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ガンジス川のチャイハネ #世界カフェ紀行

『世界カフェ紀行 5分で巡る50の想い出』(中公文庫)を読んだ。短い50ものエッセイにレビューを書いてもしょうがないので、51番目のエッセイを書いてみました。


ガンジス川のチャイハネ

佐谷恭

大学生のころ。インドは最後に旅すると決めていた。特別感を感じていた。それに、行くのがちょっと怖かった。「卒業旅行」の行き先にインドを選ぶ人は、同じような気持ちだと思う。

2回生の冬。いろいろな旅人から話を聞いた結果、イランという国に行ってみたくなった。当時は入国のための査証を取得するのが困難だった。「インドに行けば取れるみたい」という嘘か本当か分からない話を聞いた。仕方がないので、まだ早いと思いつつインドに入ることにした。

インドでいろいろな人に聞いてみたのだけれど、イランへの行き方はよく分からなかった。出会った旅人と一緒に、タージマハルやガンジス川を訪ねているうちに、イラン行きはまた今度でいいやと思った。

インド人の激しい攻勢(ボッタクリを含む激しい営業行為)に辟易とし、逃げるようにネパールに向かった。世界の屋根は眺めているだけで美しく、人々は穏やかで親切だった。いつまでもここにいたいと思った。しかし、10日もすると飽きてしまった。

バラナシに帰りたい。バックパッカーとして一番ひどい体験をしたその町を再び訪れたくなった。うるさいあいつらなんか無視して、「俺はひたすらガンガーの流れを見るんだ」。

バラナシに到着し、数週間前に見つけたお気に入りの場所に腰掛けた。しばらくすると数週間前に絡んできた物売りの男が、また近寄ってきた。前回は、男を避けるべくその場を離れた。しかし今回は、ここで河を見るのだ。男の言葉にはほとんど耳を傾けず、ただまっすぐ河を見ていた。

男は「俺にチャイを買え」と言った。すぐそこにあるチャイハネを指差している。当然無視した。

次の日、また「チャイを飲もう」と話しかけてきた。しばらく無視したが、チャイぐらい飲むかと思い、男の分も買ってやろうと立ち上がった。彼は僕を制止して、チャイハネに向かった。「おごる」とは一言も言わなかったが、彼は自分の分も含め2杯のチャイを持ってきた。僕は笑って、2杯分の代金を渡した。

3日目は、河に着いてしばらくしたちょうどいい頃合いに、2杯のチャイを持って彼がやって来た。ずうずうしいねと苦笑いしながら、僕はまた彼に代金を渡した。

4日目。彼の姿が見えなかった。とはいえ僕は半日以上ガンガーに座ることに決めていたので、ただひたすら河を眺めた。数時間後、彼がチャイを持ってやって来た。僕には理解できない言葉で、何かつぶやいていた。まるで「ごめんごめん、待たせちゃって」と言うかのように。別に、待ってないぞ!

この日も代金を渡そうとしたら、彼は受け取らなかった。「今日は俺が払うよ」というようなそぶりを見せた。その翌日も、彼はチャイをおごってくれた。

6日目。「今日は俺が払うぞ!」と言って、代金を押しつけた。数珠売りの彼は、挨拶のように「これを買わないか」と商品を目の前に差し出した。「全然ほしくない」と毎日同じ回答をしていた。

数珠は1つ10ドルだった。「高い」というと、3つで10ドルになる。「いらない」というと5つで10ドルになる。それ以上の値引きはしない。その時、またいつものように、「10ドルだ」と彼は声をあげた。「いらないよ」「なんでだ」「いらないから」「日本に持って帰れ」「いらん」。

両腕に60本以上の数珠をまきつけていた。「よく聞け、これ全部で10ドルでいい」「全部?」「全部だ」「なんで?」「フレンド!」「いやいや」「フレンド!」「フレン・・・ド?」「アッチャー」。

僕の腕は、数珠でいっぱいになった。「これからね、日本人の観光客が来るんだよ。めっちゃ儲かる」「だからって、僕にこんなにくれなくても・・・。自分で売ればいいじゃないか」「お前も儲けろ」「・・・」。

僕は京都に戻り、学園祭をハシゴして、道ゆく人に数珠を売った。「オンリー1000円!」「高いよ!」「じゃあ500円」。

フレンドの言う通り、僕はめちゃくちゃ儲かった。チャイハネ(インドの道端カフェ)の思い出。

パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。