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ゴーギャンが見た人類の本質

遺伝子に眠る記憶。僕はその存在を信じています。
その記憶を目覚めさせるべく、古代史を調べています。
古代の人間が何を考え、どう生きてきたか?
そういった人類史のプロセスは遺伝子となり、脈々と僕たちに受け継がれているはずです。

その記憶を探るにあたり今までは歴史ばかりに目を向けていましたが、ある時「芸術」というものが、この探究において非常に有用なことに気がつきました。

ということで今日は古代史ではなく絵画の話です。

フランスで始まった印象派という芸術運動を日本人は大変好みますが、僕もその一人です。

そもそもパリにいた印象派の画家たちは、陶磁器の包み紙として海を渡った浮世絵に衝撃を受け、その技法を自分の絵にとりいれたのですから、彼らの描く印象派の絵画に日本人が惹かれるのも当然のことですね。
モネやセザンヌ、ゴッホなど、浮世絵を好んだ画家はたくさんいます。

さて、僕の好きな画家にポール・ゴーギャンという19世紀末に活躍したフランス人がいます。

彼は株式仲買人から画家になったという異色の経歴の持ち主で、他の多くの有能な画家と同じく、波乱万丈の人生を送りました。

もともとパリで絵を描いていたゴーギャン。しかし彼は近代主義にひた走るヨーロッパ文明に嫌気がさし、南国タヒチへと移住します。
元来クリスチャンであった彼ですが、そこで現地の神話や土着の宗教に魅了され、原始的な美を求めるようになります。
それは人口的な近代文明と決別し、純粋無垢な精神に戻ろうとする行動でした。

あまり知られてはいませんが、ゴーギャンの母親はインカ帝国末裔の血を引いています。僕はそのへんの事情にも彼がポリネシアの神話に魅了された理由があると思っています。つまり原始宗教に対する理解という素地が、その血や遺伝子に組み込まれていたということです。
スペインのピサロによって征服される前の、いわば西洋文明による侵略以前の、インカ帝国のアニミズム的価値観がゴーギャンの中にも眠っていた。
それがタヒチの土着の信仰に触れた時、長い眠りから目を覚ましたのではないか?
そう考察します。
彼は当時ヨーロッパで信仰されていたキリスト以外の神を、南国タヒチで求めたのかもしれません。自分の遺伝子の中に眠る、本当の神の姿を。

彼の晩年は貧困や病気に苦しめられ、決して穏やかなものではありませんでした。自死を決意するくらい追い込まれていました。しかし彼はそんな満身創痍の中、最後の作品として、自分の画業の集大成となる大作を南国タヒチで描きます。

ヨーロッパの都市文明に別れを告げ、南国ポリネシアでの原始的な生活で見つけた人類の本質、そして人間とは何かを世に問うた作品です。

それが僕が一番好きな作品です。

非常に長く、哲学的なタイトルです。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ向かうのか」

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ向かうのか」
ポール・ゴーギャン 1897-1898

ゴーギャンが100年前に残したこの作品は、
まさに今の時代を生きる僕たちにとって、
非常に大きな意義を持つであろうと確信しています。

彼がタヒチで何を見たのか?そして何に気付いたのか?
それら全てがこの絵に集約されていると思います。

芸術家という存在は、遺伝子に眠る記憶を頼りに作品を生み出すのかもしれません。
そしてそれが優れた作品となるのは、多くの人の遺伝子に訴えかける、太古からの訴求力があるからかもしれません。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ向かうのか」

ゴーギャンが遺作で投げかけたこの問いについて、みなさんならどう考えますか?

歴史を調べていくと、かならず最後はこの難題に行き着きます。

僕もだいぶ考えました。結局どこから来たのかはまだわかりません。
ただ我々が何者で、どこへ向かうのかだけはなんとなく理解できた気がします。

それはつまり結局僕たちはつなげるために存在し、これからもつなげることを目的に世界に向かっていくんだろうということです

ただしそれは血や遺伝子といった特定の血族をつなげるための物理的なものではありません。想い、価値観、信念など思想的なものも含めた人類全体、もっといえば万物に関わるものです。

僕はそのことを神社に訪れた際、気がつきました。あの聖域や社の様式、そしてそれを守り続ける人々。 それらはすべてつなげることを目的としているんだと大人になって気がつきました。
太古からの記憶を保存し、つなげていくための場所なのだと。

この地球における生命はすべてつなげることを目的に行動しています。

ただ人類という種だけが、その余分な知識と引き換えに、大前提を忘れつつあるのかもしれません。

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