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経験からの概念化とは、仕事の結果に由来する「収穫」のこと

 いつだったか、クライアントとのミーティングか何かで、こんな問いかけをもらった。「何を楽しみとしているのか?」
 
日々にどんな楽しみを見出しているのか。こういう問いかけが出てきた状況が一体どんなだったのか、思い出したいところだが思い出せない。この数年は、ライフイズ仕事、仕事イズライフの日々のため、この手の問いを頂いても「仕事」としか答えようがない。なんとありきたりな回答だろう。

 ただし、「単なるワーカーホリックでした」という以上にポジティブな理由がきちんと存在している。何を楽しみとしているか? 自分が立てたモデルがどれだけ有用かを確認すること、また、より有用となるように磨いていくこと、ここに楽しみを見出している。

 モデルとは? 自分の知見で作った小さな理論、プラクティスのことだ。定期的に「ものわかり」と称する経験の概念化を行っている。これは趣味に近い(趣味があった!)。

 具体的には自分の経験を棚卸して、「この経験、体験から何が言えるのか?」を手がかりに、「言えること」を言語化し、さらに再現可能なように方法として整理しておく。
 大きな発見がいきなりあるわけではない。むしろ、小さな気づきを得て、この気付きがより有用になるにはどういう条件を整えて、何があれば、果実にありつけるのかを見立てる。ゆえに仮説から始まり、実践で鍛えていく。
 こういう活動を定期的に行っている。意識的に行わなければ、まとまったモデルはなかなかに得られない。そう、経験からの概念化とは、仕事の結果に由来する「収穫」のようなイメージだ。経験を刈り取りしないのは実に勿体ないことだ。

 ということで、本稿を終えようと思っていたのだが、もうひとつ加えることがあった。何を楽しみにしているのか?

 現場や組織において、それまでには無かった状況を生み出せた瞬間。その瞬間をクライアントのチームや現場、関係者と分かち合うとき。
 例えば、はじめての仮説検証で思いがけない発見があって。その発見から自分たちがやっていることに自信を得て、チームや組織が次に向かっての気勢をあげる、そのとき。自分がそこに居れるとき、小さな幸せを感じる。
 みんなが結果を出せるために、こちらとしてもモデルを磨いてきたんだ。その観点で遂げられる本望もある。ただそれ以上の感慨が湧き上がる。

 ポジティブな変化を引き寄せたことへの「安堵」にも似たような思い。慣れない仕事を頑張ってやって良かったよね、と。チーム、現場がどれほどの集中を注ぎ込んできたが、誰よりも分かっている。
 そこに着飾った言葉は要らない。頑張ってやって、結果が出た。それで何よりじゃないか。そういう時間に、なんと言ったって余所者の自分が立ち会わせてもらえることに感謝の念すら覚える。
 みんなは私に感謝をしてくれるが、なんのことはない、みんなとの場と時間が無ければ、どうしたって辿り着けない瞬間なのだから。感謝するのはこちらのほうなんだ。

 先日も、そんな局面に遭遇して、ひっそりと涙が浮かびましたよ。オンラインだったからね、インターネットの向こう側でまさかおっさんが一人涙を浮かべていたなんて、誰も知る由は無い。こうして人は本当に歳を取っていくのさ。


 (本稿をDevLOVEアドベントカレンダーの1日目に捧げます)

#アドベントカレンダー

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