トリクル・トリクル

歩く
宝石
紫陽花

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それは7月のある晴れた日。
私の幼馴染が交通事故に遭って死んだ。

「これ、貴女にあげるのが一番いいと思うの」

葬式で幼馴染の母から私に託されたのは何本ものUSBメモリ。
うちにあるパソコンに挿してみると、そこにはどれにも複数の音声ファイルが入っていた。
私はそれを知っている。
盲目であった彼の、その音声ファイルを録音していたのは、私だったのだから。

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File0

えっと、もう、録音されてる…?
そう。じゃあ、話すよ。
僕はね、夢を見ているんだ。
僕の世界はいつだって夢の中だから、いつだって見ているようなものだけれど。
僕の目は見えない。
ある朝、目の前が真っ赤になって、数日後には真っ暗になってしまった。
目の奥の血管が、なんて医者は言っていたけど、僕にはどうでもよかった。ただ、もう治らないことはわかっていたから、これからどうするのかが問題なんだ。
数日はさすがに凹んだよ。
目が見えないって、結構大変なことだ。見えるって、こんなに大事なことだったんだなあって、なにかに躓いて転ぶたびに思った。
幸い、僕は割と前向きで楽天的な性格だったから…まあ、その、多少歪んでることは自覚してるけどさ。
僕は考えた。
外にでなければ転ぶこともない。
そこでだ。僕は家に引きこもり、一日の大半を今まで見てきたものを一つずつ詳細に思い出すことに費やすことにした。
はじめのルールは2つ。
1つ目。思い出すことを夢と呼ぶこと。
だって、なんか、目が見えないって眠ってるみたいだろ?素敵かなって、思ってさ。
2つ目は、せっかくなので季節を作ろうじゃないか、ってこと。
とりとめもなく、適当に物事を思い出すのではなく、その季節にあったものを思い出すこと。
この狭い部屋のなかでも、暑いとか寒いとか、湿っぽいだとか風が爽やかだとか、そういうことは窓を開けたりしたら感じることができるしね。
聴覚も生きている。
触覚も生きている。
この狭い部屋のなかを君に片付けてもらった。
もう長年住んだ部屋のことだ、視覚がなくたって、そうだな…君が僕に意地悪して急になにかが置かれたりしないかぎり転ぶことだってないだろう。ふふ、そんなことするなんて思ってないって。ごめん。
というわけなので、退院して数日後から、僕はずっと、夢を見ている。そういう、訳なんだ。

さて、夢を見出してから僕は気づいたんだけれど、僕の想像力と記憶力は案外しっかりしているらしかった。
ただ、今まで見てきたことを思い出すことだけでなく、そこに空想を組み合わせることも覚えたんだ。
すごいよ。夢に空想を組み合わせることで、夢の中はどこまでも自由になった。
手に取ることこそできなくても、たとえば好きだった花のことは、細部の細部まで思い出すことができるし、視界による色の概念を覆すことができたりだってできる。
薄い青色の桜があったっていい。素敵だろ?
動物の新種を見つけることだって簡単だ。
ときには最悪の状況を一発逆転ハッピーエンドにすることだって。
僕はますます夢を見ることに夢中になっていった。
そこで僕は、3つ目のルールを作ることにしたんだ。それが、ええと、これ。
夢の内容を記録すること。
結構面白いとおもうんだ。
君に手伝わせることになっちゃうけれど、これから季節ごとにいろんな夢を見るから、それを記録してほしい。
話すのは少し恥ずかしいけれど、君なら、馬鹿げてるなんて言わないだろ?
1ヶ月。1ヶ月ごとに、僕の夢を記録しよう。
任せてよ。僕、結構面白い話、できるとおもうんだ。


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ここまで聞いて私は、彼がこれをはじめたとき、とても楽しそうだったのを思い出す。
このときはまさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった。

私達がこの記録を始めたのは、ちょうど2年前の7月だった。
それから、File1,2,3と彼の夢の記録が続いていくのだ。
彼には才能があったと思う。
いつだって、彼の夢の話はとても面白かったからだ。
彼はもともと楽しい人だったけれど、こんな隠れた才能があるなんて。
私は彼が話して聞かせる物語。
そう、それはもはや物語、を。息を詰めながらときには笑ったり、ハラハラしたり、時には涙を浮かべたりしながら聞いたものだった。
1ヶ月ごとに訪れる記録の日を、いつしか私は楽しみにするようになっていた。
それはきっと彼も同じだった、と、思う。
毎月、毎月、私達はいよいよこの日が来たね。そう録音をはじめる前に笑いあったものだった。

彼の物語は、どちらかというと彼目線のファンタジーものだったり、戦闘ものだったり、というものが多かった。
彼は夢のなかで、勇者だったり、魔法使いだったり、旅人であったり、怪盗であったりした。
彼らしい、それでもさっきも書いたように、とても面白い物語。
私は彼の夢の物語が大好きだった。
小説にでも起こしたらきっとベストセラー間違いなしだと思う。

私は、順番に聞いては笑ったり、泣いたりした。
ほんとに、彼がこの世からいなくなってしまったなんて、信じられなかった。
いつの間にか、最後に録音した話のファイルになっていた。
6月のファイルだ。


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File23

じゃ、今日も夢の話をはじめよう。
今月は6月だから、紫陽花の話だよ。
紫陽花の色素って、アントシアニンって言ってさ、ほら、理科の授業なんかでやるだろう?紫キャベツの汁にレモン汁を入れたら赤色になる。重曹を入れたら青色になる。
あれのことね。
それを踏まえて聞いてよ。

ここは6月の国。
毎日のように雨が降る。一年中梅雨なんだ。
青い目を持つ人々は、それでもみんな明るく暮らしている。
国の花はもちろん紫陽花。
そこらじゅうに咲いているんだ。
土壌のphによって青、紫の2種類が主に見られた。
国の産業は主に、紫陽花で染めた布なんかを売ってる。それは盛んで、あの国の布の色は一流だなんて言われたりしてさ。
毎日雨でも、人々は自分たちの産業に誇りを持っていた。
紫陽花色の寒色の傘をさして、みんな雨も楽しんで生きていた。
小さいけど、とっても素敵な国なんだ。
僕はその国の王子。
どちらかというと寒色が多いこの国で、僕は小さい頃連れられて行った異国でみた「黄色」という色を忘れられなかったんだ。
なんて明るくて美しい色だろうと思った。
紫陽花と雨。
青、紫。その2色にいつしか縛られていた、僕の国にはない色だった。
僕はこっそり、黄色の色をつくる研究を始めた。
どうしてこっそりかって?王子である僕が、この国にない色を取り入れようなんてことが許されるはずがないと思ったからだ。
でも、どうやっても黄色は作り出せなかった。
案の定、怪しい研究を王子が始めた、きっと気がおかしくなってしまったんだと僕は病院に入れられてしまうんだ。
病院での生活は退屈だった。
よく知ってることさ…。ふふ、なんか、思い出すな。
僕の暇つぶしといえば、病院内をこっそり探検すること。
そしてある日、僕はずっと気になっていた閉鎖病棟への潜入に成功した。
そこで出会ったんだ。
黄色い目の少女に。
それは異国の子だった、知らないうちにこの国にたどり着いて、ここに幽閉されているらしい。
ずっと、探し求めてたすごくきれいな黄色の、目。
僕はその子に一目惚れしちゃうんだ。
隙きを見つけては閉鎖病棟に通って、その子と話した。
彼女のもといた国は、晴れの日が多く、色とりどりのフルーツが取れるのだそうだ。
「この国は、いいところだけれど、色はもっとたくさんあるほうがきれいだと思うわ。知ってる?青と黄色って、とっても相性がいいのよ」
そう言って彼女は笑った。
僕は、僕の研究を知って病院に閉じ込めたり、黄色の目だというだけで、この子病院に幽閉するようなこの国の闇を知らなかった。

「ここから逃げよう。君の国へ行きたい」

………。

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そこから、彼女と王子である彼の逃避行がはじまる。
しかし、私はハッとした。
この物語のオチを思い出したのだ。
彼と彼女がたどり着いた彼女の国で、彼は夢にまで見た黄色のレモンという果実を自らの国に持ち帰る。
アントシアニンはレモンの果汁によって赤色に染まる。
彼の国に赤という色が生まれ、黄色の果実、レモンが取れる彼女の国と彼の国は和平を結び…彼と彼女は結婚する。
黄色の果実、レモンは宝石と同等の価値を持つ。

思えば、彼にしては珍しい恋にまつわる話だった。
今月7月は、私の誕生月。

彼は、両親の目を盗んで外へ出たのだという。
ずっと狭い部屋に引きこもって夢を見ていた彼。
久しぶりの慣れない外の世界は怖かったろう、けれど、彼はゆっくりゆっくり歩いて、スーパーでレモンを買ったのだという。
その帰りに交通事故に遭ったのだ。

彼の両親はなぜ、どうして、そう泣いていたが、私には、わかる気がした。
私にとって彼は、もうただの幼馴染ではなくなっていたから。
彼の中では、レモンは宝石だった。
震える足で何度も転びながら歩いてまでも、私にプレゼントしようとしてくれようとしたのかもしれない。

馬鹿だなあ、私は思った。
嬉しいような悲しいような、微妙な気持ちにさせられた。
推測の域でしかないのに、涙が溢れて止まらなくなった。
ねえ、いいでしょう。
今くらい、貴方と同じように夢を見てても。

7月は、レモネードの話にしよう。
貴方と一緒に。夢を見よう。