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「起立性調節障害」に負けないために…④ 地獄の就活編

どうもこんにちは。隣の芝生です。

こちらのシリーズでは、「起立性調節障害」という病気の体験記を題材に、周囲の方からの理解の取り付け方や、受験・就職での立ち回りなどについて、お伝えしております。

 前回は、起立性調節障害をある程度上手く付き合いながら高校を卒業し、大学に入学した直後の流れまで取り扱いました。今回からは、同じ病気をしてない方でもおそらく参考になるであろう就活編です。反面教師としてどうぞご覧ください。

過去回は下記リンクからどうぞ。


第8章 大きな誤算

大学生活が質素ながら順調に動き出したと思いきや、ここからいくつもの地点で計画が徐々に狂っていきます。

 まず最も大きい物が、新型コロナウイルスの蔓延です。こちらは、この世代の就活生なら誰しもが避けては通れない課題です。もちろんあまり気にしてない大学生は、こんな中でも遊び歩いていたり、サークル活動に打ち込んでいたんだと思いますが、私には少し気にしなければならない事情があり、アルバイトと日頃から会っている友達以外との活動は原則中止しました。

 さらに、所属したサークル側でも大きな動きがありました。このような情勢では活動継続が不可能であると判断され、上級生の独断により一瞬で解散。もちろん、コロナ禍の間は休会してやり過ごすことで、解散に反対しようとする勢力もあったのですが、決議結果が「満票解散」になるまで投票が繰り返され、結局押し切られてしまう形になりました。多数決とは何なのか考えさせられる。

 数ヶ月後にはゼミの入室試験がありましたが、こちらも大きな問題がありました。最初に国際経済系のゼミを受験したのですが、こちらは純粋に高倍率の人気ゼミだったので敗戦。まぁ、ここまではある程度織り込み済み。

 二次募集は例年ではあまり高倍率にならず、自分が趣味的に関心がある分野のゼミに出願しました。こちらの担当教授は、1年次にこれと近似の内容でプレゼミを開講されており、書類・筆記選考を通過して入会していました。そこできちんと発表や討論を行うことで顔を売って、S評価も頂いていたので、かなりの勝算があって応募致しました。

 しかし、この時はコロナ禍になって初めての年です。当該ゼミは数少ない全国各地への実地調査を、コロナ禍でも継続して行う方針だったこともあり、突然人気が急騰。さらには、高校時代の取り組みなども問われてしまったことで、空白期間の長かった私には厳しい展開となり、見事に落選。

 結局、ゼミ所属なしになってしまいました。選考を主導していたのが、必死に顔を売った担当教授ではなく、ゼミ生だったという点についても、プラスに働かなかった要因だと思います。

第9章 就職活動と起立性調節障害

このようなコロナ禍のご時世でも、大学生の本分である学業にだけは手を抜くことはなく、きちんと経済系の講義ではほぼS評価、第二外国語や教養科目を含めても平均A評価以上には成績を纏め上げました。

 取り立ててメチャクチャ良い数値という訳ではないと思いますが、大学で真面目にやってきた証明にはなるくらいのスコアではないでしょうか。起立性調節障害で高校初年度まで全く登校できなかった人間が、さらに遠距離の大学の1限必修をあれだけ詰められて持ち堪えたのですから、大きな進歩だと思います。自分に甘いかな。厳しくしてもしょうがないんだよな(第1回参照)。

 TOEICスコアについても、特に海外で仕事したいとかは一切無かったんですが、アルバイトで先生をする上で必要かなと思い、きちんと学生受験者の上位5%くらいのスコア(ザックリした30点刻みくらいの度数分布表が配られます)は取りました。

9-2 就活がはじまる

 いよいよインターンシップの時期が始まります。私は、自分の興味関心や、大学時代に学んだことを活かせる安定した仕事にしようと考えていたので、候補として金融・不動産・陸運などが受験候補にあげました。

 ただ、この業種の中でも、コンサル・不動産などは残業時間などの関係で体力的に厳しく、鉄道を筆頭とした陸運も、夜勤などの極端な不規則勤務がある関係で、起立性調節障害をやったような体質の人間には、かなり厳しいことが予想されました。

 後者については、事務職入社でも駅員や車掌、運転士といったものを経験する期間があるそうです。さすがに4時の初電と1時の終電には乗れない。これは贅沢とかではなく、この病気の人が長く働く上で重要な指標です。こういったことを総合的に勘案した結果、ほぼほぼ金融一本に絞って活動することになりました。

 ついでに言えば、やはり就活には「学歴フィルター」なるものがございまして、自分は旧帝とかそこまで名が通ったところには行ってない(元気だったとしても数学で無理だろうな)ので、受験したところで徒労に終わるであろう会社も少なからず存在します。そのため、自分の大学から毎年安定して輩出できている会社以外は受験しませんでした。配分も大企業4割、その子会社や中小企業で6割程度の割合で受験しました。

 ここからはいろいろと皆さんツッコミたくなる所はあると思うんですが、一応私の初期の戦い方をそのまま記載します。ここからは、この病気の人が恐ろしく不利に働く点と、それを抜きにしても改善の余地があった反省点がゾロゾロと並びます。お覚悟はよろしくて。

9-3 この男はどのようにして就活に臨んだのか

 私は、学生時代に力を入れたこと(以後ガクチカ)はアルバイトや自己研鑽で十分であり、大学時代の学びについても、まぁ成績証明書出せばわかってもらえるだろう。志望度はしっかり伝えればOKくらいに考えていました。もちろん、クラスやサークルで中心人物になるほど喋りに長けてる訳でも、面白い奴でもないんですが、最低でもアナウンス研究会を真剣に検討したくらいには、真面目に、明るくハキハキは喋れるので、あまり面接は不安に感じてませんでした。もちろん、調子が悪い日は、明らかにテンションが低かったり、ボヤっとした受け答えになったりはしましたが…。

 また、応募規約に「経歴を偽って記載すると内定取り消し」などの文言も踊っていましたから、きっちりと「高校の4年間」も正直に経歴欄に記載して応募しています。やってもいない「副部長の話」などを盛っている方もいらっしゃるようですが、コイツはどこまでも正直な男です。

「あなたの性格は何ですか。具体的なエピソードを含めて複数答えよ」と問われた時には、アルバイトでの働きぶりの話に加えて、"病気療養からの復帰の話も裏付けとして"「生真面目」だの「誠実」だの「根気がある」だの「最後まで諦めない」だのとアピールしていました(本当か?)。それが評価されると思っていた時期が私にもありました

第10章 中学生・高校生の時に頑張ったことはありますか?

本格的な応募始まります。ESについては、そもそも自分の大学からあまり/全く出ない会社を受験していないので、体感8割くらい通ったように思えます。適性検査は、国語と数学という最も不得手な二教科の組み合わせが基本なので、5教科受験時よりも遥かに押し下げる方向には動くのですが、それでもあまり落ちることはございませんでした。

 また、1次面接にありがちなグループディスカッションについても全く問題なく、というかむしろ上々なくらいの通過率でした。さりげなく司会の役割を貰い、タイムキーパーや初期に仕事を回し、きちんと周りに意見を求めてから、話が逸れれば本題に戻し、公平性を担保するために自分の意見を最後に述べ、きちんと総括する。発表は他の人にお願いする(おいおい。でも人数が大抵余るのでこうして振り分けています)。これでほぼ全勝です。

 問題は個人面接です。コロナ禍で大きく変化したのは、会社ごとの「ガクチカの重要度」だと考えています。世の中に企業は数多あれど、「ガクチカ」の扱い一つ取っても、何パターンか採用方針の流派みたいなものが分かれるところはあって…

 1つ目はガクチカを全く聞かないよう、大学での専攻やスポーツ(体育会系)について聞くパターン。2つ目は、中学や高校に遡って、具体的なエピソードを引き出してから、人柄を探るパターン。最後に、いままで通り尽きるまでガクチカを複数聞いてくるパターン。私はいずれも経験しました。

 第1パターンの場合。私は真面目に大学生活を送ってきたので、成績やTOEICスコアでケチを付けられることは多分ないのですが、こういった時に人事の方が聞きたいことは、ゼミにおける協調作業の形跡や専門性です。私にはこれを裏付ける話がございません

 こういう質問が飛んできた時、私はきちんと成績を纏め上げたことをアピールし、「この授業からこういうことを学び、どういったことに役立てた」のような形で話をするのですが、そうすると人事の方は半分くらいの確率で「ボクは大学は飲み会とか麻雀ばかりでマトモに通ったことなかったネ~。ゼミだけは入ってたけども。」と仰ります。多分そう仰る人事の方の中には、実際には真面目にやってた方もいらっしゃると思いますが、それにしてもゼミの話をしないとあまり響かないようです。

 またスポーツについても問題があります。特に中学・高校と潰れてしまった人間には、これは非常に酷な物のように感じます。
もちろん中1から始めておけよ、大学でスポーツ系に入っておけよというご指摘はごもっとも(私は体育会が有利というのを知らなかった)なんですが、それにしても潰れてしまったら同じです。

 大学はスポーツ推薦で入学されてる方も多く、ほとんどが当該競技経験者ということもあり、現実的に中高と空白期間が長く、大学に来て基礎体力を付ける途中にあった人間が、いきなりルールも知らない集団スポーツに飛び込んで何か実績を挙げるってのも、なかなか現実的ではない話です。

10-2 タイムマシーンなんてないんだ

 次に第2パターン。これが最もしんどいパターンです。「中学生(高校)の時はどんな生徒でしたか、どんな友人がいましたか、具体的なエピソードも含めてお話ください」というパターンがこれに該当します。

 ここで、まさか「授業中だろうが休み時間だろうが常時騒がしく付き纏い、他の人と喋ろうとするとカットインが入り、勝手に旅行にまで付いてくるような子がいて、ストレスでやられました」なんて話をする訳にも行きません(ご存知無い方は第一回をご覧ください)。ストレス耐性ゼロの頃の話をするのは悪手です。

 かと言って、「高い目標に向けて努力する性格なので、塾の模試でメチャメチャいい成績取るまでコンツメて頑張ってました。高校でも1年生のうちから独学で計画的に学校に残って勉強して、現役で大学に進みました」なんて言ったところで、実際に進学した高校・大学は、上場企業なら取り立てて注目するような所ではないため、過去の栄光、あるいは下手すると"わかりやすい嘘"に縋ってるだけの人間に思われてしまいます。

 他のアプローチも何パターンか考えたのですが、いずれも空白期間や思うように活動できない期間が長すぎて、裏付けが少なく説得力に欠ける話ばかりになってしまいました。

よく普通の就活経験者に「多少経歴やエピソードは盛っても気付かれない」と言われますが、これはなかなか病気をした人間には難しいことです。

 下手な例えかも知れませんが、一般的な学生は、既に頑丈なコンクリート打ちっぱなしの壁(下地となるエピソード)を用意できる状態にあって、それに塗装や装飾(話を盛る)を施して、綺麗な状態にしてから面接官に見せるイメージなのに対し、起立性調節障害などで空白期間ができた人間は、何もないことを正直に開示するか、ゼロから塗料だけを重ね塗りすることで壁を作る(全てを嘘で固める)ことしかできません

 もちろん、この後に面接官による「深掘り」という強烈な点検作業がありますから、こうやって作られた壁は脆く、一瞬で崩壊することも容易に想像できるでしょう。また、起立性調節障害になりやすい人の気性として、手抜きができない・嘘が付けないタイプが多いとも言われております。私も嘘で塗り固めるのは難しいと考えたため、実際にそういう気質を備えていると自他共に認識していても、根拠に乏しい話をせざるを得ませんでした。

 最後は、古典的であり、王道でもある「ガクチカ尽くし」の質問攻めパターン。こちらは会社によって聞かれる数が大きく異なります。例えば、「自ら頑張ったことを3つ紹介してください」でしたら、中高が空白期間なことにも、休学のことにも、ゼミに落ちたことにも触れずに、主導権を握りながら進めることができます。
 
 しかし、往々にしてこの手のタイプは「ゼミで頑張ったことを教えてください」とか「サークルで頑張ったことを教えてください」「コロナ禍もございましたので、過去に遡って高校の時に頑張ったことを教えてください」と言った細分化された質問ばかりです。こうした時は、戦いにくくなってしまいます。「入れませんでした。」「コロナ禍であっさり解散しました。我々下級生は抗ったんですけどね。」「高校時代は病気療養があったので慎重に行動していました。」なんて回答では到底受かるわけもありませんね。

 ただ、この程度の一般的なタイプの面接であれば、100%とは言わずとも、まだどうにか受け答えをすることは可能なのです。むしろ、中高やゼミについて深く掘られなかった時は、事実ベースで正直にお話できるのは強みです。大手の集団面接で、物凄い鋭い深掘りをしてくる会社さんが一社ございましたが、最初は私より自信を持ってハキハキ答えていた方々が、脚色したガクチカや不鮮明な志望動機で、最終的にしどろもどろになるまで突かれる中で、自分だけ最後まできちんと破綻なく喋れた時もございました。その会社は三次まで残ったかな。

 問題は休学歴や病歴を開示した人に待ち受けている"面接が面接ではないパターン"への対応です。

あとがき・次回予告

ここまでご覧頂きましてありがとうございました。果たして"面接が面接ではない"とはどういうことなのか。次回更新は9月末、あるいは10月上旬を予定しております。良ければいいね・フォロー・コメントなど、よろしくお願いいたします。同じ病気の方からのコメントも大歓迎です。

今回のサムネイル画像は、静岡県の「三保の松原」周辺の海です。静岡好きなんだよなぁ。次回もよろしくお願いいたします。

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