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阿波の一族が東国に求めたかつての記憶

ひとつの発言がそれまでの世界を一変させる。古代史を調べていると、そんな状況に出くわすことがままあります。
特に最近は、その傾向が多いように感じます。昨年の今上陛下による神武以前の龍蛇信仰に関するスピーチはまさにその一例です。それがきっかけとなったのか、奈良では今年の1月に龍の刻印を持つ盾型銅鏡が発掘されました。
さらに各方面で堰を切ったように開示される各氏族に伝わる口伝も含め、それまでの景色をガラリと変えてしまうような出来事が、この島の古代史の世界で続いています。

メディアが高度に発達した現代、そんな学会をも揺るがす衝撃はある日突然、僕たちの目の前に現れます。先日寝際にYou Tubeを見ていたら、とんでもない情報を耳にしました。あまりに動揺する内容で、目が覚めてしまいました。古代史界隈で今話題の阿波国から発信された情報です。

この動画に出てくる山本高弘氏は野外ロケの立ち話でとんでもないことを言っています。
山本氏は徳島から天皇家に麁服(あらたえ)を調進し続けている三木家という一族について語っているのですが、氏によるとその三木家は忌部氏の末裔ではないということです。それまで三木家とは天太玉から連なる天日鷲の末裔、すなわち忌部氏と認識されていました。

現に1年前に配信されたこちらの動画には現三木家当主、三木信夫氏が登場しますが、阿波忌部として紹介されています。
興味深いのは、三木信夫氏本人は自らの出自を天日鷲ではなく、天太玉としている点です。この発言から読み取れるのは、天太玉と天日鷲は厳密には同系統ではなく別系統であるという氏の強い主張です。また動画で三木氏はアマテラスより古い神、タカミムスビについて言及されています。僕はその話がとても印象に残りました。
まあ、今にして思えば1年前に配信されたこの動画における三木家の出自についての言及が、現在流布されている情報の布石となっているのでしょう。

そして1本目の動画で山本氏が言及した内容で最も重要な点は、天皇家に麁服(あらたえ)を調進し続けている三木家の先祖はオシホミミであるということです。
驚愕の内容でした。寝入りばな、うつらうつらしていた僕の頭は瞬時に叩き起こされ、活発に動き出しました。そして今まで調べてきた古代史の、さまざまな点と点を勝手に線で結びつけていったのです。

この考察を語るうえでまずはオシホミミについて説明せねばなりません。
オシホミミとはアマテラスの子供です。そして息子に天孫降臨するニニギがいます。つまり三木家とは阿波忌部という一氏族の末裔なのではなく、皇族の末裔ということになります。

オシホミミはタカミムスビの娘である豊秋津師姫(栲幡千千姫)との間にニニギをもうけます。ニニギはアマテラスの孫であり、タカミムスビの孫でもあるのです。
だから「天孫」降臨なのですね。

タカミムスビは孫であるニニギをとても可愛がりました。そしてこの孫を葦原中国の主としたいと考え、真床追衾(まとこおふすま)で覆い地上に降ろしました。
衾とは長方形の一枚の布地で、僕はこの真床追衾が古代より三木家が作り続ける麁服(あらたえ)の原型だと解釈しています。

一般的に天孫降臨はアマテラスの神勅によるものと考えられがちですが、日本書紀の本文ではタカミムスビの意向によって実施されたことになっています。

やがて高千穂に降り立つニニギは言わずもがな、現天皇家の祖先にあたる人物です。
そのニニギの父親であるオシホミミの末裔が阿波の三木家ということです。

また紹介した2本目の動画で三木家現当主、三木信夫氏はカミムスビのことについて言及されています。じつはカミムスビの子供は豊秋津師姫(栲幡千千姫)だけではありません。三木氏本人が自らの出自としている天太玉もタカミムスビの子なのです。
三木家とタカミムスビ。いろいろと繋がってきました。

山本高弘氏は三木家の祖先をオシホミミと公表しましたが、どうもこの話はそれだけで終わる話ではなさそうです。

タカミムスビの子、太玉と豊秋津師姫(栲幡千千姫)
タカミムスビの真床追衾(まとこおふすま)と三木家の麁服(あらたえ)

とりあえず三木家の先祖がオシホミミであることは理解できました。しかしこの話にはもっと奥行きがあるはずです。僕は母型の豊秋津師姫(栲幡千千姫)=タカミムスビの系譜にも三木家の重要な秘密が隠されている気がしてならないのです。

ではこのタカミムスビとはいったいどんな神様なのでしょう。
その手がかりはオシホミミと東国が握っています。

この島の古代を伝える史料のひとつにホツマツタエという書物があります。
成立時期は不詳。一般的には偽書とされていますが、重要な書物であるという意見も一部に根強く存在します。

そもそもホツマツタエは古事記・日本書紀と設定が異なります。まずアマテラスはアマテルという男神として登場します。そして妻はセオリツ姫です。二人の間にできた子がオシホミミなのです。三木家が言及したタカミムスビはこの書物では1人の神ではなく国を統治する存在に与えられる役職名として描かれ、21代続きます。

ホツマツタエが他の古史古伝と趣を異にするのは、東国の地名が頻繁に登場することです。神話に登場する神々の出身地、活躍した場所など詳細な地名が記載されています。
縄文時代、特に約7300年前の九州南部、鬼界カルデラの噴火以降、人口は東日本に集中しました。西の地域は人が住めなくなったからです。それは東国に数多く残る縄文遺跡が証明しています。にもかかわらず、記紀は東の歴史を書きません。ニニギ以前は高天原という神話の時代としてぼかします。

こういった背景から高天原の歴史とは縄文の歴史と解釈する識者も数多く存在します。僕もこの意見に賛成です。つまりニニギの代で縄文時代は終わりを告げ弥生時代が始まったということです。ならばニニギの父親であるオシホミミの時代とは縄文の最晩期であると推測できます。

この仮説が正しければ、ニニギ以前の神々は東国に多くゆかりを持つことになるでしょう。
そして記紀がぼかした高天原=縄文の歴史を補完するのがホツマツタエというわけです。

というわけで今回はホツマツタエをベースに考察を展開していきます。

ホツマツタエによればオシホミミは伊勢で生まれ、若かりし頃を滋賀で過ごします。現在多賀大社がある場所です。そして大人になると都を仙台付近へ移します。現在宮城県多賀城市と呼ばれる地域です。
なぜ多賀城市に遷都したかというと、父であるアマテルがトヨウケから帝王学を学んだ場所が現在の多賀城市であるからです。
またそこはイザナミの出身地でもあるわけです。オシホミミの時代は多賀城市がこの島の首都となりました。

ホツマツタエにおける神代の系図は以下をご参照ください。

ホツマツタエの解読を楽しむより引用

この系図を見るとタカミムスビの系譜にトヨウケ、イザナミが連なります。ホツマツタエではトヨウケも男神として登場します。そしてトヨウケも滋賀にあった中央政府を仙台に移しているのです。

日本神話には神世七代という天地開闢の際生成した7代の神についての記述が残っています。ようするに原始の世界に誕生し、そこから7代続いた原初神の系譜です。
しかしこの神世七代、ホツマツタエによればクニトコタチから続く原初の神による皇統は滋賀にいた6代目のオモタル・カシコネを最後に途切れてしまいます。

ここで当時滋賀にあった中央政府は存続の危機を迎えます。皇統の断絶を阻止するため、トヨウケは都を滋賀からクニトコタチの分家が残る仙台に移し、おそらくそこで生まれたであろう娘のイザナミを、根の国を治めていた金沢のイザナギと結婚させるのです。やがて2人の間にアマテルが生まれることで中央政府は存亡の危機を免れます。

つまりトヨウケは滋賀で途切れてしまったクニトコタチ本流の血筋を、分家である仙台のタカミムスビの系譜の力を借りて継続しようとしたわけです。

ホツマツタエにトヨウケの妻、すなわちイザナミの母は登場しません。そこがもどかしいところですが、日高見への遷都したトヨウケの行動を見るに、間違いなくクニトコタチの血を受け継ぐタカミムスビ直系の女神だったはずです。
この話からわかることは、のちの時代、イザナミの血統がとても重要になってくるということです。断絶したクニトコタチの系譜をもう一度繋いだ貴重な存在となるわけですから。

ホツマツタエを読んでいると、この島にとってクニトコタチの血筋がいかに重要であるかわかります。そしてその本流の血筋は一度途切れてしまっています。
その窮状を救ったのが分家である仙台、多賀城市にいたタカミムスビの系譜というわけです。それではタカミムスビという役職名、それはどこからきているのでしょう。

タカミムスビとはヒタカミをムスぶ者からきています。
つまり日高見国を統治する者という意味です。

古代、この島の東国には日高見国と秀真国という2つの国がありました。

仙台まほろばの道 Part2より引用

日高見国は現在の岩手、宮城、福島の一部。
秀真国は関東一円に静岡、山梨、福島の一部を含んだ地域です。

これら2つの国は仲が良く、おそらく同盟を結んでいたものと思われます。トヨウケの異名にホツマ君とあることから、僕は同一視されていた時期もあるのではないかと考えています。
そしてそれらの国を治めていたのがクニトコタチから連なるタカミムスビの系譜となるわけです。茨城には御岩神社がありますし、千葉の麻賀多神社に降りた日月神事はクニトコタチによる神託です。
日本の皇族はこのクニトコタチの血統を守ったタカミムスビの系譜をとても重要視しているように思います。

ここで話をオシホミミに戻しましょう。生まれつき病弱で体の弱かった彼をサポートした神の一人が第7代タカミムスビ、タカキネです。
多賀城市に遷都したオシホミミはそこでタカキネの娘、豊秋津師姫(栲幡千千姫)を娶ります。またホツマツタエでは、天太玉も第7代タカミムスビ、タカキネの息子とされています。

さて、ここにきてやっと阿波の三木家当主、三木信夫氏の話とつながってきました。
阿波の三木家は今回の動画での発言により忌部族ではなくオシホミミの末裔と明示されました。そして当主自身はその出自を天日鷲ではなく天太玉としています。天太玉もオシホミミの妻、豊秋津師姫(栲幡千千姫)もタカミムスビの子供です。そしてオシホミミは滋賀から東国日高見国に都を移しています。

やがてオシホミミの玄孫、神武天皇の時代、東国に阿波の一族がやってきます。
彼らは日高見国と同盟関係にある秀真の地に麻を植える土地を求め降り立ちます。
秀真国にやってきた天富命は天日鷲ではなく天太玉の直系です。

天富命が先祖である天太玉をその地に祀ったことが館山の安房神社の起源とされます。ゆえに安房神社の主祭神は天日鷲ではなく天太玉なのです。
つまり千葉にやってきた天富命とはタカミムスビの系譜に連なる人物です。
彼はタカミムスビ、さらにはその先祖となるクニトコタチの痕跡を求めて秀真国や日高見国と呼ばれるこの東国の地にやってきたのではないでしょうか。
そして当時の館山に住んでいた人々は阿波からやってきた天富命の一族を受け入れ、のちに神として崇めました。
それはお互いに信仰する神々が同じだったからでしょう。
彼らはともにタカミムスビやクニトコタチを崇める縄文の精神を持つ人々でした。

ホツマツタエの系図によれば、断絶したクニトコタチの血統を繋いだのは仙台、日高見を本拠とするトヨウケーイザナミに連なるタカミムスビの系譜です。そしてそのイザナミの名を神名に冠する式内社が全国に1ヶ所だけ存在します。
それはもちろん、天太玉や天富命にゆかりのある阿波国、つまり現在の徳島にあります。

天富命は麻を植える土地を求め千葉の地に降り立ちました。この地は秀真国や日高見国といった縄文の歴史を残します。あまり知られてはいませんが、千葉は世界でも有数の縄文貝塚の密集地帯です。
縄文人は土器に縄目の紋様を施しました。出土される多くの土器に見られるように、彼らは縄目の紋様に強いこだわりをもっていたのです。

縄文人が大切にしていたこの「縄」 
僕は麻縄で作られていたと想像します。

徳島の三木家が作り続ける麻の布。そして縄文の縄。
麻で繋がるふたつの縁は縄文が現代まで続いていることを証明しているかのようですね。

深い歴史を持つこの島はアマテラスが生まれるはるか前の時代から、たくさんの神々によって守られてきました。その歴史がいつか日の目を見ることを、僕は心待ちにしています。それはきっとそう遠くない日であると、確信めいた気持ちがあります。

さて、ひとつのスクープから書き始めた今回の記事ですが、書いてる途中でまたニュースが飛び込んできました。
昨日、イスラエルのネタニヤフ首相は戦争状態を宣言しました。
せわしないとはこのことです。
ここまで書いといてなんですが、正直いうと僕は日本という国がどこから始まったのか?という謎について、それほど興味はありません。邪馬台国が九州であろうと畿内であろうと、まして阿波であろうとも、僕にとってはあまり関係のないことです。

そもそも僕は、国という概念がそれほど好きではありません。むしろ国や宗教という単位で分けるから、人は無用な争いを起こすのだと思っています。
だから僕の記事では日本を表現するときに、可能な限り「この島」という言葉を使用します。

日本という国が存在する以前、かつてこの島には世界中からいろいろな人々がやってきて、争いのない時代を10000年続けた実績があります。
僕が本当に興味がある古代とは、その時代のことなのです。
つまり秀真国や日高見国、あるいはさらに昔の縄文の世界の出来事です。
現在この島に生きる人々には、平和な時代を10000年築いた縄文の遺伝子が少なからず受け継がれているはずです。 
みなさん、縄文の時代に思いを馳せてください。
これから世界はさらなるカオスを経験するでしょう。
その混沌とする世の中で、この島の人々に受け継がれた縄文の遺伝子は、きっと役に立つはずです。

僕が住む千葉県にある加曽利貝塚では、57年ぶりとなる本格的な調査が、この秋に開始されました。
その貝塚の発掘とともに、武器を持たない土偶を作った縄文の精神も一緒に掘り起こされることを、僕は期待してやまないのです。

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