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Instagramのフォロワー数で階級が決まる? 学生たちに「スクールカースト」のことを聞いてみた――パラソル座談会

2021年9月、国立市男女平等参画ステーション「パラソル」では、オンラインで座談会を開催しました。参加者はパラソルと共に学ぶ実習生、インターン学生さん、一橋大学の澁澤塾メンバーのみなさんと、パラソルの講座に参加されたことのある方たち、計10名。ジェンダーに関すること、社会の規範など日ごろ感じるモヤモヤを語っていただきました。今回は、情報vol.8で掲載した本座談会のレポートを一部編集して紹介します!

トークテーマ:
スクールカーストありました?
・恋バナって何だ?
・ルッキズム(外見による差別)って何だ?
・親の価値観、親からの価値観

恋バナって何だ?

――いくつかトークテーマがありますが、まずは何から話しましょうか?

参加者A:「恋バナって何だ?」が気になります。どうしてそのキーワードが出たのかな?って。

――恋バナって楽しいと思う人もいれば、苦痛の人もいて、無邪気に話せる人ばかりではないから。ちょっと考えたことない角度で恋バナを見てみようというテーマです。

参加者A:私は、話したいというより、聞きたいタイプです。恋バナができなくて嫌な時期もあったんですけど、今は悪い意味で恋バナを捉えてなく て。どこに遊びに行くよとか、情報収集の意味合いが強いです。

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――なるほど、楽しい時も辛いときもあったんですね。恋バナって一人では できないから、することで仲良くなれるとか、逆にしないと盛り上がらないのが辛い時もある気がするんですよね。

参加者B:相手に恋バナをされたときに、自分の話もしなくちゃいけないのかなというプレッシャーみたいなものがあって……。例えば、子どものころ、修学旅行のときとか。大人になった今でも、会社で結構あったりして、すごくめんどくさいなって正直思います。でも、自分が話さないことで場が白けちゃったりするので、飲み会は行きたくないなとも思います。

参加者C:話を聞いてて思ったのが、恋バナってお酒を飲むのと同じような関係性だなと思いました。話したいと思っている人もいるけれど、一方で話したくないと思っている人もいる。ある人は恋バナを仲良くなる手段とか自分を誇示するためのツールと捉えていると思ってるんですけど、お酒も同じで。本当は一人ひとりの意思が尊重されるべきではあるけれど、コミュニケーション手段だということとして覆い隠されていると感じました。

ルッキズムって知ってる?

――次のテーマは、ルッキズムにしてみたいと思います。皆さんは、ルッキズムについて何か感じたり、思うことはあったりしますか?

参加者D:私は、見た目で判断するされることが気になって。可愛いから性格がいい、優しいみたいな。見た目だけではわからないことを決めつけることが多いことに悩んでいた時期がありました。

――悩んでいたのはいつですか?

参加者D:高校のときです。男女に関わらず見た目で判断する人が多く、中身を知らずに見た目で評価されることが納得できないなと思っていました。

参加者E:私は身長が170㎝くらいあって周りの人から「バスケ部に入ってる?」「バレー部なの?」とよく聞かれます。身長が高いと運動部に入っているというイメージあるみたいで。私、運動が大っ嫌いなんです。でも、体育の授業のときに身長高いから期待されちゃって。

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参加者C:通っていた高校が公立の女子校だったのですが、見た目より中身とかやっていることで判断されてた気がします。例えば、バスケで活躍している子とか、音楽部でバリバリやっている子はすごいな、かっこいいなと。共学と女子校だと違いがあるなと思いました。

参加者F:私も中高女子校だったので、やっぱり異性の視線がないという点で、そういった(見た目で判断する)風潮は生まれにくかったとは思います。ただ、学祭ではミス・ミスターコンもありましたね。だから、本当に一切容姿を気にしてなかったとは言い切れないのが現実かなと思います。

参加者G:僕は、中高ともに男子校でした。さっき部活で何をやっているかで、かっこいいイメージが決まるって話があったんですけど、僕の学校は、部活のキャラみたいなのがあって、例えば、サッカー部とか野球部の人は明 るい盛り上げ役。バスケ部の僕も盛り上げ役でした。

スクールカーストありました?

――次のテーマは、スクールカーストについてです。皆さんは、このスクールカーストという言葉を知っていますか?

参加者H:出身が地方だからか、スクールカーストという雰囲気は私の学校にありませんでした。でも、テレビドラマなどで言葉は知っていますね。

参加者C:中学のときは、スクールカーストが強くありました。高校は逆に全くなかったです。中学では、暗黙の了解で一軍、二軍の上層下層、三軍みたいな感じがあって、すごく怖かったです。一軍の人が、みんながいるところで三軍の人たちの悪口とか。バカにしたことを平気で言って笑いを取ったりして、二軍の子達も一緒に乗っかったり。結構きつかったです。私は 三軍とか二軍の下の方だったので、中学はすごいしんどい時期でした。

――どういう人が一軍ですか?

参加者C:バスケ部とかですね。文化系の部活は地味な印象でした。

参加者F:キラキラ系って言葉めっちゃわかるなと。私の学校は層がはっきりわかれている感じではなくキラキラ系かそうでないかって感じでした。

キラキラ系の人たちは、花形の部活に所属して容姿が整っているか、コミュニケーション能力がめちゃくちゃ高い傾向にあり、体育祭や文化祭で目立っていてみんなを引っ張っていく人たちですね。

ただ、キラキラ系の人が、そうじゃない人達をバカにすることはなかったです。勉強できる人を尊敬するという別の軸がありました。逆にキラキラ系じゃない人たちがキラキラ系の子を敬遠していたところもありました。

参加者E:私の高校はスクールカーストがはっきりしていなかったですが、Instagramのフォロワー数でキラキラ系かそうじゃないか分かれていて。SNS の数字で判断しているところがありましたね。

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――Instagramのフォロワー数って生々しいですね……。客観的な数で決まるのは。テストの点数とか偏差値みたいだなと。そもそも、一軍、二軍、三軍は誰かが決めるわけではなく雰囲気で決まるんですよね?

参加者C:誰かが決める感じではなかったですね。感じ取って「あの人が一軍、二軍」とか話すことはありました。

参加者I:僕は、アメリカの高校に通っていたので、人種や所得で明確に分かれていて、例えば、白人でアメフト部でフェラーリやベンツに乗っている人は一軍で。明確に分かれていたので変えようがない。教師によっては露骨に人種について言う人もいたし、悲しいものがありましたね。

――アメリカでは、キラキラ系部活って何ですか?

参加者I:アメフト部とチア部です。運動系の部活が上にいるんじゃないかと思います。小学校の頃って足が速くてドッジボールが強ければ、無条件にモテた気がするんですよね。中学校もそれが続いて。高校になって、もっと人間性とかその人らしさが重視されるようになるんでしょうけど、本質的に目に見えてすごい人が評価されがちだと思います。

――個性はいろいろだと思うけれど、上下関係みたいになるのが気になります。二軍、三軍が一軍に対して意見を言いづらいというのはありますか?

参加者C:私は周りにすごく合わせるようにしていました。合わせるのがうまくいかないことが積み重なると、はじかれて、一軍のネタの対象になっ て、二軍の人たちに消費されるみたいな感じですね。

参加者J:消費されるという表現はなるほどなあと。私の高校はなかったんですよね。いじめがない理由にもつながるんですけど。「一日24時間しかないのに、人をいじめたり、寄り集まってネタにする時間ってもったいなくね?」という雰囲気があったんです。個性を大事にする高校で、自由で、服装や発言で自分を表現する時間の方を大切にしていました。

縄張り意識とか帰属意識みたいなものを持たないとやっていけないとか、他にやることなかったらそういうことが起きちゃうのかなと思いました。

参加者G:僕が通ってたのは中高一貫の男子校なんですが、カーストというより、陽キャ、陰キャという感じに分かれていました。

親の価値観・親からの価値感

――「親の価値観、親からの価値観」とかで感じることはありますか?

参加者F:私の場合はそうですね……。学歴至上主義とジェンダー規範が組み合わさった独特な価値観を家族や親せきのほぼみんなが共有していて。女の子ならこのくらいがいいみたいな。そういう独特の判断基準がありました。私はそれを言われるとより勉強するというか(笑)。

参加者J:私の家ははっきりと女の子だからというのはなかったですが、勉強するのは当たり前というか。今、妹が受験期なのですが、親が結構悩んでいて。私は勉強することに疑問を持たなかったんですけど、妹は「勉強する意味がわからない」「やる気がわかない」と言ってて。

私は、勉強したら将来絶対役に立つのにどうしてやらないんだろうと思うんですが、親の当たり前が自分の当たり前として刷り込まれて内面化されている部分って絶対あるなと妹のことで思いました。

ジェンダーの話を学んで知識がつき、見え方も変わったところもあります。ジェンダーの知識を知らない親から刷り込まれた“当たり前”をもって自分は生きているということは、性別や恋愛に関しても(親の言うことを)ちょっと疑ってもいいのかなと思いました。

パラソルでは、9月から新企画「ふらっと!しゃべり場」を始めます。ジェンダーや生きかたをトークテーマに進行する、誰でも参加できる交流会。詳細は、記事末尾をご覧ください!

参加者I:僕は特殊で、父親と母親の他にゴッドマザー(クリスチャンの伝統で両親に何かあった時の後見人)がいます。その人がレズビアンで、カリフォルニアで同性婚が認められたときに一緒にいたのですが、涙を流してめちゃくちゃ喜んでいました。家族という日常生活でセクシュアリティについて触れる機会があったと思います。また、母親がリベラルで、うちの家事分担の比率は僕が8割で2割が父親という感じでした。母親が、「性別役割分業を声を出して変えていく必要がある。そのためにはまず、身近から変えていかないといけない」という考えだったので、僕に家事をやらせたと本人は豪語していますが、多分めんどくさかっただけだと思います。

――それで言うとお母さんはゼロ?

参加者I:ほぼゼロですね。なんなら家にいないですね。母は自由人で。

――そのことに関して、不満はありましたか?

参加者I:小さい頃は、「俺なんでこんな家事やらされるんだ?」と思ったことありましたよ。いろいろ悩んで「これは必要だ」と理解したので今は苦もなくやっていますけど(笑)、昔は疑問に感じていました。

最後に

――今回、さまざまなテーマで話していると、固定観念や刷り込みがたくさんあるんだなと感じました。親からだったり、男だから、女だからもあるし、恋バナしなければならない圧とか。お互いの違いを理解して否定せずに尊重できるといいなと感じました。

参加者C:今日扱ったトピックは、個人の価値観によって出てくる内容とか結論が変わってくるものだと実感しました。正解のない問いだからこそ、認識の違いを共有するのは大事だなと思いました。

参加者J:やっぱり生活の中に「生きにくさ」ってあるなあと自分の人生を振り返っても、皆さんの話を聞いても感じました。カーストの一番上にいる人たちが一番いい思いをしているのだとしたら、その人たちの発言って強かったりして。仕組みを変えるのは難しいと思いつつ、身の回りから変えていくのは一つの解決策につながると思いました。

参加者F:恋バナやスクールカーストに関して、お互いに共感し合えて自分の意見をどんどん出していけるのって、自分をマジョリティだと確信している人たちなんだと感じて。だからこそ、お互い腹を割って話す場が広がっていけば良いなとすごく思っています。

参加者I:あらためて「学校は社会の縮図なんだ」と実感して。学校という場所でさえ決められた画一化された価値観で人を判断して階層別に人を分けることが行われてきて、それがそのまま社会でも行われているんだなと。もう少し多様な価値観で、人を判断できる社会になるといいなと思いました。

パラソルは、2022年9月から新企画「ふらっと!しゃべり場」を始めます。ジェンダーや生きかたをトークテーマに進行する、誰でも参加できる交流会です。第1回は9月3日(土)16:00~18:00。トークテーマは、「ジェンダーギャップ指数116位の日本について、どう思う?」となっています。詳細や参加方法、問い合わせについては、こちらのページをご覧ください!

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