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映画「赤目四十八瀧心中未遂」~生きるべきか、死ぬべきか~

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」というハムレットの有名な台詞がある。社会に順応できず、生きる意味を見失った男が、この映画の後半で自分自身に向かって問い掛ける言葉になるのだ。

 職を転々として、尼崎に辿り着いた生島与一(大西滝次郎)は、古びたアパートの一室で臓物をさばき、モツを串に刺す仕事を朝から夕方まで黙々と続けている。隣の部屋からは、売春婦と客との秘め事があからさまに聞こえ、自分が今まで過ごしてきた環境とのギャップに戸惑う日々が続く。

 ある日、生島を雇っている焼き鳥屋の女主人(大楠道代)が、同じアパートに住む綾(寺島しのぶ)を紹介する。刺青の彫師・彫眉(内田裕也)の愛人だった。綺麗な顔立ちだが、時々見せる暗い表情に生島はいつしか惹かれて行くようになる。底辺の生活を知りすぎた彼女も、世間の汚れに無縁な彼の生き様に関心を抱くのだった。

 昼間、偶然に商店街で綾を見かけた生島は、彼女の後をつけていく。途中で姿を見失ってしまうが、後日彼の部屋を訪ねてきた綾にその事をたしなめられる。彫眉だけでなく、彼女に近づく男を許さないヤクザの兄の存在があったからだ。そんな綾が、ある晩に生島の部屋を突然訪ねる。彼を求める綾の勢いに負けて身体を重ねる生島だったが、死を意識しながらの情交は、今までにない至福の体験だった。

 二人の関係に変化をもたらす出来事が起きる。綾の兄が組の上納金に手をつけ、実の妹を3千万円で身売りしたのだ。約束の期日までに博多までに行かなければ、兄が殺されてしまうのだ。博多で身を売る生活に絶望した綾は、生島に「私をこの世の外へ連れてって」と迫る。天王寺駅のコインロッカーに荷物を置き、赤目四十八瀧への死の道連れが始まる。

 綾との死を意識した旅で、生島の心に変化が訪れる。尼崎での体験が、生きる意欲に繋がる契機となっていくのだ。綾と心中すべきか迷いながらも、死に場所を求めて、赤目四十八瀧周辺を彷徨い続けるのだった。

 映画の後半で、綾の溺死体が滝壺に仰向けになって浮んでいるシーンが出てくる。彼女の傍には、ユリの花が寄り添うように流れている。この場面が、ある絵画に非常に良く似ているのだ。19世紀のイギリスの画家・ジョン・エヴァレット・ミレーが「ハムレット」のヒロインを題材にした「オフィーリア」である。

 ハムレットからは「尼寺に行け!」と罵倒され、更に父親も殺されたオフィーリアは発狂してしまう。ある日、川に誤って落ちてしまい溺死するのだ。彼女はスミレの首飾りをしているが、ユリもスミレも「純潔」という共通の花言葉がある。荒戸源次郎監督の演出かもしれないが、生島への思いを抱いて、苦界に身を沈める綾の気持ちを表現しているのだろうか? 

「ハムレット」は復讐劇ではなく、人の「存在」の問題劇だという批評もある。「赤目四十八瀧心中未遂」は、そういう意味ではハムレット的な映画なのだ。


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