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仏様と恋愛

私の中の仏様は恋愛をどう思っているのでしょうか?
仏様にも色々な方が居て愛染明王様が恋愛成就の仏様として崇められています。藍染明王様のお顔は真っ赤です。恋愛は真っ赤で燃える炎のように情熱的なのです。

恋愛成就した後からが仏様の出番なのです。

恋愛成就ができるように仏様は見守っているのです。恋愛成就がゴールではありません。その後から永く幸せが続くようにと仏様が見てくれています。

恋愛成就するには、お互いの不足を補う気持ちが必要です。一人で100点を目指すより二人で120点取る気持ちが無ければすれ違う事が多くなるのです。もちろん200点取れる夫婦もあるでしょう。

恋愛は損得でするのではありません。異性、同性、人では無い物に恋するかも知れません。愛情が執着に変わった時、「心の幸せ」に気づかなくなるのです。執着とは、固執して捕らわられる事です。無我夢中になると周りの事が見えなく、没頭できて良いように見えますが「心の幸せ」も見えなくなるのです。

恋愛を成就する事に執着すると自分の思いで心が一杯になって自分一人で何もかもしてしまおうと思うのです。何事も成就するには、自分一人の力ではできないのです。感謝の気持ちを忘れない事です。なにに感謝すれば良いのかを常に意識しましょう。

他と比べない。

比べるという事は迷っているのです。選択肢が無ければ比べる必要はないのです。恋愛対象を比べるのは本当の恋愛対象に出会えていないのです。

背が低い人より背が高い人。収入が少ない人より高い人。自宅が貧乏より金持ちの人。三枚目より二枚目。性格が悪い人より良い人。私を誰よりも好きになってくれる人など全てを満たす人を探しても恋愛はできません。

縁があった人と恋愛成就できる事を願ってください。お互いの中にいる仏様は「心の幸せ」に気づく事を願っているはずです。

この世で添い遂げる事ができない二人は共に死後の世界で巡り合える事を願って心中したのは江戸時代の話です。

現代で、心中を望んだ二人なら共に生きてどのような困難でも乗り切れたと思うのです。一緒にいるだけで「心の幸せ」が続くのです。

「心の幸せ」は恋愛成就できなくても恋愛中は感じていたはずです。「心の幸せ」を求めて恋愛を繰り返すのは本当の「心の幸せ」ではないのです。

それは恋愛に固執した幸せです。周りの物が見えていないから周りが見えた時に「心の幸せ」では無かったと気づくのです。

「心の幸せ」に気づけば「あなたの中の仏様」にも気づく事になりますから常に幸せになれるのです。

失恋は「自分の中の仏様」に気づく大切な経験です。怖がらずに失恋しましょう。「心の中の仏様」は恋愛する事を禁止はしません。裏切る事、嘘をつく事、他人を苦しめる事をするのは「心の中の仏様」を忘れているからです。

不倫や浮気、二股三股、恋の駆け引きを「自分の中の仏様」はどうみているのでしょうか?略奪婚に結婚詐欺を仏様はどのようにみられているのでしょうか?

人間は仏様のように欲望をなくする事はできません。仏様になる事はできないのです。それでも「心の幸せ」を感じるのは仏様が居て見守ってくれていると思うからです。

独裁者は仏様ではありません。新興宗教の教祖様は仏様ではありません。ブッダは仏様ではありません。弘法大師(空海)は仏様ではありません。死んだご先祖様は仏様ではありません。最澄、法然、親鸞も仏様ではありません。

神様と仏様にどのような違いがあるのかわたしにはわかりませんが「心の幸せ」を無条件に与えてくれる事を約束してくれていれば私の中の仏様」と同じです。「心の幸せ」に気づく事を願っているのです。

恋愛で本当の幸せ「心の幸せ」に気づいて欲しいと思います。