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『もしもし、一番星』 #07 — 真夜中の試験電波 — by 阿部朋未

不眠の癖に超ロングスリーパー。両極端の性質を持ち合わせたまま、どうにかここまで生きてきている。なかなか寝つきが悪く、寝に入るまで1時間かかるなんてことはざらで、一度眠ってしまえばいつまでも眠れるし、なんならどこでも寝れる。時には霜が降りるほど冷えた山奥のキャンプ場で、あるいは真夏の真昼間、灼熱の砂浜の上で。後者は中学時代に部活の同級生家族とキャンプに行った際、前夜に一睡もできなかった反動で昼間に浜辺でうたた寝をしていたつもりだったのだが、溜まっていた疲れも相まって爆睡してしまった。同級生の父親から「どこか具合が悪いのか」と心配されたが、私にとっては通常運転なので両親は帰宅時にそのエピソードを聞いて「おいしい」と大爆笑していた。昔から眠れる時と眠れない時のバランスが文字通りめちゃくちゃなのだ。

大人になった今でこそ、眠れない夜をやり過ごす為の術はいくつも持ち合わせているものの、幼少期には手段も何もわからなくて心底苦痛でしかなかった。羊なんていくらでも数えられるし、目を瞑ると瞼の裏に広がる真っ暗な世界の中で変なモザイク柄がうねうねと動いている。気の遠くなるほど時間が経ったと思えば、実際のところは30分も経っていない。しかも、その頃から中途覚醒を身につけてしまい、ふと目が覚めたのと同時に冴えてしまったが最後、朝までコースを覚悟したのは数えきれないほど。眠れないと訴えても、だからといってまだ起きている両親と深夜ドラマを一緒に観ることは当然許されず、渋々自分のベッドに戻るのがお決まりの流れだった。それでも眠れなくて仕方なかった時には、母親に付き添ってもらって暗い部屋でビデオを観ていたのをこれを書きながら思い出した。一緒に出かけた先で入った小さな雑貨屋さんで買った、チープな画質で再生された世界の童話のアニメーションだった。

今でも思い出に残っているのは中学時代、マイコプラズマ肺炎で2週間ほど入院した時のこと。体調がすこぶる悪く、日中でも延々と眠っていた為に見事に生活リズムが逆転してしまった。生まれて初めて買ったばかりのウォークマンには曲がまだ十数曲しか入っておらず、長い入院生活、単調に繰り返す日常の中ではあっという間に聴き飽きてしまった。当時はまだラジオを聴くことは習慣化しておらず、皆が寝静まって医療機器から発せられる規則正しい電子音が部屋に静かに響く中、四方をカーテンで締め切られたベッドの上で燦然と光る小さなテレビ画面を眺めていた。深夜特有のディープで混沌かつ雑然とした世界観は、いろんな意味で拗らせつつある中2の心をくすぐるにはあまりに十分すぎたのは言うまでもない。

しかしながら、放送は一日中途切れずに続く訳ではない。夜が深まる毎にひとつ、またひとつと今日の放送が終わっていく。その度に外の世界から切り離されていく感覚がして、ベッドの上という身体ひとつ分の小さな世界の中にいる自分はどこまでも一人ぼっちでしかないのだと思い知らされるようで寂しかった。その時に出会ったのが "コールサイン" と "試験電波" という存在だった。

簡単に説明すると、"コールサイン" とは各々の放送局が持つ符号で、他の放送局や無線局と識別する為に存在しており、放送開始と終了時に必ず発せられていて、その際2回コールサインを名乗ることが義務付けられている。稼働する放送局と同じ数のコールサインが存在しており、もちろんひとつとして同じものはない。コールサインが読み上げられてその日の放送終了が告げられた後に流れるのが試験電波である。昔ながらの表現だと「ピー」と途切れずに鳴らされる高いキーの電子音とともに画面に映し出される"カラーバー"と言えば想像がつきやすいかもしれない。そのカラーバーが流れる画面及び時間帯は「試験電波発射中」という意味で、実際にその文言が画面に表示されていたこともあった。

今でこそ平日を中心に一日中途切れずに放送を続けているが、日曜日の深夜、定期的な放送設備の点検等により月曜日の朝まで放送を休止することがある。例えば東京のラジオ局・J-WAVE は通常25時に放送終了のアナウンスが流れ、その後は朝5時の放送開始のアナウンスまで音楽が流れるか、スマホでラジオが聴けるアプリ・radiko では無音の状態が続く。放送とは休む暇なく永遠にわいわいがやがやしているものだと思っていたから、放送休止から開始までの時間の存在を知った時、テレビもラジオも「眠る時間」があるのだと少しだけ安心した気持ちになった。音は鳴っているけれどそこには静寂が確かにあって、岸壁に腰掛けて凪をただただ眺めている時の感覚と同じだと感じている。

さらには地元のテレビ局でいうと、放送休止の時間帯にカラーバー画面を流すのではなく、BGM とともに天気予報と仙台駅前に設置されたお天気カメラからの映像をリアルタイムに流すところもある。日中、街の賑やかな様子を映し出すお天気カメラも、さすがにこの時間帯に映るのは何の変化もない真夜中な駅前の景色かと思いきや、人はほとんど歩いていないにしろ時折行き交う車のヘッドライトが真っ暗な画面上に小さくも眩しく光る。それは人工的な流れ星のようでいて、同時に「この時間でも自分以外の人が確かに生きている」のだと認識できて、やはりまた別の意味で安堵できた。

思えば、電子音楽家・rei harakami を好きになったのもテレビ放送からだった。その存在を知る遥か昔、地元テレビ局にて長らく放送されている3分間のローカルニュース番組のタイトル映像とともに流れるジングルのような音楽、それこそが氏の名曲『owari no kisetsu』のイントロだった。ニュース番組の始まりと終わり、放送で流れる部分はイントロ冒頭のたった5秒だけ。掴みどころのない不思議な浮遊感が詰まったその5秒を、ずっと忘れられずにいた。大好きなバンド・くるりと親交があることや、映画『天然コケッコー』の劇中音楽を手がけていることなど、以前から名前だけは知っていたものの楽曲に触れる機会はあまりなく、とあるイベントに呼ばれてDJをすることになり、何を流そうか楽曲を探している際にようやく初めて彼の音楽に触れた。Spotify で検索するとアーティストプロフィールの画面とともに人気曲5曲が表示されるのだが、一番上から順に再生していくと、途端に流れ出したのは聴き馴染みのあるあのイントロ。その時に初めてあの地元のニュース番組で流れるジングルが『owari no kisetsu』だということに気づいたのだった。そして、彼の魅力に深くはまり込んだきっかけこそが、未リリース曲『new air』である。

YouTube で放送局のオープニング / クロージング映像を夜な夜な見漁っていたある時、視聴した動画のおすすめ欄に現れた。再生ボタンを押して映像が終わるまでの1分間に濃縮された、揺らぎ、捩れ、縦横無尽に展開されていく rei harakami の音像世界。それは暗く鬱屈した真夜中がほのかに明るく照らされる瞬間にも似ていて、私が試験電波を見ている時に感じている感覚そのものだった。

厳密には『owari no kisetsu』はカバー曲であり、原曲は細野晴臣さんによる『終りの季節』で、ある種、細野さんの代名詞であるフォーキーな ”トロピカル感” のある原曲に対して、彼による楽曲の再解釈および大胆な再構築で、全体的に原曲よりもさらにシリアスな雰囲気が漂う。それでも双方の楽曲にはそれぞれ”寂しさと救い”が滲んでおり、『owari no kisetsu』においては例えるならば「ひとりだし、さびしいけれど、今はそれでいい」という印象を持っている。そこへ瞬間的に照らされる光 ——— rei harakami の音楽であったり試験電波こそが、私にとっての「それで救われる気持ち」なのだろう。

そうやってまた空がだんだんと明るくなっていくのを待っている。日が昇る前の静寂と空の色が私は好きだ。

阿部朋未


『もしもし、一番星』 TRACK 07

阿部朋未(アベトモミ)
1994年宮城県石巻市生まれ。
尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。2023年3月、PARK GALLERY にて個展『ゆるやかな走馬灯』を開催。
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