昨日は、娘が自宅を訪れました。

パンツの裾上げ目的です。

3本の裾上げだったので、かなり時間を要し、ほどほど疲れました。

しっかりアイロンもかけて、ミシンで縫い上げたころに、ウーバーイーツが届き、娘と食卓を囲んだのです。

娘との会話は、あれこれで盛り上がり楽しかったひと時です。

このnoteでは書けないような、うちうちの息子福山にまつわる愚痴を娘に聞いてもらったのですが、娘が興味深い話をしたのです。

息子福山が持っていた内申でしか入れなかった公立高校に進学して、ぐれて、大学に進学できなくても、多くの仲間とわいわいして地元で楽しく暮らすのも良かったのではないかと。

大学進学して、結局、関西に行ってしまって、結末としてはどうなのか疑問だと。

確かに、息子福山のもつ内申の公立高校に行っていたなら、よっぽどの覚悟ないと、周りに流され、大学進学なんか出来なかったことでしょう。

その点も娘は驚いていました。

提出物が出せなくて、その程度の内申しか取れなかったこと自体がおかしいと。

あとで息子福山が、当時は、何か魔物が取り付いていたんだとのたまっておりましたが。

娘は公立の前期選抜で合格を勝ち得ているので、しっかりとした子供でした。

というよりも、娘の高校の選び方が、自宅から一番近い高校だったので、偏差値的には、もう少し良い高校に入れたのではないかと当時は思っていましたが、持病で入院をしていたので、娘の高校選びには、口を挟めませんでした。

さて話は変わりますが、息子福山に学ばせたい事はありました。

それは、社会人となり、仕事で対応する人たちは、いろんな人がいると思うので、同じ偏差値帯ばかりとの付き合いだけでは無く、幅広いお付き合いが出来るような人間にしてあげたいと考えていました。

まあ、その環境におかれたので、息子福山は上を目指して、高校時代は、一生懸命勉学に励んだのもあるでしょう。

高校入学の段階で、息子福山自身がやり直したいと思った時に、やり直せる学力への投資は終わっていましたから、

準備はしていたものの、親がレールを引いたわけでは無く、そのあとは、息子福山の意志での決断でした。

就職も地方に行くのも厭わない選択肢でしたし。

現在、息子福山は、関西でのびのびと一人暮らしを味わっています。

5月の連休には、地元のゲーム仲間と飲み会などにも参加しており、それなりには、息子福山は楽しんでおるようです。

自宅に住んでいたら、息子福山は、ヤングケアラーのままなので、就職を機に一人暮らしになれて、良かったのではなかったかと考えています。


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