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ウミユリ海底譚 歌詞 考察

はじめに

 この記事が多くの人に読まれるとは思っていないので、自己紹介する気にもあまりなれませんが、一応。私は経済学を専攻している大学生です。文学部のガチプロみたいな人には到底敵いませんが文学や哲学に興味がありますし、そういうことを考えるのは好きです。(現役時は文学部を受けました!!!)

 今回歌詞の解釈をしようと思ったのは、サークルの先輩の影響です。私は軽音サークルでボーカルをやっているのですが、これがまぁ酷くて、人前に立って良いものかと自分でも疑ってしまうレベルの棒立ちボーカルです。
 そこでサークルのボーカルの先輩にお話を伺ったところ、歌詞の意味を考えるといいよと言われたので、歌詞の解釈やってみるかーと思い立ちました。以前からやってみたいとは思いつつもできていなかったので、久しぶりに時間を忘れて作業に夢中になれた感じがします。

 そこまではいいとして、今、自分のかいた考察文を読み返してみたのですが、すごく眠いです。歌う時の表現力のみならず、文章すら面白味がないようです。(アドバイス待ってます🥺)話すと面白いって言ってくれる人は周りに結構いるのですが、もしかしたら気をつかってくれているだけなのかもしれません。優しい人たちに恵まれてよかったです。

 それはさておき、歌詞の解釈に関する私自身の考えを述べたいと思います。私は、歌詞は必ずしも解釈をすべきだとは思いません。だって、敢えて見方を固定しないことで、年齢や経験を経て、歌の解釈が個人の中で柔軟に変わっていくのって面白いじゃありませんか。
 解釈をする過程では、ある個人視点から見る、つまりある種の色眼鏡を通すことは避けられない。だから、解釈には正解がないし色々あっていいと思います。確かに、なんらかの正解はあるのかもしれないけれども、どうせ歌を作った人の考えが全てが分かるなんてあり得ないのだし。
 この考察だって私の主観がかなり入っています。これを正解だと押し付けるつもりは全くありませんし、他人から見れば違っていると感じる部分も多々あると思います。だから、違う意見なり感想なりがあれば私はそれを聞いてみたいです。


ここから突然文体が変わります(え?)

ウミユリ海底譚について

 
ウミユリ海底譚は、n-bunaの13作目となるオリジナル楽曲だ。

 この歌のメインの登場人物は「僕」と「君」。
歌を作っている、つまり音楽をしている「僕」と彼から離れていく「君」との別れが「僕」の視点から描かれている。

 そもそも、ウミユリとはどのような生物だろうか。
名前から勝手に植物を想起していたが、ヒトデやナマコと同様の棘皮動物門に属する生物のことらしい。漢字でも「海百合」と書くように、植物のユリのようなかたちをした深海の生き物で、幼体の間は自由に海を泳ぎまわることができるが、成体になると岩などに固着して生活を営むことが主だという。
現在では水質の変化が少ない各地の深海に棲んでいて、生きている化石とも言われている。

ウミユリ

 ここで、あえてウミユリが選ばれた理由を考えてみたい。ウミユリは上にも述べた通り固着生物だ。この歌の歌詞では、海底で浮遊したり固着したりといった生活を送り、海の外へ出ることができないウミユリは、今いる場所に取り残され、「君」が去っていってしまった後を追うことができない「僕」のメタファーだと考えられる。

 また、関係があるかは微妙だが、植物の百合の花言葉にも目を向けてみたい。百合の花言葉は諸説あるが、有名なものを挙げると、純粋無垢自尊心だ。
ここには、「僕」の、音楽への純粋な気持ち、そして自身の音楽作品に対するプライドの意味も込められているのではないだろうか。

ユリ

 「君」は僕の音楽を、そしてそれに夢中になる「僕」自身を理解してくれず、「僕」から離れていってしまう。「僕」は「君」への想いと、音楽に対するプライドとの葛藤に苦しんでいる。最終的には音楽を選ぶことになるのだが、曲中では、そこに至るまでの「僕」の心の動きが繊細に綴られている。


歌詞本文の考察

待って わかってよ
何でもないから僕の歌を笑わないで
空中散歩の SOS 僕は僕は僕は

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 最初の二行は、「僕」の音楽を理解できすに離れていく君に対する僕の心の叫び(=SOS)だろう。
「君」は「僕」の歌を理解できずにそれを笑っている。

 “空中散歩”は、まだ幼体のウミユリが海中を浮遊している様子だ。彼はまだこの段階では「君」を追いかけようとしているのだろうか。

今 灰に塗(まみ)れてく
海の底 息を飲み干す夢を見た
ただ 揺らぎの中
空を眺める 僕の手を遮った

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 ウミユリは水質変化の大きい環境では生息できない。“灰に塗れていく”という表現から、僕が生きづらさを抱えていることが窺える。

 “息を飲み干す夢”は、
息を飲み干す=吸った息を使い果たす=新たに息を吸えない 
と考えると、ここにも「僕」の生きづらさが暗に示されていると捉えられる。

 “揺らぎ”とは、深海にいる僕が水面越しに空を眺めているため、空がゆらめいて見えることを表している。

 また、“僕の手を遮った”からは、海の外(=君の側の世界)に行こうという僕の意志が断たれてしまったことが読み取れる。

夢の跡が 君の嗚咽が
吐き出せない泡沫の庭の隅を
光の泳ぐ空にさざめく
文字の奥 波の狭間で
君が遠のいただけ

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 “夢の跡”とは、「おくのほそ道―平泉」に載せる、松尾芭蕉の俳句からの引用だろう。あるできごとのあった現場のようすが、すっかり変わってしまっていることのたとえ、と辞書にある。「君」と過ごしたいつかの日々が、今ではすっかり様変わりしてしまった。“君の嗚咽”からも、「僕」から離れる時に「君」が泣いていたことが読み取れる。

 また、“吐き出せない泡沫”というフレーズに注目してみよう。ここでも「僕」が海の中にいる、つまり「君」に置いていかれて取り残されている。海の中なら呼吸すれば泡が口から漏れるはずだが「僕」はそれを吐き出せていない。よって、この歌詞には「僕」がうまく呼吸できておらず、息を吐けずにいることが表されている。

 そして“庭の隅”は新美南吉の詩『庭の隅』から引用とされていると考えられる。
ここで、新見の詩の全文を参考に載せておく。

わたしは一匹の雨蛙の
棲んでゐる石を知つてゐる
それは庭の隅の
松の木の蔭に
乾いた苔におほはれて
とつこつと立つてゐる灰󠄁色の
石だ
雨蛙はその石の襞ヒダに
身をひそめてゐたり
或るときは
木洩れ陽のあたるところに
へたりと腹ばつてゐる
彼は長い間この石に
棲んでゐたのでいつのまにか
體は灰󠄁色になり
石と見わけがつかない
私は彼の心も灰󠄁色だらうと思ふ
石に手をふれるとひい〔ママ〕やりと冷たいが
その冷たさは彼の手足と
彼の眼と彼の心の冷たさと
同じだと思ふ
わたしは日に何度も
この靜かな陰しつの場所󠄁に
訪ねて來て
雨蛙のすみかをのぞいて見る
槇の葉を押しわけて
顏を近󠄁づけても
細い金で緣どられた
彼の小さいか黝い眼に
わたしの顏が更に小さく映つても
彼は冷やかに石の一部分のやうに
うごかない
おいとわたしは聲をかけて見ても
小さな鼻孔を
依然ひくつかせてゐるだけだ
かうして見てゐると自然に
彼の心の冷たさと灰󠄁色が
私にもうつつて來て
わたしも石に吸ひよせられてゆく
わたしも雨蛙も石も
一つの心になる
わたし達󠄁はお互をあまりに理解し
もはや冷たささへ感じないのだ
そのとき
春といふのに春も何も超えた
松風の音󠄁が
わたし達󠄁の頭上に太古の歌を
うたふのをわたしたちは――
わたしも雨蛙も石も
しいんと聽くのだ

新美南吉『庭の隅』



ここで、先に出てきた、“灰に塗れていく”の“灰”は、この新見の詩と関連があると推測できる。新見の詩の一部を抜粋すると、

“わたしは一匹の雨蛙の
棲んでゐる石
を知つてゐる
それは庭の隅
松の木の蔭に
乾いた苔におほはれて
とつこつと立つてゐる灰󠄁色の
石だ


“彼は長い間この石に
棲んでゐたのでいつのまにか
體は灰󠄁色になり
石と見わけがつかない
私は彼の心も灰󠄁色だらうと思ふ
石に手をふれるとひい〔ママ〕やりと冷たいが
その冷たさは彼の手足と
彼の眼と彼の心の冷たさと
同じだと思ふ”

新美南吉『庭の隅』より一部抜粋

 詩から、雨蛙は自身が住んでいる灰色の石に体も心も同化していったことが読み取れる。蛙の心や世界観は冷え切ってしまった。

  ここには、「僕」の精神世界のメタファーである海の底が灰に塗れてしまったことで、彼の心や世界観も冷えていってしまう恐れが暗示されているのではないだろうか。だから僕」は、自らの心が灰に塗れるのを恐れて、泡沫を吐き出せない=呼吸ができないのかもしれない。


 解釈が長くなったので、歌詞の一部を再喝する。

夢の跡が 君の嗚咽が
吐き出せない泡沫の庭の隅を
光の泳ぐ空にさざめく
文字の奥 波の狭間で
君が遠のいただけ

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 “光の泳ぐ空”とは、先ほどと同様に海の底から空を見ていることを描写している。プールや海の中から水面を見上げた時、太陽の光が水面に反射してひどく煌めいて見えた経験が誰でもあるはずだ。海の外、つまり「僕」の心が生きている世界の外側には光=「君」がいる。それを「僕」は海の底から眺めている。

 また、ここでの“文字”とは、「僕」の書いてた歌の歌詞のこと。おそらくこの歌詞は「君」のことを想って書いた歌詞だったんだろう。でもその歌詞の奥に込めた「僕」の気持ちは「君」には伝わることがなかった「君」の心は海にいる「僕」から離れていく。海の外へは届かず行き場を失った「僕」の言葉は、水面に浮遊したまま、波に流されていってしまう。

「なんて」

もっと縋ってよ 知ってしまうから
僕の歌を笑わないで
海中列車に遠のいた
涙なんて なんて
取り去ってしまってよ 行ってしまうなら
君はここに戻らないで
空中散歩と四拍子 僕は僕は僕は

 “もっと縋ってよ 知ってしまうから 僕の歌を笑わないで” は「君」に対する「僕」の心の声だ。「縋る」とはしがみつく、頼りにする、という意味である。この歌詞は、「君」が離れていきそうな予感がした「僕」が、二人の関係の終わりがくることを知りたくはないという気持ちから、もっと自分に縋ってほしい、離れていかないでほしい、自分の音楽を理解してほしいと胸の内で叫んでいることを表している。

 そして、ここから「君」を突き放すような「僕」の心情が表れてくる。“海中列車に遠のいた涙”とは、海から離れていく「君」が流した涙のこと。「僕」は「君」が自分のもとを去って行ってしまうなら、「君」が流した涙も取り去ってほしい、そして「僕」のもとへは戻らないでほしいと思っている。去っていく「君」が残した涙を見てしまうと、「僕」は寂しさに襲われてしまうだろうから。「君」への想いが断ち切れてはいないのにも関わらず、「僕」が「君」を突き放そうとする理由はもう分かるだろう。「君」は、「僕」が身を捧げて作り上げた音楽を理解できず笑ったからだ。

 “空中散歩”は、先程と同様に、まだ幼体のウミユリが海中を浮遊している様子だ。“四拍子”とあることから、「僕」は「君」ではなく音楽を選ぶと決めたことが示唆されているが、まだゆらゆらとあてもなく彷徨っている「僕」。ここにも「君」のへ思いを完全には断ち切れていない「僕」の曖昧な心模様が描かれている。

ただ藍に呑まれてく
空の底 灰の中で夢を描いた
今心の奥 消える光が君の背を掻き消した

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 ここで時間が経過したようだ。空の底が藍に呑まれていくという表現から、日が沈み、空が深い藍色に染まる情景が目に浮かぶ。「僕」は依然、灰色に塗れた海の中で、夢を描いている。この夢とは、音楽で生きたいという夢と、「君」と一緒にいたいという夢のどちらも含まれていると考える。

 そして、この空の情景は「僕」の心と連動し、「僕」の心の中にあった光も消えてしまう。先にあったように、“光”は「君」の隠喩だ。「君」の背中すら見失った「僕」の想いは次の歌詞に描写されている。

触れる跡が 夢の続きが
始まらない 僕はまだ忘れないのに
光に届く 波に揺らめく
夜の奥 僕の心に 君が手を振っただけ

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 この歌詞での夢は、「君」と一緒にいたいという願いの意味が強いと考えられる。「僕」はまだ「君」と過ごした日々を忘れられないけれども、その日々はもう続くことはない。そう意識した「僕」の心では、離れていく「君」への切ない想いが高まっている。

 「僕」は光(=君)に手を伸ばした。でも、「君」を引き留めることはできなかった。去っていた「君」を眺めている「僕」。夜は一層深くなっていく……。


「なんて」

そっと塞いでよもういらないから
そんな嘘を歌わないで
信じてたって笑うような
ハッピーエンドなんて
逆らってしまってよこんな世界なら
君はここで止まらないで
泣いて笑ってよ一等星 愛は愛は愛は

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 この歌詞は、「君」に対する「僕」の想いだ。「君」は「僕」に嘘を付いた。憶測でしかないが、「音楽をしているあなた、好きだったよ」的な優しい嘘だったのではないだろうか。「僕」はそんな嘘をつく「君」の口を塞ぎたくなった。口先だけの優しさなんて、もういらなかったから。

 二人がお互いに「信じてた」って笑い合うような結末は、もう「僕」と「君」との間には生まれないことを悟った「僕」。
『君』は『僕』のいる場所にとどまらずに離れていって。別れる今『君』は泣いているけど、『君』には笑っていてほしい。そして『君』は『僕』から遠く離れたところで輝いていて。」
このような「君」の幸せを願う「僕」の愛が、この詞には歌われているのかもしれない。

消えない君を描いた 僕にもっと
知らない人の吸った 愛を
僕を殺しちゃった 期待の言葉とか
聞こえないように笑ってんの

もっと縋ってよ もういらないからさ ねぇ
そっと塞いでよ 僕らの曖昧な 愛で

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

この辺りから自信がないけど、なけなしの想像妄想力を駆使して足掻いてみる。

「僕」が描いた歌の中の「君」は色褪せることがなかった。一方、現実では「君」の心は僕から離れていく。叶わないとは知りながらも、「僕」は「君」からの愛を欲していた。でも「君」の愛は「僕」が知らない誰かに向けられているようだ。

 「僕」は周囲の人から、「僕」の音楽が活動に対する期待の言葉をかけられていた。しかし、「僕」はその周囲の期待に耐えきれず、心が壊れてしまった。でも「君」はそんな言葉や僕の精神的な痛みには気づかないふりをして、「僕」ではない誰かと笑っている。

 「僕」の音楽に対して理解を示すような「君」の言葉なんてもう求めないから「僕」から離れていかないで、そばにいてほしい。だから「僕」の音楽を分かっているというような嘘をつく「君」の口を塞ぎたい。「君」と「僕」はお互いのことを十分には理解し合えなかった。でも、今となっては、もうそんな曖昧な愛でもいいから…..。「僕」が「君」へ切ない想いを募らせていることが伝わってくる。

「なんて」

待って わかってよ 何でもないから
僕の夢を笑わないで
海中列車に遠のいた 涙なんて なんて
消え去ってしまってよ 行ってしまうなら
僕はここで止まらないで
泣いて笑ってよ SOS 僕は 君は 僕は

最終列車と泣き止んだ あの空に溺れていく

n-buna『ウミユリ海底譚』歌詞 より一部抜粋

 ここでは、音楽を理解してほしいという「僕」の気持ちが強くなっている。“なんでもない” とあることから、ひとつ前の歌詞で「僕」が「君」へ募らせた想い、つまり音楽を理解してくれなくてもいいからそばにいてほしいという思いを「君」にはっきり伝えることはなかったのだろう。僕はやっぱり、音楽という夢を一番に考えたし、それが理解されずに笑われることが耐えられなかった。

 “海中列車”という表現で、「君」が「僕」から離れていくことが再び示されている。どうせ「君」が「僕」のもとを去ってしまうのなら、「君」が流した涙も消え去ってほしい。「僕」の心が「君」への切ない想いに囚われないように。

 そして「僕」は音楽の道へ進む。別れ際、「僕」も「君」も泣いていた。でも「僕」も「君」も笑える日が来てほしい。おそらくそれは別々の場所だろうけど。SOSはまだ「僕」の心の傷が癒えておらず、助けを欲していることを表している。

 “最終列車”という表現は、「君」がもう戻らないことを明らかにしている。そして「僕」と「君」は泣き止んだ。二人は悲しみを受け入れ、別々の人生へと足を踏み出した。
 だけど、僕は「君」のことが忘れられない。残された「僕」はまだ、去ってしまった「君」との日々に想いを馳せ、いつかの思い出に浸っていく。


終わりに

今文字数を見ていると7000字に到達しそうです。スクリーンタイムを確認したら、作業時間が12時間を超えていました。くどい考察になってしまいましたし、とんだ駄文読ませてくれたな、って思われても仕方ないと思っています。自覚はあるので。ですが、書いていて楽しかったです。時間があればまた別の曲で書きたいと思います。読んでくださりありがとうございました。

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