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「別居」「離婚」を望む妻と私

離婚を望む理由

妻の育児ストレスと私の多忙な仕事

 当時の私は、仕事で2008年北京五輪のサポートをしていましたから非常に多忙で、その中で妻に

「離婚か、別居を考えている」

と言われたので非常に記憶に残っています。

「離婚の原因、主たる動機は何か?」

 私は不思議に思いました。彼女の離婚動機は説明に非常に苦しいもので、
「育児ストレス」
と言っていました。
 もともと結婚当初は東京都北区に住み、共働きでした。その当時はまだそれほど厳しい残業が連日続くという事は多くはなく、遅くなっても帰宅は20~21時くらい、早ければ18~19時の間には帰宅をして夕飯の準備をしたり、子らをお風呂に入れたりすることができていました。
 しかし、私の仕事が日々忙しくなる事を承知で私の通勤事情を悪くするような引っ越し(片道30分程度から片道2時間程度)を望んだのは妻ですし、当時、平日は私が家に帰って家事育児が十分にはできなくなることは想定できたので、その懸念も妻には伝えていました。それでも引っ越したいと言ったのは彼女で、私にはたくさん心配事があったけど、家の事については、仕事と通勤で家にあまり居れない私より、家にいる時間が長い妻の要望を優先して引っ越したはずでした。
 外で稼いでくる私と家で育児家事をする妻という役割分担でした。私は彼女に仕事に出る自由も専業主婦になる自由も持たせてあげたいと思いましたし、それもまた当時の妻の願いでもありました。私は妻の要望を全部叶えていたのに離婚…?
 しかも、離婚して、シングルマザーになれば、一般的には子育てのパートナーを失うわけですから育児のストレスは増える事はあっても減る事はなさそうです。
 全く持って整合性の取れない話でしたが、当時の私は

妻を論破する、妻と口論することよりも夫婦仲を改善すること

を目指しました。
 長男は当時小学校6年生くらいでしたし、次男はまだまだ幼稚園。長男に二度も両親の離婚を経験させたくありませんでしたし、幼い次男には両親が必要だと考えたからです。離婚を避けるために妻の不満解消や要望を聞くことにしました。職場にもお願いして仕事の量を減らして貰ったりしました(法人の中核となるような仕事から外して貰いました)。
事情を相談した同僚(女性上司)からは呆れられました。きっと私の上司には、同じ女性として妻の裏の顔が想像できていたのでしょう。
「そう決めたのなら仕方ないけど…あなたやお子さんがそれで本当に幸せになれるといいね」
と何か含みのある言葉を残していました。

5人家族へ

 さらに妻の願いは

「3人目の子どもが欲しい」

でした。「育児ストレス」が大きいから職場にも協力して貰って仕事を減らしたりして、家庭内の育児負担バランスの改善をしていたのに3人目??という疑問があったのですが、

応じて貰えないなら離婚してでも新たに相手を探す」

とまで言うものですから断る事はできませんでした。彼女はどうしても女の子が欲しかったそうですが、生まれてくるのが男児だろうが女児だろうがこれが最後と約束して3人目の子作りに協力することにしました。産み分けにも協力しました。男女の産み分けについて迷信めいたものを実践してみたり、健康保険外の男女産み分け指導をしてくれる医師のところに相談に行ったりもしました。
 それでも生まれてきたのは男児、三男でした。どうしても女の子が欲しかった妻は三男が3歳くらいになるまで女装して育てていました。彼はとても整った小顔で、サラサラの髪に華奢な体形でしたから誰もがまさか男の子が女装しているとは思わなかったでしょう。彼は妻の望み通り女の子に生まれる事はできませんでしたが、幼いうちに母の願いを叶えた親孝行な子でした。

引っ越しとマンションの購入

 妻のもう一つの願いは、当時住んでいた賃貸マンションのご近所さんに嫌気がさしていたので、引っ越す事でした。これまでは4人暮らしを想定していた3LDKの家でしたから、たしかに5人でも問題なく暮らせる広い家に引っ越せれば快適になる事は間違いない話でした。
 
 ここで妻の育児負担を減らすためには、私の通勤時間を短縮できるような私の職場近くに引っ越すと言うのもひとつの手段でした。事実、私の職場の仲間の多くは結婚後に共働きをしながら職場の近くに引っ越していたものでした。そうしないと大変なくらいどこの部署でも残業が多くなっていたのです。
 しかし、そうなると、今までは、私の一馬力の稼ぎでそれなりに不自由のない暮らしをできていましたが、これからはそうはいきません。更に広い家で地価の高い地域に引っ越すという事になると、家賃などは確実に上がることでしょう。家賃以外の生活の質を落とすか、妻も以前のように共働きをして家計に協力をしてもらう必要がでてきます。
 つまり、もし生活の質を落としたくなければ彼女から「専業主婦」でいてもいい自由が無くなる事になるのです。

 妻からその案は却下されてしまいました。妻の考える引っ越しの条件は「子が転校しないで済む範囲」だけでした。
「通勤が大変だからってさ、親が楽をしたいから子どもを転校させるってのはどうも…。」
というのが彼女の意見でした。それならば仕方ありません、私も子どもが転校を嫌がるだろうと言う気持ちは分かります。
 そこで彼女の望む物件への引っ越しを決めました。私はそのためにわざわざ駅から遠くなる場所にマンションを購入し、引っ越しをすることになります。

 朝はせめて妻も早起きして朝食の用意をしてくれるのというのが家を買うときの約束だったのですが、さすがに早起きはきついですよね。
 1か月くらいしか約束は守られませんでした。彼女はいつだって約束して自分の願いが叶えば、自分の義務は放棄する人でした。そんな傾向がこの頃から顕著になってきたように思います。私は自分で朝食の用意をして片付けてから出掛けるために更に早起きをしなくてはならないようになりますが、仕事のストレスなどからでしょうか、過敏性腸症候群を発症するようになってしまいます。特に食事の後に下痢になりやすく、通勤電車の途中下車が頻繁になってしまった事から自宅での朝食を諦めるようになりました。その方が妻からも後ろめたい思いが無くなる事でしょう。
 家族が5人になったことで当時まだ現役で乗る事ができていた4人乗りの車も処分して、7人乗りの車に乗り換えました。
 こうして妻の願いを叶え、もう二度と「離婚」「別居」などは考えないというのが2人で交わした約束でした…。もっとも口約束でしたけれど

 仕事が忙しい事、通勤時間が長い(片道2時間)、家で子どもと過す時間が少ない事が当時の大きなストレスでした。懲役刑の刑期中の囚人でも当時の私よりもよほど自由時間が多く与えられるそうです。平成の中期に正社員として過ごした経験のある人には共感いただけるのではないでしょうか。多くの企業、法人が人員整理を進める中で残された職員に負担を強いていました。
 でも一家の収入を支える大黒柱である以上、うかつに辞めるわけにも先の見えない博打のような転職をするわけにもいきません。仕事を続けながら自分の小遣いの範囲でできる資産運用などを模索したりもしていました。今でいうFIREを目指していたわけです。
そして、せめて週末はこどもたちとの時間をとるようにして、運動会や授業参観などは皆勤賞で出席をしていました。家族を連れてのキャンプや旅行などにもたくさん出掛けました。
 当然、婚外恋愛なども私はしていませんでした。若い頃は実はそんな誘いもわずかながらありましたが、妻を裏切るつもりにはなれなかったです。

再度の離婚、別居の要望

 そんな中、2012~2013年頃でしょうか、再度妻から「離婚」「別居」という言葉が出るようになりました。前回よりも彼女の姿勢は強硬でした。
私は全く府に落ちませんでした。

「何故??」

 もう二度と家庭を壊すような事をせず、お互いに大切に尊重していこうねと約束したはずなのに。
彼女の要望は全て叶えたはずなのに。
彼女は約束をしても、それが口約束程度ならしても守らないのだという事をここで思い知ります。約束したもののうち、自分の利益を取り終えたら
「気が変わった」
と言ってほかは全てチャラにされてしまう。彼女と約束した夫婦円満に向けて協力するという誓いはどうなってしまったのでしょうか。


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