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1964

これは「小説」だ。
初版は2016年の2月。
作者が会社を辞めて、最初の小説を出版する1974年まで。1960年かから1973年までを年毎にいくつかの短編で綴り、それをオムニバスにまとめたものだ。
主人公は「僕」。実際に内容は「自伝的」ともいえるものだ。

1964年の一作に、こんなことが記されている。

(1964年といえば東京五輪2020の前の東京五輪が開催された年だ)

雑誌のライターだった「僕」が、喫茶店で原稿を書く。200字詰め原稿用紙に鉛筆で書く。で、芯が太くなってしまった鉛筆をナイフで削ろうとする。

「削れていく鉛筆の小さな木屑を、僕はフロアに落とした」

すると、美人のウエイトレスさんが、右手でガラスの灰皿を差し出して「これに削ってください」と。

それに「僕」は「なぜですか」と返す。

「削り屑がフロアに落ちるじゃありませんか」
「みなさんのお店ですから、気をつけてください」 と。

ウエイトレスさんのおっしゃるとおりだと思った。

でも、1964年(少なくとも、当時の記憶としては)には、削れていく鉛筆の小さな木屑を、フロアに落とせたんだなぁと思う。

1959年から、東京都は、東京オリンピックに向けて、大々的に「首都美化運動」を展開していた。それまでは家庭ゴミが近くの運河に投げ捨てられる状況だし、歓楽街でなくても、路地裏での立ち小便も日常だったという。それを都民総出のキャンペーンで「実際の改善」に向けようとした。並行して、近代下水道の整備も本格化させた。

だから「僕」と「若いウエイトレス」さんの関係は「使用前/使用後」の関係。

で。1961年生まれの僕は「使用後」しか知らない。

子どもの頃(否、もっと後になってもそうだったかな)、まだ多摩川には中性洗剤の生活排水が原因とされる泡が浮いていた。東横線の車窓も確認できた。
大川(隅田川)も臭かった。

でも、お母さんたちがチリトリのゴミを「そのまま川へ」って感じはなかったなあ。

この国は、確かに空間的には清潔なったんだろうな。インバウンドなお客さんからも褒められるくらい。

でも、より豊かになったかどうかは疑問だな。特に、人の「心」がね。

…確実に寂しくはなったかな。
自由からも遠くなったような気がする。

僕らはホントに改心したんじゃなくて、行政主導な「世間の空気」に、しぶしぶ従ってきただけなんだろう。
教育も「質的」ではなかったんだと思う。教育というより「世間の空気」をテコにして、僕らは「調教」された。少なくとも「しつけられた」だけなんんじゃないかな。

まだ戦時体制から20年と経過していない時代だし、GHQ(占領軍)の監視の目も緩くなってきたので、オリンピックを口実に、また「国民統制の時代を」って意図もあったのかもしれない。

国民側も慣れてたんだろうな。2023年から阪神・淡路大震災より、当時から「戦時体制」の方が時間的な距離は近いんだから。

リアルに「戦後」だったんだろう。

(1964年公開の映画「君も出世ができる」(フランキー堺/高島忠夫/雪村いずみ/東宝)なんて、アメリカ流対旧日本軍スタイルの戦いで、今度は日本が勝つみたいなイメージが暗喩されていたし)

いずれにしても、僕らは「いい人」になったんじゃないんだろう。よりキツく縛られただけなんだ。だから「世間」の相互監視な感じは、あのころから復権してきたんだろう。

そう捉えた方がスケッチとしては正確だなと思う。

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