母親は、何になりたかったんだろう

まもなく母親の7回忌が訪れる。

母親は、とにかく顔の広い人だった。

娘から言わせてもらうと、外に目が行き過ぎている印象だった。

母親は、末期がんだった。

時間が無いというのに、子供の頃からの不満を母親にぶつけて、深く話し合う間もなく、がんが脳への転移したために、母親とは意思疎通が出来なくなった。

病院で、ホスピスを勧められたが、初月50万かかるといわれた。

それは無理と言っている間に、個室へとベットが移動された。

個室に移ってから、病院での寝泊まりが始まった。

病院で寝泊まりをして、昼間は、足の不自由な父親の様子を見に行ってと、大忙しだった。

病院で寝泊まりする時も、持病の薬と睡眠導入剤を服用したので、もし、深夜に何かあってもどうする事もできないと母親には、話しかけていた。

意思疎通が出来ない母親に向かって、一人でいろいろ話しかけていた。

母親は、多くの人に囲まれて幸せだっただろう。

家族葬だったので、自宅を訪れてくれる人たちが多かった。

その訪問客をお出迎えするであろう父親は、入院中であった。

母親は、何になりたかったのだろうか?

顔が広くなって、何をしたかったのだろうか。

アジフライとは、性格が全く逆である。

アジフライは、おつきあいは最低限、後ろ指をさされない程よい具合が好みだ。

それが可能なのは、賃貸生活だからかもしれない。

最後の最後、母親との意思疎通が出来なかったので、本音の部分で話をする事が出来なかった影響で、結局、母親の実態がわからずじまいである。

だから、そうならないように、自分は、子供たちに爪痕を残したい。

このnoteもアジフライがいなくなった時に、どんなことを考えて生きていたのか、子供たちに残しているようなものだ。

でも、実際に言葉や態度で、子供たちに接する事もしたいと思っている。

母親は、いい意味でも悪い意味でも、母親の笑顔だけが脳裏に張り付いている。

鍵っ子の一人っ子で、やる事をやっていれば何をしてもいいと育ち、自分一人で問題を解決してきて、特に母親との接点が無いままであった。

母親も油断していたのかもしれない。

ほうっておいても大丈夫な子だと。

母親をもっと困らせれば良かったのだろうか。

もっと母親に頼れば良かったのだろうか?

小学生の時に、熱を出して学校をお休みしていた時に、母親は仕事に行ってしまった。

その時に、悟ったのであろう、小学生ながら。

自立したいい子を演じ続けなければいけないと。

そんな母親の7回忌がまもなくやってくる。

母親は幸せだったのだろうか?


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