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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多…

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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

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HIGH LINE(ハイライン)

ニューヨークに年間440万人を超える利用者・観光客を集める人気の観光スポット=ハイライン(HIGH LINE)がある。さすがにメトロポリタン美術館の610万人には及ばな…

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4年前
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聴き手/受け手

昔、街場には音楽評論家を気取った人がいて、彼らは確かに「データ」としてのジョン・コルトレーンに詳らかだったけど、肝心の「ジョン・コルトレーンの奏でた音楽」につい…

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4時間前
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束の間か 晴れ

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13時間前
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「縄文芸術」っていう人もいるけれど、「芸術」は明治になって入ってきた「訳語」だ。つまり「芸術」は欧米の文化由来。だから縄文人に芸術作品をつくった自覚はない、だからいいんだけど。

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15時間前
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2018年の6月1日 朝

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22時間前
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「本を読む」文化

オヤジの家は、すでにじいちゃんが、後に大学になる高等専門学校卒だったし、長女の叔母が高等女学校、次女の叔母が上野の音楽学校、叔父貴も、戦後は大学になる高等工業専…

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1日前
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彼の季節へ

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2日前
7

投資目的で作品を買う。邪な考え方だ。

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2日前
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きょうは晴れ

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3日前
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神戸/ヨコハマ

今にして思えば、すでにあの頃からヨコハマは港町に乏しくて 1970年代末から80年代のはじめ 僕はしばしば「神戸」を訪れていた。 神戸には街かどの「発信源」が豊富…

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4日前
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小さくとも商い、ビジネスな「本屋」さんと、身分の趣味を出発点に公益的な事業である「本屋」さんとでは、目標も違うのだろし、「これが成功」という結果も異質なものになるだろうと思う。必ずしも「規模」に拠るものではない。「志向」の問題だ。

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5日前
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ある日

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6日前
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小説に一服の清涼を求めるのでなく、何かを勉強しようと「本」を開くなら、「自分なり」に読むんじゃダメだ。著者が「その本」に記したことを正確に理解しなければならない。やっぱり勉強を我田引水に進めたら、たいへんなことになる。自らをして自らを、灰色の五里霧中に追い込むことになる。

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6日前
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週に一回、ジムに行ってたっぷり汗を流す、あとはデスクワーク。これって、心臓に負荷をかけるだけで返って健康には悪いらしい。ロンドンで行われた調査でもパブのフロアで働くスタッフさんが、もっとも健康だった。これって、たまにイベントをやる商店街に似ている。やっぱり「日頃の行い」なんだね。

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6日前
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一瞬だけ陽射しがあって風はなく

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6日前
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角川映画

若い世代の方は、あの頃の「角川映画」の勢い…たぶん想像がつかないと思う。「セーラー服と機関銃」=薬師丸ひろ子さん(1981年)。「蒲田行進曲」=風間杜夫さん、平…

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6日前
6
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HIGH LINE(ハイライン)

ニューヨークに年間440万人を超える利用者・観光客を集める人気の観光スポット=ハイライン(HIGH LINE)がある。さすがにメトロポリタン美術館の610万人には及ばないが、自由の女神は315万人。近代美術館(MOMA)の250万人を上回る人々を集める…それがハイラインだ。 ハイラインは、ニューヨーク市の鉄道ウェストサイド線の支線のうち、マンハッタン34丁目以南の高架貨物線のこと。1980年に最後の列車が走ってからは放置され、治安面からも90年代の後半には解体が決定、スポー

聴き手/受け手

昔、街場には音楽評論家を気取った人がいて、彼らは確かに「データ」としてのジョン・コルトレーンに詳らかだったけど、肝心の「ジョン・コルトレーンの奏でた音楽」については主観的な感想に終始し、それ故に、よく、お互いにあさっての方向で「激論」を闘わせていた。 だいたいジャズが好きという割には、雑誌が紹介したメジャーな演奏家のことしか知らず、彼らは、ジョン・コルトレーンをジャズ全体の中で位置付けられるほどジャズを聴いたという経験は持っていなかった。 当時はレコードでさえ高価で、ニュ

束の間か 晴れ

「縄文芸術」っていう人もいるけれど、「芸術」は明治になって入ってきた「訳語」だ。つまり「芸術」は欧米の文化由来。だから縄文人に芸術作品をつくった自覚はない、だからいいんだけど。

2018年の6月1日 朝

「本を読む」文化

オヤジの家は、すでにじいちゃんが、後に大学になる高等専門学校卒だったし、長女の叔母が高等女学校、次女の叔母が上野の音楽学校、叔父貴も、戦後は大学になる高等工業専門学校だった。 だから家には「本」があった。「音楽」もあった。 (次女の叔母の連れ合いの叔父貴も芸大の先生だったから、美術書も豊富だった。アンディ・ウォーホール的な情報はなかったけれど) 親戚に歯医者の家系があって、僕が子どもの頃、彼らの家には、彼らのルーツとなる郷里から出てきて予備校生活を送る団塊に世代の若者が

彼の季節へ

投資目的で作品を買う。邪な考え方だ。

+2

きょうは晴れ

神戸/ヨコハマ

今にして思えば、すでにあの頃からヨコハマは港町に乏しくて 1970年代末から80年代のはじめ 僕はしばしば「神戸」を訪れていた。 神戸には街かどの「発信源」が豊富だった。 古本屋さん、レコード(当時)ショップや雑貨屋さん…など ライブハウスや、今っぽく言えば「クラブ」。 それぞれに個性的な店主がいて、彼らに会うのがご馳走だった。 ヨコハマにも、そういう店が無くはなかったが 神戸は、見事なまでに選択肢が豊富だった。 Barや喫茶店もそうだったし、街かどの食堂や、いまでいう「ま

小さくとも商い、ビジネスな「本屋」さんと、身分の趣味を出発点に公益的な事業である「本屋」さんとでは、目標も違うのだろし、「これが成功」という結果も異質なものになるだろうと思う。必ずしも「規模」に拠るものではない。「志向」の問題だ。

小説に一服の清涼を求めるのでなく、何かを勉強しようと「本」を開くなら、「自分なり」に読むんじゃダメだ。著者が「その本」に記したことを正確に理解しなければならない。やっぱり勉強を我田引水に進めたら、たいへんなことになる。自らをして自らを、灰色の五里霧中に追い込むことになる。

週に一回、ジムに行ってたっぷり汗を流す、あとはデスクワーク。これって、心臓に負荷をかけるだけで返って健康には悪いらしい。ロンドンで行われた調査でもパブのフロアで働くスタッフさんが、もっとも健康だった。これって、たまにイベントをやる商店街に似ている。やっぱり「日頃の行い」なんだね。

一瞬だけ陽射しがあって風はなく

角川映画

若い世代の方は、あの頃の「角川映画」の勢い…たぶん想像がつかないと思う。「セーラー服と機関銃」=薬師丸ひろ子さん(1981年)。「蒲田行進曲」=風間杜夫さん、平田満さん(1982年)… あの頃の大衆文化は「角川映画」以外の部分は全部、空白だったといっても過言ではないくらい。 とにかく、ものすごい情報量がマスメディアを席巻した。 テレビCMをバンバン流し、雑誌にパブリシティを展開し、原作本を本屋さんの店頭に平積みにしてメディア・ミックスな発信。すでに1977年には映画「人間