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居心地よい時間を売る

本屋さん、古本屋さん。業態としては「小売り」な店舗だ。

でも、その本屋さん、古本屋さんが、たんに書籍、古書を販売しているのではなく、お店という空間の雰囲気や店主さんの佇まいなどを含めて、その店に流れる「時間」を売っているのだとしたら、そのお店が「モノを売る」ばかりの「小売り」だとは言えないと思っている。

(「名物マスター&ママさんのいる喫茶店」。実は珈琲の方がおまけで、そこに居る時間を楽しむために珈琲代を支払っている…みたいな)

今はまだ「そこに居る時間を楽しむ」を収入につなげるための料金形態や料金体系が整備されているわけでもないし、慣習化しているわけでもない。でも、すでに入場料を設定している書店はあるし、「過ごす時間」へのニーズは顕在化しているのだと思う。

Amazonだけでは無理という人。

だから、もうすぐ「居心地の提供」で食っている本屋さんや古本屋さんだって顕在化していくんだろうと思っている。

Amazonが普及したからこそ「THE買い物」の空さもわかりやすくなった。
通販で何が得られて、何が得られないのか。

いつだったか、ある文筆家の方が、独居しつつ、お亡くなりになったお母様の遺品を整理していたら、未使用の下着がたくさん出てきて、そうした下着が「近所の旧い婦人服屋さんで時間を過ごすための入場料」だったんだなということを悟ったという話をしておられた。
これも、業態としては「小売り」だが、実際に有料で提供していたのは「そこで過ごす時間」だったということなんだろう。本屋、古本屋さんだけでなく、一見「小売」だが、質的には新しい業態として、こんな感じのお店の存在が、そのうち広く認知されるようになっていくんだと思っている。

人的な魅力、個性によって成り立つ店舗は、組織という匿名性の高い集団での供給は不可能だ。故に時間を質的に楽しみたい人はショッピング・モールを離れていくはず。

「居心地のよい時間」を売れるのは「街かどの個人店」でしかない。
「商店街」という規模で復活していくかどうかは不透明だけど、「個人店」が全滅することはないと思うな。

だって、大都市こそ「孤独」だらけになるんだし。

数は限られていても、個人店、逆に隆盛になっていくんだと。

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