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良かれと思っても確認を怠るな

今日の写真はちぎりパンです。

良かれと思うのは、自分が良かれと納得する確認です。良かれと思わなくて体が行動に移す事はどうしてもしなければならない事です。

挨拶をする。手を洗う。マスクをする。スマフォを忘れない。いつもしないのに家事を手伝う。掃除をする。雑草を抜く。良かれと思ってするのでは無いのです。

喜ぶだろうとプレゼントを買う。花を買う。料理の材料を買う。
良かれと思って余計な事をする時があるのです。相手の気持ちを確認しないでサプライズをするのは喜ぶのでは無く驚かせることになるのです。

サプライズをして喜ぶのか確認してからサプライズをしましょう。
驚かないサプライズはサプライズでは無いと思うのは驚かされる事が嫌な人にとっては迷惑な話です。

驚く事が好きな人ならば驚いてもらって良いのです。確認不足が悪い事態を招くのです。良かれと思って行った事で迷惑をかけたり叱られたりした時に期待はずれだったと思ってはいけません。期待した事が間違っていたのですから反省しましょう。

自分だけが納得してはいけないのです。他人を納得させてから行動に移しましょう。他人には二種類の他人がいます。当事者と赤の他人(第三者)です。
当事者にも二種類の当事者がいるのです。当事者として自覚のある人とない人です。赤の他人にも当事者でない人と当事者になろうとしている人がいるのです。厄介なのは当事者としての自覚がない人と当事者ではない赤の他人なのに当事者になろうとする人です。

大多数の人は当事者としての自覚がない人です。政治が悪いと言いながら選挙に行かない人や公共の施設や設備に対してマナーが悪い人です。

マナーが悪いのにルールは守っているとうそぶくのは法律の抜け道や節税と言う脱税をして自分を支えてもらうが他人を支える気持ちがない人です。

節税を進めるのは収入を減らして支出を増やすようなものです。
単純な仕組みで税金を納めてもらったら手間も経費もかからず人件費も要らなくなるので税金を有意義に使えると思うのです。

政府は国民に良かれと思って確認を怠っている事が多いのではないでしょうか?それはそんな改正いつ決まったの?と思う時があるからです。

年金の支給開始年齢と定年は大きな関係があります。55歳定年と年金支給だったのに60歳定年と年休支給に変わり、65歳年金支給で60歳の段階で、再雇用か再就職で年金支給まで働くもしくは繰り上げ支給で年金額を減らすもしくは貯金で食いつなぐ将来は70歳からの年金支給になりそうです。

55歳定年の根拠は平均寿命が男性が65歳程度女性が70歳程度で就職時の給料の半額程度の支給を想定していたのです。

国民の平均寿命が100歳になったならば現在が男性約81歳女性約87歳ですから90歳年金支給開始の定年は80歳になるのではないでしょうか?少子化で支える人口は減少の一途を辿っています。年齢別人口グラフは逆三角形に近づいています。

平均寿命が65歳だった時代であれば私の寿命は風前の灯火です。

良かれと思って複雑な法律になっている年金は働けなくなった時に生きていくために必要な仕組みです。年金が無くても生活できる人と年金の掛け金も払えぬ人にも平等な制度に見えますが、借金のある人で返しきれていない人には救いの手はあるのでしょうか?

災害で家や車を無くし二重で返済したり扶養している家族の借金を返済したり、奨学金の返済などがあった時に遺族年金では足りません。

財産があっても負債の方が多い場合は働いて返済しなければなりません。
個人事業主になって独立して借金をせずに生活しても年金は国民年金だけであれば40年満額で年額77万7800円で死ぬまで支給されます。掛け金は月々16590円です。国民年金だけで生活できるでしょうか?

最後にシートベルトや一時停止を忘れて捕まった時に「いつもはちゃんと守っているのに」と悔やむのは「いつもは捕まらないのに」の間違いですから。

また脱線して余計な事を書いてしまった。


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