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居場所を求めて

今日の写真は、雨上がりのジャングルジムです。

人は居場所を求めて放浪するのです。居場所は、くつろぎ、気を休め、英気を養い、そして守りたい人と守ってくれる人が居るのです。居場所はひとりで作る事はできません。

私は、守ってくれた人から、離れ、守る人を求めて放浪するのです。
私を守ってくれた人が、私の放浪を暖かく見守ってくれるのは、放浪の先にあるのが、居場所だと知っているからなのです。

年老いて守るべき人がいなくなった時に、放浪が始まるのです。次の居場所を求めてその行き着いた先がインターネットの世界です。放浪の旅は続きます。でも、その放浪の旅は間違っていたのです。

インターネットは何億人の人とつながっているのですが、居場所ではありません。居場所はリアル世界に求めなければならないのです。なぜなら、ネット依存症になると、インターネットで検索した情報が全て自分の情報だと思ってしまって自分を過大評価してしまうのです。次元が違うのに同じだと思い込んでしまうと精神的な矛盾に陥ってしまうのです。

できもしないのにできると思い込んだり、知らないのに知っていると思ったり、自分がリアル人間でなくなると、ネットに繋がらなくなった時に不安になったり、電池切れを異常に気にしたり、スマホが手放せなくなるのです。

ネットに居場所を求めてはいけません。ネットは道具なのです。道具は消耗品ですが、居場所は空間です。消耗品は時間と共に無くなりますが、空間はいつまでも無くならないのです。

ネットに記録されたものはいつか消えます。いえ、消さなければならないのです。空間はなくなりませんが、その中に置かれたものは変化していきます。時間と共に伝えられて変化していくのが空間です。

居場所に道具を持ち込むのは良いですが、道具に居場所を求めると道具に使わられる事になるのです。ネットで仲間やパートナーを探すのは良いのですが、嘘の自分や過大評価している自分を自分だと思い込んで行動すると矛盾に陥ってしまいます。

でも、本当の自分をネット上で全て曝け出す事は、今の時点では危険ですからできません。その事からもリアル世界とネット世界の区別を行う必要があるのです。仕事で使うネットに遊びは持ち込まず、遊びに居場所は求めてはいけないのです。

この文章は、検索はもちろんコピペなど一切しておりません。今までの文章も全てコピぺは一文字もありません。徒然なるままに綴っています。

写真も撮ったばかりの新鮮なものばかり使っています。リアル社会とネット社会の壁を無くしたい。そして居場所になるようにしたいです。