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罪を償う。

赤子は人を騙す事はできません。立場が変わってできるようになると騙すようなことをしても「愛嬌だ」「特権だ」「役得だ」「忖度だ」と罪の意識が薄れてしまうのです。

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権力は罪を犯しても許される免罪符ではないのです。

「子どもはダメで大人は良い」「男は良いけど女はダメ」子どもはお酒を飲んではいけません。成長に過大な影響があるからです。タバコも二十歳まで買ってもいけません。

他人を制御する行為は自分に甘く、他人に辛い事になるのです。

お酒の飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎ、賭け事に夢中になると普通の生活ができなくなるから過ぎない事を学ぶのです。学ぶ事で自分を制御しないと他人に制御されてしまいます。

泥棒は他人の財産を盗る事ですからしてはいけません。銀行強盗はできません。資金も人材も準備して計画通りにすれば誰も傷つけずに銀行強盗ができたとしても、実行しないのは罪の意識があるからです。

自分で死ぬ事ができないからと死刑になりたくて人殺しをする。罪の意識の欠落と片付けるにはあまりにも悲惨な結果を招いたのです。

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罪の意識なく悪い事をするのは無邪気だと片付ける訳にはいかないのです。
大人になるという事は最低限罪を犯さない事です。身体も知識も成長して、大人のつもりでも心が育っていないと保護者が必要になるのです。

罪の意識なく行った罪を保護者は償わなければいけないのです。

保護者がいないのであれば自分で償う必要があるのです。老人になって罪の意識が薄れると犯した罪を償うどころかさらに罪の上塗りをするのです。

老人になると沢山の罪を犯してきたことの償いをしなければいけないのですが、自分が犯してきた罪を正当化する事で残りの人生を使う人が多いのです。それを老害と称して若者が老人の意見を聞かなくさせているのです。

自分は悪くない。原因は自分以外にあるから手が打てませんと逃げているのは大多数の自分です。罪を犯したくないからと罪を他人に回しているのです。罪を償う事が責任の取り方であれば罪を償わないのは無責任だと思うのです。

どうすれば今まで犯してきた罪を償う事ができるでしょうか?

それは罪を伝える事です。罪を犯して償わなければその罪はいつまでも自分の中に残り続けるのです。罪を償う事で「心の幸せ」に気づく事ができるのです。

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