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中学2年のコワーカー

7年前のある日、PAX Coworkingに問い合わせメールがあった。見学希望とのこと。利用に関する相談は月に何度かあるので珍しいことではない。いつものように返事をし、翌朝見学を受け付けることになった。

2人の見学者

見学者は2名。面積約89平米の開けた空間なので「見学」自体は数分で終わる。簡単に設備について話し、丸テーブルについて、コワーキングを概説。僕自身の考えについても話した。

教育系の会社に勤務しているとのことだった。ほう、そうですか。「在宅勤務というかテレワークの場所としてお考えですか」と聞いた。2名のうち、言葉を発していたのは1名のみだった。もう1名はマスクをして横に座っているだけだった。

「私じゃないんです、この子なんです」。
「この・・・子?」

子供を連れてお母さんが来ているなんて考えてもみなかった。背はそれなりに高かったので、大人2人で見学に来ていると勝手に思い込んでいた。マスクで顔の半分が隠れていたが、「この子」という言葉を聞いてよく見ると、たしかに子供だ。

「中2なんです。2年生になって、学校に行きたくないってなって」
「そうなんですね。まぁ、学校に行かない選択が、以前よりしやすくなっていますし、僕なんて学校には行ってましたが先生の話なんか聞いてませんでしたし、ハッハッハー」

中学生がコワーキングを使うということを当時、想定していなかった。突然の申し出に、相当ビックリした。しかし、多様なメンバーがいることはコワーキングにとって良いことだし、なかなかそういう機会もないから面白いことになるのかもしれないととらえ直した。

「時々来てみて、様子を見てみましょうか」と僕は答えた。

「来週でも、再来週でも、どうぞ。僕がいるときといないときがあるんですが、できればいるときに。慣れてきてメンバーに周知できたら、他のメンバーに任せることもあるかもしれません」

「今日からはダメでしょうか」
「今日?」

ダメではないが・・・。突然過ぎないか? 出勤時間が迫っていることが分かった。学校に行けない状態というのも知っている。家に置き去りすればと僕が提案するのもおかしいだろうか。なんだろう、急すぎないか。

とても迷った。こういう日に限って、他のメンバーが誰も来ない。誰かに相談したい。相談できなくても、この状態を誰かに見てほしい。想定外のことが起こったときは・・・拒絶せず受け入れろ。見知らぬ国々を旅して、僕はその方針を貫いてきた。行き場がないから来たのだろう。だったら、いてもらえばいいじゃないか。

「わかりました。では、今日から。会費などのお支払い方法は、またメールしますね」
「よろしくお願いします。では失礼します」

突然の初日

よろしくお願いします・・・。

PAX Coworkingには、僕と中2の女の子の2人が残された。いつも10時には、数名が来る。しかしなぜか、その日は、午前中誰も来なかった。少し声をかけたが、その女の子はほとんど話さなかった。どうすればいいのだろうと思ったが、鞄から課題を出して取り組み始めた。教室にはしばらく行っていないらしいが、週に1度程度、先生に会って課題をもらい、独学して提出していると後で知ることになる。

とりあえず学習を始めたので、僕も自分の仕事をすることにした。が、全く集中できない。この状況を誰かと共有したい。なんで誰も来ないんだろう。そしてふと、「もしかして」と嫌な予感が走った。

あのお母さんが、二度と現れなかったらどうしよう。子供を捨てるってことあるのかな。あるわけないか。どうなんだろう。経堂に住んでいるとは聞いたけど、経堂のどこに住んでいるかとか、住所とか、聞かなかったな。申込書とか印鑑とか契約書とか、コワーキングには要らないと豪語してきた。信頼で成り立つコミュニティだと。今まで全く問題は起こらなかった。でも、今何が起こっているんだろう。何かが起こっているんだろうか。

ランチタイム

正午を過ぎたが、やはり誰も来なかった。神が試練を与えているのだろうか。コワーキングの3大重要要素は「あいさつ」「ランチ」「飲み会」だ。主宰がそれを促さなくても、自然にそれらが生じるよい関係。PAX Coworkingに来ると間違いない。面白い人に必ず会える。他のコワーキングと格が違う。ずっとそうやって言われてきた。

しかし、おとなしい中学生は、挨拶もそこそこだった。どうしていいかわからず、ほとんど会話もできなかった。お昼だ。いつもなら、メンバーに声をかけ、またはメンバーの誰かから声をかけられ、全員で近隣の店に食事をしに行く。今日は僕と少女だけ。どうする?

「お腹、空いた?」
「ハイ・・・」

じゃあ、お昼を食べに行こうと提案した。エレベータで1階に降り、どこへ行こうと思案した。なぜ僕は中2の少女を連れているんだ? この子は誰で、どうしてご飯を食べさせるんだ? いつもならば新しい仲間を紹介しようと、よく知る人が営む店に入って紹介したりもしていたのだが、自分の中で頭の整理ができず、知っている人の店に行きにくい気がした。迷った挙句、少女を連れてそれまで行ったことのない店に入った。知り合いに合わないようにと密かに願いながら。

いくつか質問をしたのだが、会話は弾まなかった。そりゃそうだ。中2の女の子が、親と同じぐらいの男性としゃべりたいわけがない。それに、僕がやたらと質問をしているのを店の人が聞いたらどう思うんだろうという余計な邪推もしてしまっていた。ほとんど無言でそれぞれの食事を片付け、頃合いを見て店を後にした。

帰宅

14時半頃、「そろそろ帰ります」と言って少女は出て行った。家に帰ったのだ。とてもホッとした。どこかは知らないが、近くに家があり、そこに帰ったのだ。「そろそろ帰る」という宣言が、なんか塾が終わって帰るみたいな感じだった。いや実際そういう気持ちなんだろうな。

その日は結局、誰も来なかった。その当時、そういう日は極めて珍しかった。17時に2階に降りて、パクチーハウス東京のスタッフとまかないを食べた。中学生のことは話せなかった。そして、いつものようにたくさんのゲストを迎えて忙しい時間となった。閉店し、片付けて帰宅をした。

メンバーたちとの出会い

翌週から、週2〜3回、少女は来ることになった。年齢が大きく離れているだけで、これまでとは違うタイプのメンバーが増えただけだった。しかし、しばらくは他のメンバーともあまり口を聞かなかった。学校の課題をしたり、本を読んだりしていた。

少女を知らないメンバーが来るたびに、彼女を紹介した。「中学生コワーカーだよ。最年少だよ」などと言ってみたものの、僕は少女のことをほとんど知らなかった。8割が男性メンバーだった。僕たちおじさんは、中2の女の子とどんな会話をしていいか分からなかった。

ランチには必ず誘った。必ず付いてきた。お昼代も家から持ってくるようになった。当初、ほとんど会話には加わらなかったが、何回めからか、僕らのくだらない冗談を聞いては笑うようになった。おじさん達はそれだけで嬉しかった。

3週目ぐらいに、ある女性メンバーに紹介した。彼女は週1利用のメンバーだったので、なかなか少女に会えていなかったのだ。おじさんと違って話しやすいのだろう。楽しげに語る様子をほほえましく見つめた。彼女がおじさんたちのキャラや仕事を解説してくれたりもした。少女はおぼろげながら、そこに出入りする人たちの輪郭を掴み始めた。そして、おじさんたちともポツポツ会話するようになった。

ファンキーな大人と不登校児

PAX Coworkingのメンバーは、常に夢みたいなことを語っている。発想はすぐに飛躍し、国内外に飛んで行く。そして、物理的にもあちこちに出かける。夢は語ることで現実化する。僕が「半分冗談で」パクチー料理というジャンルを創り世界に広めると宣言したことで、もう半分の「本気」がそれを現実化した。バカみたい、夢みたいなことを言うと、面白がり、背中を押し、忙殺されて忘れかけても思い出させてくれる。そんな仲間だった。

中学2年生の少女は、もともとそういうタイプだったのか、ファンキーな大人達に多少なりとも影響を受けたのか分からないが、そうした自由な発想になんの抵抗もなく付いてきた。数ヶ月が経ち、ずいぶん慣れてきたと思ったときに「3年生になったら何したい?」と聞いてみた。

不登校の少女である。すごい展望を聞きたかったわけではない。ある日、二葉亭四迷の『浮雲』を読んでいたので、難しい本読んでるねと声をかけると、好きなアニメの原作かなにかだから分からなくても一生懸命読んでいるのだと言った。頼もしい。学校に行かなくても、なにか追求したいことはあるんじゃないか。そう思って質問をしたのだった。

予想外の展開

「2月に1カ月ニュージーランドに行きます」。
少女の答えは、誰もが予想しないものだった。「にゅ、にゅーじーらんど?」

「本当はイギリスに行きたいんですが」とも言った。しかし、中学生だけでの留学渡航をイギリスは認めていないとのことで、オーストラリアかニュージーランドなら行くことができそうだと話していた。周りにいたメンバーは予想外すぎる答えに驚きつつ、「1カ月行ってその後は」とたたみかけた。「やっていけそうなら、その学校に編入します」。

すごい。そんな進路があるのか。それを見つけ、実行に決意をしたこともだし、送り出そうとする親の決断にも感激した。詳しいスケジュールを聞くと、2月に丸々1カ月体験入学をして、3月は本格渡航の準備、入学するなら4月からとのことだった。

英断を讃える

この答えを聞いたのは、2017年12月初旬だ。同月11日、僕はパクチーハウス東京PAX Coworkingを89日後の3月10日に閉店することを発表した。約2年間かけて考え抜いた、突然の閉店宣言⇒無店舗展開の開始宣言だ。

閉店の日は僕の43歳の誕生日で、翌3月11日にパクチーハウス東京のスタッフとPAX Coworkingのメンバー、株式会社旅と平和の株主を集めてパーティをして物件を引き払うと決めていた。発表の数日後、僕は少女にお願いをした。

「渡航の準備で忙しいだろうけど、3月11日は絶対に来てほしい。そして、その日は絶対にお父さんを連れてきて」。

見学の際にお母さんとは話をした。その後、Facebookでつながり、何となく考えや方針については知ることができていた。お父さんとは会ったことがなかった。母親と少女からの話を総合すると、不登校について良く思っていないし、学校に行くべきだと主張している様子だった。しかし、約半年の間に、おそらく熟考し、苦悩し、結果として娘を新天地に送り出すことを決めた。その話を聞きたかったのだ。

3月11日、少女はお父さんと、パクチーハウス東京にやって来た。お別れ会の意味合いはあるが、そこにいる全員が未来に強い関心を持っている。話は必然的に、少女をニュージーランドに送り出す父親の勇気を讃えるという話になった。お父さんは、その決断をしたものの、先行きが見通せる訳ではないと不安を口にしていた。僕たちは、彼をひたすらべた褒めした。本当に素晴らしいと思ったから。

その後

その後、少女にも、ご両親にも会っていない。母親のFacebookでしばらく、何となくは動向をつかんだ。渡航してまもなく、プレゼン中心の授業で生き生きと暮らしていること。資料を動画などを交えて創り、かなりクリエイティブに楽しんでいること。時々帰国しては、母親と旅行を存分に楽しんでいること。

学校に行きたくなくなり、辛かった時期もあっただろうが、自身と家族で未来を切り開いていく。気づけばもう3年以上、動向を気にしたことはなかった。時々、コワーキングのことを聞かれたり、講演したりする際に、たとえ話としてこのストーリーを出すことはあった。2年ほど前から、このことを文章にまとめねばと思っていた。しかし、なかなかできていなかった。

消息を知って

昨日、経堂で友人たちとガラムマサラで宴会をした。メガジョッキを3杯も飲み、結構ヘロヘロだったけれど、「もう1軒」行くことにした。知人の店を3軒あたったが、月曜日が定休となっていた。たまたま、1年前に店名を知った「アナログ」という店のロゴが目に入ったので、階段を降りた。ほぼ満席だったが、常連の方が席を空けてくれ、奥の3席を陣取った。

僕にその店を教えてくれた方がいらした。その方が、店の方と他のお客さんに、僕が「パクチーハウス東京」を運営していたこと、そして、「さばのゆ」で「パクチーハウス経堂」を開催したときの話をしてくれた。

カウンターの一番入口側にいた男性が、大きな声で僕になにやら話し始めた。「娘がお世話になりました」と。え?? 少女のお父さん! あのパーティ以来だ。もう泥酔状態だったけれど、少し会話をし、Facebookの交換をした。

少女は今、東京都内の大学の3年生だそうだ。僕が現役のときに受験し、さっくり落ちた某大学で、楽しいキャンパスライフを送っていると知った。嬉しくて、嬉しくて、ようやくこの文章を書くことができた。


コワーキング最高!

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パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。