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読書と

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最近の読書。あらためて、また読んでみた読書。思い出した読書。
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「読破」って本の読み方、この国の学校教育に蔓延している「入学」じゃなくて「入隊」な系譜にあるもののように思う。読書は「課題の処理」で行うものではない。「読破」は間違っているともいえるかな。量的にこなすものでもないし。

小さくとも商い、ビジネスな「本屋」さんと、自分の趣味を出発点に公益的な事業である「本屋」さんとでは、目標も違うのだろし、「これが成功」という結果も異質なものになるだろうと思う。必ずしも「規模」に拠るものではない。「志向」の問題だ。

小説に一服の清涼を求めるのでなく、何かを勉強しようと「本」を開くなら、「自分なり」に読むんじゃダメだ。著者が「その本」に記したことを正確に理解しなければならない。やっぱり勉強を我田引水に進めたら、たいへんなことになる。自らをして自らを、灰色の五里霧中に追い込むことになる。

再び三度、本屋さんについて

うちのオフクロの実家には「本」が無かった。子どもの頃には高校生だった叔母の部屋にも「本」はなかった。 ビートルズのドーナツ盤はあったけれど。 実家があるご町内にも、商店街なのに「本屋」さんは無かった。薬屋さんの店先に雑誌がささったラックがひと竿あるだけだった。 オフクロの家系には、親戚の家にも「本」は無かった。「勉強」は学校の成績を上げる方便で、教科書や参考書も、短期間、暗記すべき対象に過ぎなかった。 今もオフクロの近くに「本」はない。図書館にも行かない。 さて。

抱きしめる東京

この本は東京オリンピックに至る時代の東京。1970年前後の東京、そしてバブルの絶頂期の東京を、森さんの「育った町」の「私生活」を通じて活写されたもの(「抱きしめる、東京」という題名に、森さんは少し照れていらっしゃるけれど)。 僕より7歳ほど歳上の森さんは、ちょうどバブルの絶頂期に30歳代も半ばを過ぎたあたりの年齢だったと思いう。平成以降に生まれた後輩たちには「オイシイ思いをした世代」と思われているかもしれないけれど、この本のなかに以下のような一節がある。 あの頃の僕につい

少女がいない

この本が実際にベストセラーとなった頃には、たかがタレント本と見向きもしなかった記憶がある。山口百恵さんの自伝本。1980年9月の初版。文庫化されてからでさえ、もう40年近くたっている本だ。僕が、この本を読んだのもしばらくたってからのことだ。 不可思議な読後感がある本だ。 たぶん編集を担当された方が手を入れていらっしゃるんだとは思。でも、この本、いわゆるゴースト・ライターの手に拠るものだとは思えない。妙に細部がリアルだ。だからといって、ホントにこれ、20歳そこそこの女の子が

じゃあインドなんか来なけりゃいい

森まゆみさんの著作「用事のない旅」(産業編集センター・わたしの旅ブックス/2019年)からの一節。森さんのインド旅行からの雑感が綴られたところから。 この手のじれったさの経験、外国での経験ではないけれど、僕にも何度かある。学生さんを相手にしたワークショップとか。僕の場合、女子も男子もなかったけれど。 知らないことも多すぎる。社会学の専攻で「アイドル論」で卒論を書くといっていた学生が、小泉今日子さんが80年代はアイドルだったことを知らなかったり。ヨコハマの馬車道の「ガス灯」

津波てんでんこ

僕はジョン・ダワー博士のように、この国の戦前と戦後を地続きのものだと考えている。 1920年代に現れた岸信介氏を中心とする、いわゆる革新官僚といわれた勢力が絵を描いた「統制経済」つまり戦時体制は、岸信介氏がA級戦犯から生還したことに象徴されるように、今度は合衆国という後ろ盾を得て、表向きにのイメージとしては「刷新された戦後」を描きながら、その実、変わらぬ「行政主導」の「統制経済」な体制を維持して、波風はあったにせよ、勢力を維持して、岸氏の孫であるところの安倍晋三氏まで、この

ご一読をお勧めします

かつての喫茶店時間

再び 永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)からに引用。 線路ぎわはそんな常連客にとっては都合のいい場所で、いつも顔見知りが誰かしらいるので時間も潰せたし、みんなでああだこうだと様々な夢を語ることもできた。みんな湘南育ちだから、そのイメージや結束力は固く、湘南から何かを発信していきたいという願望がいつも気持ちの中にあった。それはたいてい海に関連していて、砂浜のゴミをみんなで拾い集めるようなイベントを開催しようとか、ドラム缶にメッセ

義務

種村 弘さんの著作「もうおうちへかえりましょう」に出てくる一節。 この世に生まれてきただけで自分には人間としての権利があるとか、 お互いに話せばわかるとか、いわゆる戦後民主主義的な理念に 私たちは首まで浸かっていた。 この本が最初に出版されたのが2004年4月。 文庫本化されたのも2010年の8月(小学館文庫)。 つまり、もう、ずいぶん前の「本」ないんだけれど、僕がこの「本」に出会ったのは最近のこと。知らなかった。 特にこの世に生まれてきただけでの部分。「ああ、そうだな

あの頃の自由が丘

永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)には、1970年代中頃、「ロック喫茶」といわれていたお店を中心に、永井さんの「喫茶店時間」が綴られている。学生時代から雑誌記者として就職した頃の話が中心だ。 「ロック喫茶」とはいっても、この本に登場するのは「デス・メタル」な感じの店ではない、もっとやわらかい「ウエストコースト・ロック」や、人によっては「フォークソング」にカウントしそうな「シンガー&ソングライター」の楽曲が流れる、つまり「陽の光

新自由主義者

タテノカズヒロさんの著作「コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし【マンガ】」(中公新書ラクレ)。その例示マンガの中に彼女に靴をプレゼントしたいのだが、彼女の靴のサイズがわからずに思案する彼氏が登場するものがある。 彼は、彼女の身長については154cmと知っていたので、身長170cm、靴の大きさ26cmの女性の友だちがいたことから26cm×(170cm分の154cm)の式で彼女の靴のサイズを割り出そうとする。 でも、この公式は「身長が170cmの女の子の靴

そんなもんなんだ

川本三郎さんの著作「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書/新潮社)に、こんな一節がある。序章が始まってすぐのところ。 しばらくあって… と。 うちのオヤジも「東京を壊したのは空襲じゃぁねえ、オリンピックだ」が持論だったけど(ここでいう「オリンピック」はもちろん1964年開催の東京オリンピック)、この国に継がれてきた生活文化を殺したのは、やっぱり「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」を「三種の神器」などと呼んだ、あの高度成長期だったんだと思っている。 僕は1961(昭和36)年の生まれ