「枯れごはん」番外編 〜欠けた茶碗のこと〜

日常的に食べている枯れたメシを記録してみようとなんとなく思い立ち、始めてから約1年半が経った。その第1回めに、僕はこう記載している。

「お気に入りだから使い続けている茶碗も、欠けている」

そう、僕の茶碗は欠けているのだ。その欠けた茶碗にごはんとおかずをよそい、淡々と写真に撮り続け、早183食になった。実はその間、ずっとずっと気になっていたことがある。それは、「『枯れごはん』というテーマを演出するため、わざと欠けた茶碗を使っていると人に思われてたらやだな」ということ。

断じて、それはもう断じて違う。茶碗の使いやすさやデザインが本当に気に入り、そしてなかなか代わりになるような新しい茶碗が見つからないのでそのまま使い続けているだけで、決して演出などではない。どうか信じてほしい。……まぁ、この世の誰ひとりとして気にもとめていない可能性もじゅうぶんあるけど。

とにかくそんなことが、この記録を始めて4回めくらいから、実はずっと気になっていた。が、先日、これはという新しい茶碗との出会いがあった。ついに世代交代の時がやって来たのだ。

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これが、ずっと僕の枯れごはんとともに歩んできた茶碗。

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フチが一部欠けてしまっている。

この茶碗は、クラフトビールがうまい地元の店「WELDERS DINER」で食事をした時、店内の小さな特設ブースで、期間限定で販売されていたもの。確か地元に住む陶芸家さんの作だったと思うが、詳細は定かではない。味わいのある色味と風合い。それから、ちょっと大きめなサイズと、意外なほどの軽さ。そんなところに惹かれて手にとり、次の瞬間、この刻印を目にして購入を即決した。

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「HAWAII KONA」……なぜ!?

1年半続けてきたこの枯れごはんの記録、なんとなく見てくれていた人たちが少しはいるかもしれないが、まさかその茶碗にずっと「HAWAII KONA」と刻印が入っているとは、誰も想像だにしていなかったに違いない。

とにかくそんなだから、もうずっと、街に出て入った店に茶碗売り場があれば必ずチェックしていたものの、これぞという出会いはなかなかなかった。デザインはいいが少し重い。重さは絶妙だが手触りがちょっと。手触りはいいがデザインが野暮ったい。どれも一長一短で決め手に欠けた。そして時が経つほどに、「あの茶碗よりいいものでないと! 妥協は絶対にしたくない!」そんな想いが強くなり、よけいに出会いの機会は減ってゆく。

ところが先日、ふらりと立ち寄った地元のスーパー「ライフ」の2階で、運命の出会いがあった。

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何気なく持ち上げてみたこの茶碗が、驚くほど軽く、自分の手にぴったりフィットする。正直、前の彼とはまったくタイプが違う。こんなに光沢のある茶碗に魅力を感じたことは今までなかった。

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が、自分がこの茶碗でごはんを食べることを想像しながら、さわればさわるほど、眺めれば眺めるほど、この人しかいないように思えてくる。

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名前は……祥。どうやら佐賀県は有田の出身のようだ。

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何しろ、ラフな筆描きの丸にひげのようなちょんちょん。このよくわからなさがミステリアスでいい。

次に意識が戻ったのは、すでに会計をすませたあとだった。やってきたのだ。世代交代の時が。

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もちろん、以前の茶碗をいきなりポイっと捨てるようなことはしない。いずれなにかのタイミングで、金継ぎなどをして第二の人生を歩む時も来るかもしれないから。

ただ、とにかく今は、長年僕の「枯れごはん」の土台となってくれ、ありがとうと告げたい。


ところでこの「枯れごはん」は、今まで朝食として食べることが多かった。が、最近生活リズムが変わり、1日2食が基本の日々を過ごしている。僕の場合、夜はぜったいに酒を飲みたいから、基本つまみしか食べない。また、思いついた実験レシピの試作や、仕事で検証的な食べ比べなどが必要になることが多く、もう1食はそれに当てることが多い。つまり、最近は枯れごはんを食べる機会がガクンと減ってしまったというわけだ。

それでもこういう、質素でありながら心からうまいと思えるメシを食べる機会がなくなるわけではないはず。なので、更新頻度は今までよりも落ちるだろうけれど、引き続き、細々と記録は続けていこうと思います。


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