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別れ


父が他界しました



このブログは自分のために綴っています
死に関した内容です 
読むのがつらいと感じる方も
いらっしゃると思います
読む読まないは、ご自由にどうぞ🌼


79歳の時に急性骨髄性白血病と診断され
治療をしなければ
あと数週間の命と告げられた
主人の父


高齢にもかかわらず
つらい抗がん剤治療を何度も受け
前向きに治療と向き合っていた


今年に入り1月12日
骨髄中の癌細胞が減っていない
高齢で体力の限界も含め
もう治療方がないと…
余命数ヶ月でしょうと余命宣告を受ける

1月15日に背中の痛み、
息苦しさに耐えかねて
自宅に救急車を呼び、そのまま緊急入院
白血病からきた
心不全を起こしている状態


17日朝、お父さんがもう痛みの限界だ
子供たちを集めて欲しいと。

旦那は急いで会社から
戻ってきたが
病院から面会の許可がおりていないため
お母さんも誰も会うことができない



18日夕方
やっと医者から面会の許可がでて
個室に移動
面会することができた

この日は旦那の誕生日

18日から通常の痛み止めでは
痛みを止めることができないため
本人の希望によりモルヒネ投薬をはじめた

18日は旦那は仕事で
私だけ娘を母に預け、会うことができた


ずっと痛かった痛みから開放され
少し落ち着いた様子で
話もちゃんとできた
少しほっとした


1月19日
旦那が休みを取れたため
2人で午後から面会へ

お父さんから直接
誕生日おめでとうって言ってもらえた
旦那と私と2人
遺言も含めた
かなしく涙してしまう部分もあったけど
1時間近く笑顔を交え
色んな話をすることができた


それから約1ヶ月
痛みから少し開放されたことにより
食事も少ないながらも摂ることができ
お父さんの頑張りで
お別れまでの時間を
残してくれたことに感謝


京都から毎週末お姉さんは
帰ってきてお父さんと過ごせ

私達も何度も会いに行くことができた
亡くなる1週間前に会った時には
しゃべることも困難になっていたが
笑顔をみることができた


2月10日、12日には
特別に病室には2人までという
人数制限がとかれ
家族5人で過ごせたと。

少し心残りがあるとすれば
成人しか面会許可がおりなかったため
孫たちが会うことができなかったこと。

でもお正月に全員揃って
会うことはできていたのでよかったのかな。


2月14日
お母さんから前日と朝の状況の
連絡があり

お昼ごはんを食べてから
面会に行く予定にしていたけど…


家にいても心臓がバクバクして
お腹も空かないし
何も手につかないし
とりあえず急いで病院へ向かった

異常に高い心拍数と低血圧
熱も40℃あり
いつ急変してもおかしくない状況

お昼すぎに看護師さんがきて
会わせたい人がいるなら
なるべく早くと… っと言われた

旦那は仕事終わりに会いに行くと
言っていたため
連絡するがつながらない 


夜ではなく会いたいのなら早くきて、と
LINEに残す

娘は放課後クラブに行っていたため
16時半頃までは病院にいられると
思っていたら

雨が降り出し
クラブは中止と連絡が入る

15時半頃、
あわてて家に帰ることになり
お父さんにまた来ますねっと
伝えて帰宅


帰宅後1時間もしないうちに

お姉さんから急変中っと連絡が入る

また旦那に連絡するが
連絡がつかない


お母さんとお姉さんで
お父さんの最期を看取ることになった

痛みや苦しむ様子もなく
安らかに眠るように息を引き取ったと
80歳でした


妻と娘に看取られ 

お母さんもお姉さんも
私がいるとちょっと気を使ったかも
しれなかったから
これでよかったんだ


亡くなったと連絡が入ったが
テレビを楽しく観ている娘に
どう伝えよう…?


なんかすぐすぐ、に言えなくて
ちょっとしてから伝えた

娘は会えなかったって
大泣きするもんだから私も…

そうだよね
明日お父さんに会いに行こうね
いっぱいお話してあげようねって話した


お兄さんもかけつけたけど
間に合わなかった


その後旦那とお姉さんで
霊安室から葬儀場に向かうため
車に乗せられたお父さんを見送る


車のドアが閉まり
発車した時に
お姉さんと一緒に泣き崩れ
涙が止まらなかった… と

お姉さんから
あの時、旦那が先に泣き出し
こっちもつられて
めっちゃ泣いたんよ〜って。


旦那からは
自分が先に泣いたけど
姉ちゃんが
めちゃめちゃ泣くけん
2人で号泣したよって。

後で2人から聞いた

聞いた時にはお互いが
泣いている姿を思い出して笑っていた

旦那は一旦会社に戻り
帰宅後、夜ご飯を食べて斎場へ

『家族5人』

で集まる形になり
かなしみの中
思い出をみんなで語り合い深夜に帰宅

2月14日のことでした

🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼



2月15日  

娘を学校に送りだし
旦那と2人で斎場に向かう

通夜は16日 金曜日
葬儀は17日 土曜日に行うことに

15日に通夜をするのかと
思っていたけど



『たくさんの人に見送られたい』っという
お父さんの強い希望


金、土にしたみたい


通夜葬儀について
細かいことをあれやこれや
みんなで決めていく

全部決まり
葬儀後の食事会場を近くで探そうっと
すぐそばのホテルにある
お店のランチを食べに行くことに

KKRホテル
私注文 魚、海老、ホタテの3種揚げ
旦那注文のステーキ
デザート類は少なめ



OPENして間もないお店で
内装も素敵で
メインを選び
他は食べ放題のブュッフェスタイル


夜の営業は完全予約制で
17日は貸し切りになっており
予約できなかった

あまり時間はなくゆっくり〜は
できなかったものの
一時の休息になった



夕方から
湯灌納棺の儀があるため

一度、家に戻り
学校から帰宅した娘を連れて
また斎場へ。

ずっとお風呂に入りたがっていた
っというお父さんに
みんなで逆さ水をかけて
『湯灌』を行い

プロの方が
洗髪やひげ剃りもしてくださり
気持ちよさそうで
綺麗にスッキリしたね

その後は生前着ていた服に着替え
化粧をしてもらい

みんなでお父さんを運び
棺に入れた
『納棺』


神奈川や熊本から親戚がかけつけ
ホールの一部に
写真などを飾ることにして
みんなで思い出話しをしながら
飾りつけをした


亡くなったら次の日に
通夜をすることが多いけれど
1日おくと
家族の気持ちも落ち着き
身内だけでゆっくりお別れする時間があり
とてもよかった

🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼


2月16日 18時通夜


お父さんの希望で
100人の会場で行うことに


16日は旦那は午前中から斎場へ

私は家のことをしたり
喪服などの準備


着替えのために帰宅した旦那と
学校から帰ってきた娘と
3人で斎場へ向かう


私の父と母も通夜に来てくれた 

会場に入りきれないほど
たくさんの方に来ていただけた

天気も回復して雨が降らなくてよかった

通夜後、親族は別室で食事


母と兄妹3人は
通夜後もぞくぞくと来てくださる方々に
ご挨拶をするため
なかなか食事することができなかった


私達は娘がいるため22時すぎに 
斎場をあとにしたが、
23時頃まで弔問客があり
かなり大変だったと思う

🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼



2月17日 11時 告別式

朝9時から
『お斎』
お父さんと一緒に食べる
最後の食事となった  

晴れてとてもよい天気

葬儀は1時間予定だったが
参列者が多く
初七日のお経も含めたため2時間になった


出棺前
棺に花を添え
みんなからの手紙や好きな食べ物も添えた

最後に
お父さんが大好きだったビールを
みんなで少しずつ注いであげた


たくさんの方々に見送られ 出棺

親族は火葬場へ移動

火葬場で最後の
お別れをしていたら

お父さんの唇が
血色よく赤くなっているではありませんか!

大好きなビールを
美味しく飲めたのかな?っと
みんなで話しながらお別れ


火葬中、
時間も1時間以上おしていたため
みんなお腹も減り
初七日もかねて食事

可愛いお子様ランチ
刺し身、吸い物、茶碗蒸し、飯もの


食後、集合写真を撮り

お骨拾いをみんなで行ない
骨壺にしっかりと納めた


火葬も無事終わり
また斎場へと戻る

帰りのマイクロバスの中で
揺れが心地よかったのか
娘は寝てしまった

大きな荷物となった娘を抱え
荷物を置いてる控え室に移動

飾っていた写真などを片付け
遠方から来ていた
親族に挨拶をして
17時頃 一段落

さすがにみんなどっと疲れた表情

お昼が遅くなったため
お腹は空いていなかったけど
斎場すぐそばのお店を
予約していたため7人で向かった


『しんじゅ亭』

お母さんもお姉さんも
お腹空いていないと…

でも子供たちやお兄さんは
よく食べた


メニューも豊富で美味しかった
よいお店を見つけれた
またみんなで食べに行こう


葬儀で沢山いただいた
お花をスタッフの方が
花束にしてくださっていた

葬儀にもきてくれた
私の親とうちの分をもらい帰宅


家に飾り
亡くなった14日からの
長い3日間が終わった

🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼



次の日 2月18日

お昼すぎから旦那の実家へ

小さな仏壇を置いている部屋を
お参りに人が来れるように
片付けようと集まった


その時に兄妹3人も揃っていたため
遺言書を開封
みんなで確認もした


夕方にはお姉さんは京都へ
帰るため新幹線に乗らないといけないので
それまでに片付け


お父さんのお骨や写真などを
キレイに並べ
お参りもできるように整えた!


お母さんから
キレイになった部屋に
お花を沢山飾れたよ
ありがとうって連絡がきた


この1ヶ月
お母さんは毎日朝から晩まで病院で
最後の2日間は病院に泊まり込み

そして亡くなってからは
斎場に3日間泊まり込みになり
自宅で休むのも
久しぶりな状態


かなり疲れがたまっているだろうし
一人でゆっくりする時間も
必要だろう…


一人になったお母さんが
心配ではあるから
みんなで支えていかなきゃね



葬儀、その次の日の片付けと
怒涛の日々になったが

きっとお父さんが
喜んでいるねっと言いながら、
お線香をあげた



お父さんありがとうございました



長々と自分のために綴りました


優しいnoteの方々
お声をかけくださるのかも…っと
思いますが…


今は返信する
気持ちに余裕はないため
勝手ではありますが
お気持ちだけいただいておきます♡

父のことでご心配をおかけしましたが
最後までお読みいただき
ありがとうございました


またいつものブログで
戻ってきまーす🤗




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